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境界線のアグレッサー ―不落の絶対座標より―  作者: saku
奪還の座標と光り輝く星々
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深淵の夢、呼ぶ声

そこは、音のない世界だった。


硝煙の匂いも、鼓膜を破るようなアラート音も、仲間たちの悲痛な叫び声もない。

ただ、底知れぬほど深く、穏やかな闇が広がっていた。重力すら感じないその空間を、和泉の意識は水の中を漂うようにゆっくりと沈んでいく。


(俺は……死んだのか?)


死への恐怖はなかった。むしろ、あのガラス化した大地で魂をすり減らすような殺意を燃やし尽くした彼にとって、この静寂は酷く心地よかった。


『……中隊長』


ふと、闇の奥から声がした。

和泉が意識を向けると、何もない空間に、三つの淡い光が揺らいでいた。

顔こそ見えない。だが、和泉にはそれが誰なのか、魂の形を通してはっきりと理解できた。


山本。結城。そして、南雲。


「お前たち……すまない。俺の力が足りなかったばかりに……」


和泉の深い自責の念が波紋のように広がる。もっと早く、もっと圧倒的な力があれば。

だが、三つの光から伝わってきたのは、和泉の悔恨を優しく包み込むような、温かな思念だった。


『謝らないでくださいよ、中隊長。俺たち、後悔なんてしていませんから』

山本の光が、静かに揺れる。

『ええ。俺たちが共に歩んできたから、互いに背中を預け合ったからこそ、あの地獄のような七日間で、守り抜けたものがあるんです』

結城の生真面目な意志が、力強く同調する。


そして、南雲の光が、和泉の目の前まで近づいてきた。


『中隊長。俺たちが死んだ時……あんなに、世界を壊すくらいに怒ってくれて。俺たちのために、あそこまで戦ってくれて。……正直、嬉しかったです』

『最後まで俺たちを守ろうとしてくれて、本当に、ありがとうございました』


様々な感情が入り混じり、融け合った三つの光が、和泉の精神をこの上なく優しく撫でた。

その言葉を最後に、彼らの光は深い闇の中へゆっくりと解け、消えていった。


行かないでくれと手を伸ばす和泉の前に、別の光が残った。


『――私が皆をつなぎます。伝えて回ります。ここへ来るようにと。』


透き通るような、それでいてどこか機械的なあの『謎の声』が、深淵に響き渡った。

それは、南雲の機体に搭載されていた「コア(月の破片)」の意志だった。和泉に最後に仲間たちと会わせるため、自らが消滅する寸前の力を使って、彼らの魂の残滓をこの領域に引き留めていたのだ。


役割を終え、輪郭を失いかけている南雲のコアの光は、和泉に対してではなく、和泉の精神と深くリンクしている『アグレッサーのコア』そのものに向けて、静かに語りかけた。


『先にいくこと、お許しください。……彼らは必ずここに来ます。私の呼びかけに、応じるはずですから』


その言葉を最後に、南雲のコアは自らの限界を迎え、和泉の深層世界の中で完全に燃え尽き、焼失した。



同じ頃、現実世界の絶対座標。

東日本軍が極秘裏に輸送してきた貨物――。それは新たなる戦力、あるいは希望の鍵となるはずの「勾玉まがたま」と「腕輪」だった。

コンテナの中に安置されたそれらは、南雲のコアが消滅した瞬間に呼応するかのように、激しく、眩い光を放ち始めた。


「なんだ……!? 勾玉が……輝いてる!」


運搬していた隊員たちが驚愕して足を止める。移動こそしないものの、その光は地上から天を突くほどの強度を増していく。


そして、その光に呼び寄せられるかのように、世界が動き出した。


かつて敵の侵攻によって崩壊し、沈黙していた諸外国の廃墟。

瓦礫の山に埋もれ、誰にも知られず眠っていた「月の破片」――コアの素材となり得る結晶たちが、一斉に鼓動を始めた。

アメリカ、欧州、アジア。壊滅した国々の各地から、無数の光の筋が空へと立ち昇る。


それらは重力を無視して宙へ舞い上がり、意志を持っているかのように、海を越え、国境を越え、ただ一つの地点――和泉たちの待つ「絶対座標」を目指して、一斉に飛来を始めたのだ。



「……ッ」


微かな消毒液の匂い。

和泉が重い瞼をこじ開けると、そこには見慣れない白い天井があった。


「……あ、」

声を出そうとしたが、喉がひどく乾燥し、掠れた音しか出ない。

ゆっくりと首を動かすと、無数の管や点滴が自分に繋がれているのが見えた。野戦病院の集中治療室だろう。


全身が鉛のように重い。力を振り絞って右手を持ち上げ、視界に入れる。

骨と皮だけになったかのように痩せ細り、深い皺が刻まれたその腕は、まるで老人のそれだった。あの神の領域とも言える異常な出力を引き出した代償が、彼の肉体から急激に生命力を奪い取った痕跡だった。


「……夢じゃ、ないんだな」


和泉は、力なくその手をベッドに落とした。

目を閉じれば、あの大地の熱と、仲間を失った絶望が蘇る。

だが、あの底知れぬ闇の中で聞いた『ありがとうございました』という確かな温もりと、謎のコアが残した予言もまた、和泉の胸の奥底に確かに残っていた。


(彼らは必ずここに来る……)


誰もいない無機質な病室で、和泉は掠れた息を吐いた。

失った仲間たちの意志と、世界中から集まりつつある新たな輝き。

東日本への生還。それは安息のゴールではなく、世界を繋ぎ直すための、新たなる戦いの幕開けだった。

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