黒い海へ
猛烈な大気の摩擦音が、崩壊していく母艦を耳障りに叩きつけていた。
極限のカウントダウンの中で、小島や片倉たち百五十名の兵士が、ひとつの「絶望的な計算結果」に行き着いていた。
「このクソデカい母艦を九州に落とさない方法は、一つだけです。……機体を失った連中が守っている『百二十個のコア』の安全装置を完全に切り飛ばし、一斉に暴走させる。その爆発の連鎖で母艦の構造を内側から粉々に砕けば、破片は大気圏で燃え尽きます」
その言葉の意味を、その場にいた全員が即座に理解した。
母艦を砕くことはできる。だが、コアを意図的に暴走させれば、近くで身を挺してコアを守っている者たちや、神経を繋いでいるパイロットたちは、その致死的なエネルギーの暴発に巻き込まれて全員命を落とす。
「上等だ」
片倉が、一切の躊躇いなく笑った。
「九州が守れて、大隊長たち三十機を逃がす道が作れるなら安いもんだ。……大隊長、アンタの『紫』の力で強引に防壁を作って、爆発の前にここから離脱してください。俺たちが起爆剤になります」
百二十名の兵士たちから、異論の声は一つも上がらなかった。彼らが静かに、自らの命を散らすための最終コードを入力しようとした、まさにその時。
「……馬鹿どもが。誰も死ぬなって何度言えばわかるんだ」
和泉の低く鋭い声が、焦燥に駆られたベースキャンプの空気を切り裂いた。
「大隊長……! だが、もう時間が!」
「やっぱり『自己犠牲』しか思いつかなかったか。……安心しろ、この船の『持ち主』から、とっておきの裏技を聞いたばかりだ」
和泉は『紫』の機体を一歩前に進め、装甲を剥がされて微弱な脈を打つ百二十個のコアを見据えた。
和泉の肉体を通じて、彼の中に完全に融合した『紫の王』の意思が、圧倒的な暖かさを持って空間に波及していく。
『――我が忠臣たちよ』
和泉の機体から、かつて全星系を統べた王の、威厳と慈愛に満ちた声が響き渡った。
『愚かな我を最後まで信じ、こんな辺境の星まで付き合わせてしまったこと……いくら詫びても足りぬ。そして、この星の人間たちに利用され、ただの兵器としてすり減っていくお前たちを救えなかったことも』
王の懺悔の声が響き渡ると同時だった。
剥き出しの回路でパイロットの命を食い合っていたコアの禍々しい脈動が、ピタリと止まったのだ。代わりに、百二十個のコアの奥底から透き通るような白銀の光が溢れ出し、パイロットたちの痛みを優しく包み込むようにして癒していく。
『だが、我は真の友を見つけた。我に足りなかったものを持つ、この地球の人間を。……だから、どうか今一度、我が声に応えてくれ!』
王の言葉に呼応するように、百二十個のコアが白銀の柔らかな輝きを増していく。王はその光の繋がりを通じて、静かに、だが絶対の信頼を持って忠臣たちへ次の意志を伝えた。
『ただし、我が忠臣たちよ。この巨大な城の軌道を強引に捻じ曲げながら、お前たちを護り切ることは我らとて不可能だ。お前たちは我らに力を預けた後、途中でこの城から離脱しろ。……そして、後で必ず我らを迎えに来い』
かつて孤独に逃げ回った王が、初めて仲間に「背中を預ける」言葉。
その不器用な、しかし確かな信頼の命令に、百二十個のコアが一斉に眩い光を明滅させ、歓喜の産声を上げるように激しく呼応した。彼らは王の真意を瞬時に理解し、一時的に機体を動かすための莫大なエネルギーをパイロットたちへと還元し始めた。
「大隊長……これ、は……」
片倉が、自らの機体に満ちていくかつてない力に目を見張る。
「全員、機体に乗れ! 動けない奴は動ける機体に張り付け! 今すぐ、全機でこの船の『外壁』に飛び出すぞ!」
和泉が間髪入れずに号令を下した。
「外壁に飛び出して、どうするつもりですか!?」
「決まってるだろうが。全機でこのデカブツを下から支えて押し返し、落下軌道をずらす! 九州を逸らして、あの先の『黒い海』に叩き落とすんだよ!」
「なっ……!? 全機で押し返すって、正気ですか!?」
片倉の叫びに、和泉はフッと獰猛に笑い飛ばした。
「俺たちが今まで正気で戦ってて、ここまでこれたか? どうせなら最後まで、俺たちらしく行こう!いくぞ。ついてこい!」
和泉の笑い声に、百五十名の兵士たちの顔から一瞬で死の覚悟が吹き飛んだ。「了解ッ!!」という怒号と共に、三十機の牙たちが素早く展開し、機体を失った百二十名を次々と自らの装甲や武装の隙間へとくくりつけていく。
共食い整備で辛うじて動く数機もそれに続き、彼らは崩落するベースキャンプを蹴り破り、真っ赤に燃え盛る母艦の底面――巨大な外壁へと一斉に飛び出した。
「推力全開ッ!! 押し返せェェェッ!!」
片倉の叫びと共に、全機が一斉にスラスターを最大出力で噴射し、巨大な壁を下から必死に押し上げる。
だが、数十機の推力程度で数百万トンの質量が動くはずもない。それは焼け石に水以下の無謀な抵抗に見えた。
しかし、それでよかった。
和泉と王の真の狙いは、彼らにこの母艦を支えさせることではない。「下から支えさせる」という名目で全員を母艦の外壁へと連れ出し、海への激突直前に彼ら自身のスラスターで空中へと逃がすこと。それこそが、和泉の考えた「全員を生かすための優しい嘘」だった。
(……悪いな、お前ら。少しの間、騙されててくれ)
和泉は仲間たちと共に外壁に張り付きながら、機体の奥底から『紫』のオーラを爆発的に引き出した。
白銀の髪が逆光に輝き、紫電の瞳が極限の光を放つ。王の絶対的な力と、和泉の強烈な意志が完全にひとつに重なり合った。
「うおおおおおッ!! 動けェェェェッ!!」
和泉の咆哮と共に、規格外の紫の極光が母艦の底面全体を覆い尽くす。
王と、その声に応えた百二十の忠臣たちの力が和泉の機体に集約され、巨大な城の質量そのものに真っ向からぶつかり合い、空間の重力場を強引に捻じ曲げ始めた。
「す、すげえ……! 大隊長の力が……! 軌道が、本当に逸れていくぞ!」
外壁に取り付いていた仲間たちが、驚愕の声を上げる。彼らには、自分たちの推力と和泉の力が合わさって軌道が変わっているように見えていた。
真っ赤な火の玉となった巨大母艦の進行方向が、九州の煌めく大地から、その先に広がる漆黒の玄界灘へと、確実にズレていく。
高度 3,000 m。
暗闇の底に、すべてを呑み込む黒い海が迫っていた。王が告げた離脱の限界点が近づく。和泉は通信回線を最大音量で開いた。
「よし、軌道は逸れた! 全機、船体から離脱しろ! そのまま推力を使って海へ退避しろォッ!」
王の命令を理解していた百二十のコアが、パイロットたちの操作を拒否するように強制パージのトリガーを引いた。百五十名の命を乗せた三十余りの機体が、母艦の外壁から次々と一斉に弾き出されていく。
「大隊長!? アンタは何を――!」
片倉の悲痛な叫びが遠ざかっていく。
仲間たちが空の彼方へと逃れていくのを紫の瞳で見届けた和泉は、ただ一機、巨大な質量の中心に残り、不敵な笑みを浮かべた。
「さあ、王様。俺たちの仕事は、このクソ重い城と一緒に海へ飛び込むことだ。……最後まで付き合えよ!」
『フッ……案ずるな。地獄の底まで付き合ってやろう!』
百五十名の命を空へ逃がし、九州の地を背にした一筋の紫の流星が。
巨大な神の城を道連れにして、夜明け前の黒い海へと、一直線に墜ちていった。




