近畿防衛
中国地方の防衛線が完全に沈黙してから、わずか三十分。
その血塗られた時間は、近畿防衛司令部にとって「奇跡」と呼ぶべき猶予だった。数千人の兵士と、数百万の民間人の命を賭して繋がれたバトンを、彼らは無駄にするつもりはなかった。
「――全電力網、接続確認! 浜岡原子力発電所、ならびに中部・近畿圏の全電力、出力を一箇所に集中させろ!」
司令部内に、絶叫に近い号令が響く。
それは軍事作戦の域を越えた、一種の狂気だった。現代社会の血液である電力を、一瞬の「一撃」のためだけにすべて吸い上げる。
その瞬間、近畿の街から光が消えた。
大阪、京都、名古屋。大都市の街灯が、信号が、家庭の明かりが、断末魔のような瞬きと共に一斉に途絶えた。
病院では生命維持装置が止まり、暗闇の中で医師たちが手動での蘇生に奔走する。その裏側で、無数の命が静かに零れ落ちていくことを知りながら、司令部は天秤の片皿を迷わず叩き割った。
「……標的、四国―近畿間の巨大架橋。照準固定」
和泉たちが持つ「月の素材」で作られた3門の本物のレールガン。そこに、コア機体が最大出力で放つ際の1.5倍以上という、規格外の電力を強制的に叩き込む。
「――放てッ!!」
視界を焼き尽くす雷光が三条、夜空を切り裂いた。
数キロ先の巨大架橋は、光の線が触れた瞬間に「蒸発」した。
だが、その威力はあまりにも無慈悲だった。警告は発せられていたものの、沿岸部での防衛戦に従事し、撤退が間に合わなかった数多くの味方の軍人や関係者たち。彼らもまた、数千万トンの海水もろともプラズマの光に飲み込まれ、灰すら残さず消滅した。
「……命中。架橋、完全消失を確認」
オペレーターの声は震えていた。多大な犠牲を払い、近畿への直接侵攻は食い止めた。
しかし、凍り付かせる報告が続く。
「……敵、残存戦力、再編を開始。架橋の修復は行わず、……すべて、陥落した中国地方から陸路での侵攻へシフトしました!」
奴らは近畿への直接上陸を見切り、がら空きとなった西側から陸路で強引に迫るという、極めて合理的で冷酷な判断を下したのだ。
「……九州の和泉中隊長たちの反応はどうなっている」
防衛大臣の掠れた問いに、司令室を支配していたのは沈黙だった。モニターの西半分は不気味なノイズに覆われ、味方の識別信号は一つも点灯していない。
「信号途絶。……現実的に考えて、あの絶対座標の物量に飲み込まれ、航空支援も制空権も失った状況で、彼らが生き残っているなどとは……あり得ません。全滅したものと判断すべきです」
つい数日前まで、この室内にいた人間たちは「あのコア機体がなければ人類に明日はない」「彼らを決して死なせるな」と、和泉たちを最重要戦力としてもてはやしていた。
だが、いざ絶望的な戦況を前にすると、彼らは「現実的ではない」という言葉一つで、英雄たちの存在を事務的に切り捨てた。救助に向かう戦力も、その意志も、今の司令部には一欠片も残っていなかった。
「――『列島断層作戦』を発動する。直ちに琵琶湖ラインの爆破準備にかかれ。西を見捨て、東を死守する」
大臣の重い声が、司令室に響き渡る。
直ちに、福井の若狭湾から琵琶湖、そして琵琶湖から大阪を分断して大阪湾へと抜けるラインに戦略爆薬を設置すべく、数多の部隊が慌ただしく動き始めた。
その地帯が吹き飛べば、日本海と琵琶湖が完全に繋がり、西日本は物理的に切り離されることとなる。まさに狂気の防衛策であった。
それは、今なお戦っているはずの者たちを、国家が公式に棄てた瞬間だった。
軍の記録上、小島を含む、九州進行の防衛を行っていた和泉達は「作戦行動中に未帰還。死亡」と、一行で処理された。
国に見捨てられ、通信さえ届かない暗黒の西日本。
だが、司令部の誰もが「現実的にあり得ない」と断じたその絶望の淵で。
ただ一ヶ所、敵の猛砲火を受けながらも、なお消えない微かな「光」が残っていることを、彼らはまだ知らない。




