司令部への叛逆2
粉々に砕け散ったホログラム装置の破片が、冷たい床に散乱している。
静まり返った最前線司令部の中で、初老の将官が青ざめた顔に脂汗を浮かべながら声を震わせた。
「き、貴様……自分が何をしているのか分かっているのか! 西日本を切り離さなければ、東日本も、いや、この国そのものが完全に終わっていたんだぞ! これは、国を存続させるための……苦渋の決断だったのだ!」
将官の悲痛な叫びは、戦略的視点から見れば決して間違ってはいなかった。
あの圧倒的な数百万の群れが本州になだれ込めば、防衛線など紙切れのように破られ、残された国民もろとも蹂躙されていただろう。国というシステムを存続させるための「大義」と「損切り」。小島も、軍人としてその冷酷な計算の正しさは理解していた。
だが、小島は彼らに銃口を向けることはしなかった。
その必要すらない。彼と、背後に控える機体、そして無言の圧力を放つ兵士たち……その揺るぎない怒りと覚悟を前に、すでに勝敗は決していたからだ。
「……ああ、分かっているさ。お前たちの理屈は正しい」
小島は静かに告げた。
「だがな、俺たちは現場にいたんだ。泥水すすって、仲間が消し飛ぶのを見て、それでも誰かを生かすために必死で戦った奴らの顔を知ってるんだよ。計算式だけで人を切り捨てるお前らの正しさを……俺の魂が、どうしても許せねえんだ」
その時だった。
破壊された防爆扉の向こう、司令部へと続く長い廊下から、無数の足音が響いてきた。
「なんだ……!? 警備部隊か、早くこいつらを制圧しろ!」
将官たちが色めき立ち、助けを求めるように扉の方へと視線を向ける。
だが、そこに現れたのは、重武装の警備部隊などではなかった。
騒ぎを聞きつけて集まってきたのは、血と泥に塗れた野戦服を着た一般兵たち、和泉の機体を徹夜で直し続けた整備班の面々、そして――包帯を巻き、松葉杖をついた大勢の「避難民」たちだった。
「お前たち……民間人がなぜこんな場所へ……!」
絶句する将官たちをよそに、群衆は司令部の入り口を埋め尽くし、ただ静かに、だが熱を帯びた瞳で室内を見つめていた。
誰かが、ポツリと口を開いた。
「……姿は見えませんでした。遠く離れた海の上から、あの人が戦うところなんて」
包帯を巻いた若い女性が、震える声で、それでもはっきりと前を見据えて言った。
「でも、聞こえたんです。届くはずのないオープン無線が、なぜか私たちの船に……みんなの耳に、はっきりと響いて……」
その言葉に、後ろに続く避難民や兵士たちが深く頷く。
最初のあの大規模な防衛戦で、和泉が全身包帯だらけになるほどの重傷を負い、歩くことすらままならない状態だったことは、そこにいる誰もが知っていた。
「あんなボロボロの体なのに、あの隊長さんは、無線越しにずっと言っていたんです。『まだやれる。俺が守る』って……。『必ずあいつらのところに帰るんだ。お前たちの犠牲は絶対に無駄にしない』って……!」
女性の目から、大粒の涙が溢れ落ちた。
「あんな傷だらけになって……私たちのために戦ってくれた人を、国が見捨てるなんて、絶対に間違ってる!」
別の兵士が叫ぶ。それに呼応するように、次々と声が上がり始めた。
「あの人は今も戦っている! 分断されたあの橋の向こう側で!」
「俺たちが態勢を立て直して、必ず東から挟撃してくれるって……そう信じて、あのバンカーで待ってくれてるんだぞ!!」
その声は怒号となり、司令部という冷たい権力の空間を完全に揺るがした。
将官たちは言葉を失っていた。彼らが「大義」のために切り捨てた名もなき人々は、誰一人として、自分たちを生かすための犠牲を「仕方のないことだ」などと割り切ってはいなかったのだ。
小島は、背後から押し寄せる熱気と怒りの声に、目を細めた。
そして、視線をホログラムの破片が散らばるコンソールへと向ける。そこには、東日本全域を結ぶ有線通信のメイン回線が「全域開放」のまま、緑色のランプを点滅させていた。この司令部でのやり取り、避難民たちの悲痛な叫び、そして小島たちの叛逆。そのすべてが、生き残った東日本の全基地に筒抜けになっていたのだ。
「……聞こえたか。これが俺たちの魂だよ」
小島は将官たちを一瞥し、静かに言い放った。
「あんたらの理屈じゃ、あいつはすでに死んだ『記録』だ。だがな、ここにいる全員にとって、和泉は俺たちの命を繋いだ『英雄』であり……俺たちの、大切な『隊長』なんだよ」
小島が踵を返し、扉の向こうに集まった無数の人々を振り返る。
彼らの瞳には、恐怖も絶望もない。ただ一つの確かな意志だけが燃え上がっていた。
「……野郎共。俺らの戦友を迎えに行こう」
小島のその一言が、合図だった。
「応ッ!!」という地鳴りのような歓声が基地を揺らす。だが、それだけではなかった。
静まり返っていた司令部のメインスピーカーから、次々と有線通信のノイズが弾けたのだ。
『――こちら佐渡分屯基地。輸送機の準備、すでに完了しています。俺たちも行きますよ』
『――習志野、降下部隊。いつでも飛べます。中隊長を、あの絶対座標で待たせるわけにはいかない!』
『――こちら浜松基地。残存航空戦力、全機出撃可能。迎えに行きましょう、俺たちの希望を』
絶望の中で、無数の人間が和泉という存在を「希望」として扱っていた。
分断されたあの橋の先で、必ず共に戦うと信じて待っている彼を、決して見捨てはしない。その想いが、通信網を通じて次々と力強い返答となって司令部に響き渡る。
東日本の中枢は、銃弾の一発すら必要とせず陥落した。
いや、陥落したのではない。たった一人の英雄を信じ、共に戦おうとする民衆と兵士たちの「総意」が、冷酷な決断を下した司令部を完全に呑み込み、東日本全土を一つに結びつけたのだ。
分断された大地のこちら側で、最大の反攻作戦が今、誰の許可も得ずに幕を開けようとしていた。




