十八、純潔なる筋肉賛歌
フレイヤは高台の上に立ち、うごめく村人たちを見下ろしていた。
火の灯りが彼女の小さな頬を赤く染める。しかし、その瞳には深い緊張が宿っていた。
――今夜のうちに、この熱狂を正さなければ。
純潔の信仰は完全に変質し、やがて“狂信”の領域へと堕ちてしまう。
「これより執り行う試練の名は――《純潔の舞》!」
幼い声でありながら、神としての威厳を帯びた響きが広場全体へ広がった。
「より多くの者を共に踊らせた者こそ、最も純粋な教義を持ち、人の心を真に動かした者と認めます!」
「おおおおおっ!!」
村人たちは一瞬で沸き立った。
歓声と拍手が夜空を揺らす。
狂信の少女は自信に満ちた笑みを浮かべ、広場の中央へ歩み出る。白いヴェールを纏い、『純潔』の聖典を胸に抱えたその姿は神々しい――だが、その瞳には狂気の炎が燃えていた。
「よろしいでしょう! ならば我が聖舞を捧げ、誰が正しき教義を示すのか決着をつけましょう!」
一方、トールは横で首を傾げていた。
「踊る? 栄光? 聖典に踊れなど書いてあっただろうか……?」
「黙ってなさい!」
フレイヤは小声で怒鳴る。
「今回は私が直々にやるの! あなたは見てなさい!」
彼女には自信があった。
純潔女神である彼女が、祭礼の舞において劣るはずがない。
かつて信徒たちが愛と美と豊穣を讃えるたび、彼女は舞った。
しなやかに。優雅に。
その舞は人々の疲れを癒やし、心を慰め、誰もが見惚れた。
信徒は少なくとも、皆が純粋で、自分が守りたい者たちだった。
だからこそ――。
今、この場で自分が舞えば、村人たちも本来の“純潔”を思い出すはずだと信じていた。
試練が始まる。
まず狂信の少女が踊り始めた。
重い太鼓が鳴り響き、鋭い笛の音が夜を裂く。
その舞は、もはや戦舞だった。
腕は炎のように振り回され、足音は雷鳴のように地を打つ。
白いヴェールを翻しながら、少女は聖典を朗々と唱えた。
「純潔とは裁き! 純潔とは浄化! 女神の炎はすべての穢れを焼き尽くす! 女神の威光を大地へ!!」
「純潔!」
「裁き!」
「罪人を浄化せよ!!」
村人たちは薪のように一瞬で燃え上がった。
狂熱的な拍手。
叫び声。
歓喜。
少女の舞は、人々の魂を燃える炎へ引きずり込もうとしているかのようだった。
広場全体が震えている。
火の光の中では、狂信の影が踊っていた。
しかもそこには、“暴力”と“復讐”の気配すら混ざっている。
フレイヤは静かにため息をついた。
――もう、この子はかなり深くまで踏み込んでしまっている。
もっと早く来られていたら。
だが今は、できる限り救うしかない。
そして、ついにフレイヤの番となった。
彼女は胸を張り、広場の中央へ歩き出す。
期待に満ちた視線が、自分へ集まっている。
その瞬間、彼女は昔の日々を思い出していた。
愛する信徒たちと共に歌い、笑い、豊穣を讃えた時間。
信徒は少なくても、皆が純粋だった。
だから守りたかった。
その想いに導かれるように、フレイヤは静かに両手を掲げる。
舞の始まり。
使命感が胸いっぱいに満ちていく。
まさか、こんな形で再び舞う日が来るとは思わなかった。
けれど――。
今、この迷える信徒たちを導けるのは、自分しかいない。
フレイヤは目を閉じる。
ゆっくりと腕を伸ばし、足を運び、優雅に舞い始めた。
広場は静まり返る。
太鼓も笛も止まっていた。
村人たちは息すら忘れ、真の女神による舞を見守っている――
……はずだった。
しかし。
それは崇敬ゆえの沈黙ではなかった。
ただ、皆が困惑していただけである。
フレイヤは忘れていた。
今の自分が、“ちんちくりんな幼女体型”だという残酷な現実を。
短い足でぴょこぴょこ跳ね、
ぷにっとした小さな身体が火の光の中で揺れる。
本人は優雅に舞っているつもりなのに、体格のせいで――
小さな手足をばたばたさせる、丸っこいアヒルのようにしか見えなかった。
村人たちはぽかんとした後、
一斉に吹き出した。
「か、可愛い……!」
「これが女神の聖舞!?」
「頑張れー!!」
「可愛い女神様に栄光をー!!」
「可愛くないわよぉぉぉ!!」
フレイヤは真っ赤になった。
羞恥で頭の中が花火大会状態である。
こんな反応は望んでいない。
彼女は慌ててトールを見る。
きっと彼も笑っている――そう思った。
しかし。
トールは真剣だった。
完全に真顔である。
しかも、やたら感動していた。
その目には、悟りを開いた者のような光が宿っている。
フレイヤの目が少し潤む。
――こんな馬鹿でも、こういう時だけは悪くないかも。
そう思った次の瞬間だった。
トールが勢いよく胸を叩いた。
「理解したぞ!!」
その瞳に狂信の炎が燃え上がる。
「これこそ聖典の真意! “歓喜をもって女神を讃えよ”!! ならば女神の使徒たる私も、舞を捧げよう!!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
フレイヤは青ざめた。
自分の舞は失敗気味だったとはいえ、まだ“可愛い”で済んでいる。
だが、この筋肉ダルマが踊ったら絶対に大惨事だ。
しかし。
もう遅かった。
トールは大きく跳躍し、広場の中央へ降り立つ。
着地と同時に土煙が舞い上がる。
まるで舞台演出のようだった。
そして煙の中から、ゆっくり立ち上がる。
「ふんっ!!」
次の瞬間。
全身の筋肉が膨れ上がった。
ぴっちりしていた修道服が耐え切れず爆散する。
白い布片が花びらのように宙を舞った。
太鼓と笛は、まるでトールの筋肉に呼応するかのように激しく鳴り始める。
「純潔なる肉体を捧げよ!! 女神を讃えよ!! 純潔を讃えよ!!」
「何を理解したのよぉぉぉぉ!!」
吹き飛ばされたフレイヤが絶叫する。
「もう負け確定じゃないのぉぉぉ!!」
だがトールには届かない。
彼は完全に自分の世界へ入っていた。
片腕を引き絞る。
筋肉が盛り上がる。
両腕を交差させる。
胸筋が震える。
その一つ一つが、力と美を見せつけるための演出だった。
「純潔なる肉体!!」
「無垢!!」
「無畏!!」
「女神を讃えよ!!」
「違う違う違う!! やめなさいぃぃ!!」
だが。
トールの舞には、妙な魅力があった。
純粋で。
狂信的で。
そして、全力だった。
火の光を浴びた汗は聖水のように輝き、
鍛え抜かれた肉体は、生きた彫像のようだった。
村人たちは最初、沈黙していた。
だが次第に、その熱狂へ呑まれていく。
やがて誰かが真似を始めた。
「肉体は無垢!!」
「肉体は無畏!!」
「純潔よ永遠なれぇぇぇ!!」
歓声が爆発する。
村人たちはトールと完全にシンクロし始め、
一斉に筋肉ポーズを取り始めた。
信仰の力が津波のようにフレイヤへ流れ込む。
だが彼女の顔は微妙だった。
「……こ、こんな暑苦しい信仰、いらないんだけど……」
狂信の少女は青ざめていた。
トールの舞は、圧倒的だった。
村人たちは完全に彼と一体化している。
少女は悟る。
自分の敗北を。
「わ、私は……負けました……」
彼女は震える手で聖典を掲げる。
「神使様の舞こそ、純潔の真なる歓喜……。私は女神の教義を誤解していました……どうか、正しき道へ導いてください……」
フレイヤはぽかんとしていた。
何がどうなって勝ったのか、まったく理解できない。
それでも本能的に、差し出された聖典を受け取る。
視線を向ければ、トールはまだ舞台上で胸筋を震わせていた。
大理石像のような顔で無敵の笑みを浮かべながら。
村人たちは熱狂している。
まるで神話級の奇跡でも見たかのように。
「なんで勝てたのよぉぉぉ!? 意味わかんないんだけどぉぉぉ!!」
やがて舞を終えたトールが、満面の笑みでフレイヤの元へ戻ってくる。
「見ただろう? 私の聖舞こそ、純潔の真理を完璧に示したのだ!」
「それボディビル大会だから!!」
フレイヤは頭を抱えた。
だが同時に理解する。
トールの“狂信”と、村人たちの熱狂が奇妙な形で噛み合った結果――。
逆に“純粋な信仰”が呼び起こされてしまったのだ。
彼女は咳払いし、厳かな声で宣言した。
「皆さん! 神使の舞が示した通り、純潔とは“喜び”と“真心”から生まれるものです! 狂熱でも盲信でもありません! これからは正しき純潔の教えを胸に生きなさい!」
「おおおおおっ!!」
村人たちは声を揃えて応えた。
狂信の少女の瞳も、今は澄み切っている。
フレイヤは感じていた。
再び信仰の力が自分へ集まってくる。
神格はさらに安定していた。
しかし――。
頭の黒百合の髪飾りが、かすかに震える。
長剣の装飾が不吉な光を放ち、
狂信領域から生まれた仮面の紋章が、まるで彼女の勝利を嘲笑うかのように嗤っていた。
信徒:255
領域:幸運・純潔・復讐・暴力・狂信
神術:水生成、武器変化、小治癒、幻影変化、花火術、精神安定、経典創造




