神域の咆哮と、目を覚ます鉄拳
和泉の意識は、すでに人としての領域を離れていた。
機体のコアが脈動を止め、代わりに出力計が計測不能を示すほどの「輝き」を放ち始める。背後に展開された紫の羽は、もはや光の粒子ではなく、空間そのものを焼き切る巨大な奔流へと変貌していた。
「……あ」
誰かが、そう漏らした。
和泉の機体が、ただ一歩、大地を踏みしめた。
それだけで、絶対座標を中心に衝撃波が走り、彼に肉薄し、群がっていた数百の敵群が一瞬にして塵へと帰した。爆発ではない。文字通り、分子レベルで「焼失」したのだ。
その瞬間、コックピット内では異常な出力を検知した機体のアラートが狂ったように鳴り響いた。それはただの警告音ではなく、まるでこの異常な力が、世界そのものを壊してしまうのではないかと思わせるほどの恐ろしい絶叫だった。
これが、特務隊の仲間たちの命と、和泉の魂が引き換えに辿り着いた「神の領域」だった。
和泉は無言のまま、機体を浮かせた。紫の光の翼が羽ばたくたび、空を真っ赤に染めていた敵の砲弾が、届く前に蒸発していく。
この七日間、あれほど冷徹に、効率的に人類を追い詰めてきた「緑の目」や集合知能が、初めて「異変」を見せた。
和泉から放たれる圧倒的な破壊の意志。それは、彼らの計算式には存在しない「畏怖」という概念を、その冷たい回路に叩き込んだのだ。
潮が引くように、敵が後退を始めた。
九州からも、四国からも。あれほど厚い壁となって押し寄せていた軍勢が、和泉という個体一機を前に、本能的な「生存本能」に従って背を向けたのだ。
だが。
「……逃がさない」
和泉の口から、低く、地を這うような声が漏れた。
それは慈悲を乞う敵への追撃ではない。自分の中から溢れ出す、やり場のない、叫びたいほどの怒りと自責を吐き出すための行為だった。
ドォォォォォォォンッ!!
和泉はレールガンを構え、引き金を引き続けた。
紫色の閃光が、退却する敵の背中に次々と突き刺さる。一発ごとに大気が震え、地平線の彼方で巨大な火柱が上がる。
エネルギーの充填時間など、今の和泉には関係なかった。コアから直接汲み上げられる無限の怒りが、砲弾を光速へと加速させる。
「あいつを……山本を返せ」
ドォォォォンッ!
「結城を……南雲を……みんなを返せッ!!」
ドォォォォンッ!
咆哮することすら忘れた和泉の心そのものが、レールガンの轟音となって戦場に響き渡っていた。
敵が視界から消え、レーダーから反応が遠ざかった後も、和泉は敵が逃げていった空虚な荒野に向けて、怒りを吐き出すように紫の弾丸を撃ち込み続けた。
――そこへ、一機の通常機体が砂塵を巻き上げて到着した。
小島だった。
後方に続く回収部隊を待たず、先陣を切って絶対座標へ辿り着いた彼が目にしたのは……地獄ですらなくなった「無」の光景だった。
かつてそこにあったはずの市街地の残骸も、敵の死骸の山も、すべてが消えていた。あるのは、高熱でガラス化した大地と、その中心にポツンと残る臨時バンカー。
そして、その周囲に立ち尽くす、ボロボロになった4機の機体だけだった。
「源田……佐々木……石井……岩本……。お前ら、無事か!」
小島は機体の拡声器を最大音量にして、必死に呼びかけた。
だが、第1、第2小隊の生き残りである彼らは、誰一人として答えなかった。
彼らはただ、目の前で静かに浮かび、逃げ去った敵の方向へ砲身を向けたまま紫の羽を散らしている和泉の灰色機を見つめているだけだった。
歓喜も、安堵もなかった。そこにあるのは、友を失い、すべてを出し切った者たちだけが纏う、灰色の静寂。
(……足りねえ)
小島は、立っている機体の数を数え、そしてその場の空気から一瞬で「何があったのか」を察した。
和泉は今、仲間を失った自責と悲しみで、人ではない「何か」に呑まれかけている。あのまま撃ち続ければ、いずれ和泉自身の魂も焼き切れてしまう。
「……和泉ッ!!」
小島は操縦桿を強く握り込んだ。
和泉の機体から放たれるプレッシャーは、近づくことすら本能が拒絶するほどの凄まじい威圧感を持っていた。並の人間であれば、その場に縫い止められてしまうほどの畏怖の波動。
だが、小島は自らの通常機体のスラスターを全開にして、大地を蹴った。
「退きやがれェェッ!!」
装甲の表面が紫の光の羽に触れて焼け焦げ、コックピット内で危険を知らせるアラートが狂ったように鳴り響く。
それでも小島は、和泉が展開する神の領域とも言える光の奔流を強引に押し退け、怒号を上げながら真っ直ぐに走り込んだ。
そして――レールガンの引き金を引こうとしていた和泉の灰色機の真横に肉薄し、機体の右腕を大きく振りかぶった。
ガァァァァンッ!!!
重厚な金属音が、ガラス化した荒野に響き渡る。
小島の乗る通常機の無骨な拳が、和泉の灰色機の横っ面を、力任せにぶん殴ったのだ。
その強烈な物理的衝撃により、灰色機は大きく体勢を崩し、レールガンの砲口が天を向く。
同時に、戦場を覆い尽くしていた圧倒的な紫の羽が、フッと霧散するように消え去った。
「目を覚ませ、大バカ野郎が!!」
小島の拡声器からの怒鳴り声が、神域に落ちかけていた和泉の意識を、強引に「人間の世界」へと引き戻した。




