反撃準備
小島が最前線基地の司令部を掌握してから、数日が経過していた。
西日本を切り離した巨大な「断裂(琵琶湖ライン)」。通常であれば、混乱に乗じて敵が断裂に橋を架け、東日本へ怒涛の進軍を仕掛けてきてもおかしくない状況だった。かつての軍上層部のシミュレーションでも、西日本を切り離したところで、防衛線はいずれ突破されると予測されていた。
だが、最前線司令部のメインスクリーンに映し出された光景は、その予測を完全に裏切るものだった。
「……信じられん。本当に、レーダーの誤作動ではないのか?」
かつて小島に銃口を向けられ、今は司令部の片隅で呆然としている初老の将官が、モニターを食い入るように見つめながら呻いた。
スクリーンの東日本側に、敵を示す「赤い光点」は一つも存在しない。
それどころか、西日本側の動きすらも、彼らの想定とは全く異なっていたのだ。
「誤作動ではありません。観測ポストからの報告もすべて一致しています」
オペレーターが、信じられないものを見るような目でスクリーンを指差した。
「当初、中国地方から近畿方面へ向かってきた敵の部隊は、東日本へ橋を架けるための『様子見』の動きを見せていました。しかし……彼らは断裂には向かわず、進路を南西へ変更。すべて、あの『絶対座標』へと吸い込まれるように向かっています」
スクリーン上で、近畿に集結していた無数の赤い光点が、絶対座標に向けて移動していく。
そして――座標に到達した赤い光点が、次々と、面白いようにフッと消滅していくのだ。
「消えていく……。あの大群が、あのたった一点で……」
将官が震える声を漏らす。
「それだけではありません」とオペレーターが続けた。
「一定量の光点が消滅すると、残存する敵部隊は侵攻を諦め、彼らが海に架けた橋を渡って九州と四国へ撤退します。奴らは決して海を直接渡ろうとはせず、必ず橋を架けて陸路を確保しようとする習性がありますから。そして……撤退が完了すると」
ズザザッ、とスクリーンの一部にノイズが走る。
「九州の上空から、新たな敵が『降って』きます。そして再び橋を渡り、絶対座標へ向かい……消滅する。この数日間、西日本ではずっとこのサイクルが繰り返されています」
司令部が、水を打ったように静まり返った。
誰もが理解した。東日本が平和になったわけでも、敵が侵略を諦めたわけでもない。
あの分断された大地の向こう側で、たった8機の機体が、巨大な「ブラックホール」となって敵の全戦力を削り、すり潰し続けているのだ。
敵の集合知能にとって、和泉という存在はもはや最優先で排除すべき「特異点」。だからこそ、東日本への橋を架けることすら後回しにして、波状攻撃を仕掛け続けている。
小島は、メインコンソールの通信マイクを手に取った。
その回線は、この最前線司令部だけでなく、遠く離れた東京――官邸の地下にいる政府トップや軍上層部にも常時接続され、監視されているものだ。
「……聞こえてるか、官邸のえらいさん方」
小島の低く凄みのある声が、司令部内に、そして回線の向こう側へと響き渡る。
「あんたらが『合理的な損切り』だと言って、ただのデータとして見捨てた奴らが……今、この国の首の皮一枚を繋ぐ奇跡を作ってんだよ。現場の泥水も知らねえ机上の計算式が、あのたった8人の魂に完全に負けたんだ」
通信の向こう側からは、一切の反論は聞こえてこなかった。
事実が、スクリーンに映る圧倒的な戦果が、彼らの口を完全に塞いでいたのだ。
「上層部が腰を上げるのを待つ必要はねえな。最前線にいる俺たちは、もうあいつらを見捨てるつもりは毛頭ねえ」
小島はマイクを置き、司令部に集まった部下たち、そして有線で繋がるすべての東日本の基地に向けて怒号を放った。
「聞いたな、野郎共!! 奪還作戦を開始する!」
「応ッ!!」という地鳴りのような歓声が応える。
だが、小島の目は冷静に現実を見据えていた。
「あの断裂に、こっちから橋を架けるのは現実的じゃねえ。時間がかかりすぎるし、敵の的になるだけだ! 整備班は残存する軍用機に加えて、民間の大型航空機、そして港で眠ってる大型タンカーをかき集めろ!すぐに動かせる状態にしろ!」
「民間機とタンカーも……!? 了解しました、すぐに手配します!」
整備兵たちが弾かれたように動き出す。
「それからだ……」
小島は真剣な眼差しで、幹部たちを見据えた。
「政府が後生大事に隠し持っていた、あの『月の素材』。……あれはもらっていきますよ!」
その言葉に、司令部の空気が一瞬だけピンと張り詰めた。
「月の素材」――それはかつて政府が極秘裏に回収した未知の物質だった。しかし、それをコアの触媒にしようとしても弾かれ、レールガンの砲身に組み込もうとしても規格が合わず、現代の技術では全く兵器転用ができない「持て余されたガラクタ」として保管されていたはずのものだ。
なぜそんなものを。そう問いたげな視線に対し、小島は短く答えた。
「コア機に乗る二人が、直談判してきたんだよ。『理由は俺たちにも説明できません。でも……あれは絶対に和泉中隊長に渡すべきものだ。和泉中隊長が身につけるべきものだと、機体がそう言っている』……とな」
論理的な理由は一切ない。だが、人間の魂を触媒とするコア機を操るパイロットたちが、何かの直感――あるいはコアの共鳴を通じて、そう確信したのだ。
小島は、その「理屈を超えた直感」を信じることに決めていた。
「あれを、あいつらのところに届ける。西に乗り込んで、極上の土産を和泉に渡してやるんだ」
小島は、赤い光点が消え続ける西日本の地図を見つめながら、鋼のような決意を込めて呟いた。
「待ってろよ... 」
一人の英雄が紡ぎ出した奇跡の時間が、ついに東日本という巨大な国家の歯車を、空と海からの奪還へと向けて力強く回し始めたのだ。




