十九、純潔は剣を掲げる
復讐、暴力、狂信――そんな不穏な領域が芽吹き始めているとはいえ、今もっとも優先すべきことは、各地に散らばった聖典の回収だった。
そうしてフレイヤとトールは、長い旅路の末に最後の村――「鉄葉村」へと辿り着く。
しかし、その村の空気は、これまで訪れたどの村ともまるで違っていた。
村へ近づくより早く、濃厚な鉄錆の臭いと焦土の気配が鼻を突く。空気には血と炎が混ざり合ったような、生暖かくも不快な甘い臭気が漂っていた。
村口の木柵は黒く焼け焦げ、幾度も攻防戦を繰り返した戦場跡のように崩れ落ちている。
遠くからは低く響く戦鼓の音。
さらに、金属同士が打ち合わされる甲高い衝突音が脈動のように鳴り続けていた。
まるで見えない鉄槌が、何度も何度もフレイヤの神格を叩いているかのようだった。
「見ろ! なんと純潔に満ちた村だ! 聖典にもある――“炎によって罪人を浄化せよ”! ここはきっと女神の恩寵に満ちている!」
トールは早くも勝手な解釈を始め、異常な空気をまるで気にしていない。
「違うわよ!? これはどう見ても戦争の空気でしょうが!」
フレイヤは顔を青ざめさせながら叫んだ。
その直後――
ドォンッ!!
耳をつんざく戦鼓が村の中から轟いた。
村人たちの怒号。
刃と刃がぶつかり合う鋭い音。
二人が広場へ駆け込むと、そこには混沌そのものが広がっていた。
獣皮を纏った村人たちが、鉄叉や短槍、骨の刃を手にして戦っている。
対するのは、黒と紅の戦甲を纏った戦士たち。
両者は真正面から激しく衝突していた。
「アレス! 戦神よ永遠なれ!!」
戦士たちが鬨の声を上げる。
「純潔と戦争! 敵を浄化せよ!!」
村人たちも負けじと咆哮を返した。
村人たちを率いる少女は、《純潔》の聖典を掲げている。
洞窟で救出された少女の一人だった。
訓練された兵士たちを相手にしながらも、彼女は少しも怯まず、冷静に村人へ指示を飛ばしていた。
そして何より異様なのは――
本来なら勝負にならないはずの村人たちが、戦士たちと互角以上に渡り合っていることだった。
だがその時。
戦士たちの陣列から、一人の巨躯が姿を現した。
黒紅の戦甲。
胸部には燃え盛る戦神の紋章。
その手には、血色の炎を纏う巨大剣。
男は迫る村人へ向け、巨大剣を一閃する。
轟音。
たった一撃で三人の村人が吹き飛び、鮮血が宙を舞った。
「我が名はガイル。戦神アレスの使徒なり。《戦争》の聖典の導きに従い、我が主神の威光を盗みし賊どもへ神罰を下す!」
「ガイル!? なんでこいつがここに!?」
フレイヤは思わず声を上げた。
またしても、因縁の相手だった。
「我は純潔女神に仕える無名の司祭! 《純潔》の聖典の導きに従い、罪人へ炎の浄化を与える!」
少女の聖典もまた白光を放ち、徐々に形を変えていく。
それはやがて、巨大な純白の両手剣へと変貌した。
さらに驚くべきことに、華奢な少女は、その巨大武器を軽々と振るってみせたのである。
ガイルと少女が正面から激突する。
同時に、周囲でも村人と戦士たちの殺し合いが激化していった。
フレイヤは鋭く状況を観察する。
村人たちは狩人上がりらしく、最低限の戦闘経験はある。
しかし、なぜ練度で遥かに上回る兵士たちと互角に戦えているのか。
理由は単純だった。
兵士たちにとって、戦いは一度きりではない。
だからこそ、生き残ることを優先する。
だが村人たちは違う。
痛みを忘れたように突撃し、倒れてもなお立ち上がる。
まるで死を恐れぬ亡者。
その狂気じみた勢いに、兵士たちは気圧されていた。
しかし時間が経てば経つほど、経験と訓練の差は確実に現れ始める。
それは村人と兵士だけではない。
ガイルと少女の戦いにも同じことが言えた。
トールは、その戦場を見てもすぐには飛び込まなかった。
フレイヤが状況打開を考えている一方で、彼はただ純粋に“女神の教義”を理解しようとしていたのである。
やがて――
「我が名はトール! フレイヤ女神に仕える忠実なる僕! 《純潔》の聖典の導きに従い、純潔なる側へ加勢する!!」
純潔側が押され始めた瞬間、トールは聖典を魔法杖へ変化させ、大声で叫んだ。
そのまま戦場へ飛び込む。
「行っちゃダメぇぇぇぇ!!」
フレイヤは慌てて止めようとした。
だが、もう遅い。
彼女は察していた。
少女がガイルと互角に戦えている理由。
それは、少女の聖典が《戦争》の領域を取り込み、本来は戦神アレスに属する力を奪っているからだ。
そして今、この戦場そのものが“戦争”を賛美している。
戦えば戦うほど、戦争の領域は肥大化し、その力はさらに強化されていく。
「嫌ぁぁぁぁ!! 戦争も! 復讐も! 狂信も! ひとつも欲しくないのにぃぃぃ!! これ以上わたしに押しつけないでぇぇぇ!!」
村人たちの鬨の声とともに、信仰の力が次々とフレイヤへ流れ込む。
フレイヤは半泣きになりながら地団駄を踏んだ。
戦場へ飛び込んだトールは、一瞬でガイルの前へ辿り着く。
少女へ振り下ろされる致命の一撃を、間一髪で受け止めた。
ガイルはトールの乱入を見ても、もはや驚きもしない。
ただ冷笑を浮かべる。
「ハッ。純潔だと? 所詮は貴様らの言い訳に過ぎん」
トールは魔法杖で必死に巨大剣を受け止める。
だが武器性能の差は歴然だった。
再び押し込まれる。
しかも今回は、ガイルに以前のような“煙火術”への恐れがまるでない。
何の躊躇もなく剣を振るい続ける。
血炎を纏った大剣は火竜のように唸り、トールへ猛攻を叩き込んだ。
その力は以前より明らかに増している。
戦争を讃えるこの戦場が、ガイルを強化しているのだ。
「今日こそ貴様の最期だ――純潔女神の使徒よ!!」
信徒:287
領域:幸運・純潔・復讐・暴力・狂信・戦争
神術:水生成、武器変化、小治癒、幻影変化、花火術、精神安定、経典創造




