それぞれの夜
午前零時。
作戦開始まで、残り六時間。
絶対座標の地下ハンガーは、嵐の前の深い静寂に包まれていた。
重機や溶接の音はとうに鳴りやんでいる。広大な空間を満たしているのは、出撃の時を待つ百五十機の通常機体――その胸部に定着したコアが放つ、規則的で低い駆動音だけだった。
「……信じられるか? 明日の今頃は、俺たち空の上にいるんだぜ」
薄暗い通路の隅で、壁に背を預けていた片倉が、手元の携帯食料をかじりながら苦笑した。
「今さら怖気づいたのかい、片倉部隊長」
タブレットで弾道計算のシミュレーションを繰り返していた金子が、視線を上げずに淡々と返す。
「まさか。俺たちみたいな二軍落ちの機体でも、あの神様みたいな大隊長が引っ張り上げてくれるってんだ。これ以上痛快なことはないですよ」
「違いない。……だが、俺たちがしくじれば、あの大将の背中が蜂の巣だ。気は抜けねえぞ」
大型の近接ブレードの刃を布で執拗に磨き上げていた酒井が、傷だらけの顔を上げて獰猛に笑った。
「一番槍は和泉中隊長と、あの白銀の髪の副官……源田さんたちが務める。私たちは、彼らが母艦の懐に飛び込むまでの『道』を死守するだけだ」
金子がタブレットの電源を落とし、二人の男を静かに出撃前の顔で見据えた。
「……死ぬなよ、あんたたち」
「そっちこそな、お堅いお嬢さん」
寄せ集めの部隊を率いる三人の指揮官は、それぞれの得物を手に、互いの無事を無言で誓い合った。
同じ頃、ハンガーの中央部。
源田は、自らの搭乗機の装甲に静かに手を触れていた。
胸部マウントで淡い光を放つコアの温もりが、装甲越しに伝わってくる。
「……源田隊長」
背後から声をかけられ、振り返ると、そこには佐々木、石井、岩本の三人が立っていた。さらにその後ろには、今回から先陣部隊に合流した凄腕の補充兵、伊達の姿もある。
「休まなくていいのか。明日はいやでも目が覚めるぞ」
源田が言うと、佐々木が小さく肩をすくめた。
「隊長こそ。……南雲や、二小隊のみんなと話してたんすか」
その言葉に、源田は少しだけ目を伏せ、そしてゆっくりと首を横に振った。
「いや……もう、謝るのはやめたんだ。あいつらに顔向けできないような戦いは、二度としないと誓ったからな」
源田の髪に混じる白銀のメッシュが、ハンガーの薄明かりに鈍く光る。
「明日は、俺たちが大隊長の盾になる。どんな弾幕が来ようが、俺が全部前に出て弾き返す。……お前たちは、その俺の背中を守ってくれ。いけるか」
源田の言葉は、かつて部隊を和ませていたお調子者のそれではない。地獄の底で折れた心を自ら繋ぎ合わせ、仲間の死を力に変えた、真の指揮官の響きだった。
「当然です」「任せてください」
佐々木たちが迷いなく頷く。伊達もまた、無言で鋭く敬礼を返した。
そして、ハンガーの最奥。
何重ものワイヤーで固定された王の玉座――アグレッサーの足元に、和泉は一人で座り込んでいた。
「……こんなところで寝ると、風邪を引くぞ」
足音と共に、二つの缶コーヒーを持った小島が暗がりから現れた。一つを和泉の顔の前に放り投げる。
和泉はそれを見ずに片手で受け取ると、プシュッと小気味よい音を立ててプルタブを開けた。
「……どうせ明日には、一万メートルの上空だ。風邪なんか引いてる暇はないさ」
小島は和泉の隣に腰を下ろし、アグレッサーを見上げた。機体の表面には激戦の傷跡が刻まれたままだが、胸部で脈打つコアの紫の光は、かつてないほどに澄み切っていた。
「体は、本当に大丈夫なんだな」
小島の静かな問いに、和泉は自らの手を握り、開いた。
「ああ。イカれたシステムのおかげでな。……だが、俺自身が何か別の生き物に造り変えられていくような、そんな薄気味悪さはある」
「……そうか」
小島は多くを語らなかった。和泉がどれだけの負荷をその身に背負い、どれほどの覚悟で「百五十機の重力制御」という人智を超えた荒業を成し遂げようとしているのか、誰よりも理解していたからだ。
「……小島」
和泉が、コーヒーの缶を見つめたまま口を開いた。
「明日の夜明け、焼け野原になったこのバンカーを出て、奴らが海峡に架けたあの橋を渡る。……お前は後方で俺たちの目になれ。俺は振り返らない」
「分かっている。お前たちの死角は、俺の部隊がすべて潰す。……お前はただ、あのデカブツの喉元を掻っ捌くことだけを考えろ」
「ああ」
和泉はコーヒーを一気に飲み干し、ゆっくりと立ち上がった。
紫の光を宿した瞳が、ハンガーの天井――その先にある、遥か上空の敵を見据える。
「夜明けが待ち遠しいと思ったのは、いつ以来だろうな」
「……違いない。ずっと、暗い夜の底を這いずり回ってきたからな」
出撃まで、残り数時間。
人類が絶望に抗うための「最後の夜」が、静かに、だが確かな熱を帯びて明けていこうとしていた。




