生還者たちの小休止2
戦場に完全な静寂は訪れない。最前線では依然として、敵の次なる侵攻の兆候を掴むべく、血走った目での厳重な監視体制が敷かれていた。
だが、陣地を覆う空気は最悪だった。
混乱を極める無線の向こう側から、四国方面の悲鳴にも似た通信が絶えず漏れ聞こえてくる。「南が落ちた」「後退しろ」――断片的な情報だけでも、四国が陥落の危機にあることは前線の兵士たちに容易に察しがついた。
自分たちがここで命がけで守り抜いたものは、無駄だったのではないか。そんな不安と絶望が、伝染病のように陣地全体へ蔓延し始めていた。
臨時格納庫で治療を受けながら、和泉はその重苦しい空気を肌で感じ取っていた。
(……このままでは、次の戦闘を待たずに部隊が内側から崩れる)
和泉は決して、感傷だけで弔いの儀式を行おうとするような男ではない。だが、恐怖に呑まれかけている彼らには今、すがるべき「強固な錨」が必要だった。
「……おい。誰か、酒を持ってる奴はいないか」
包帯まみれの和泉が、唐突に口を開いた。誰かが水筒に入れた少量の酒を差し出すと、和泉はそれを受け取り、さらに傍らの通信兵に向かって言った。
「新品の酒瓶をよこせ。それと陸上部隊に伝令だ。空砲を詰めた小銃を持ってこい。動ける他部隊の人間も、可能な限り海岸線に集めろ」
規則違反スレスレの要求に、通信兵が戸惑い、傍らに立つ小島の顔を伺う。
だが小島は、和泉を止めることも、たしなめることもしなかった。ただ無言で顎をしゃくり、それを許可する。恐怖に侵食されつつある前線の兵士たちの心を繋ぎ止めるのは、司令官としての正論ではなく、実際に死地から生還した和泉という男の「役割」だと、小島は完全に理解していた。
数十分後。
戦闘機が墜落し、潮風が吹きすさぶ海岸線に、泥と硝煙にまみれたボロボロの兵士たちが整列していた。
和泉は痛む足を引きずりながら波打ち際に立つと、届けられた真新しい酒瓶の封を開け、その中身を静かに海へと流した。
「総員、敬礼!」
和泉の号令が、波の音を裂いて響き渡る。
同時に、一列に並んだ陸上部隊員たちが一斉に空へ向けて銃を構えた。
ダァァァンッ!!
弔銃の空砲が、曇天の空に連続して打ち鳴らされる。火薬の匂いが潮風に混じり、散っていった者たちの魂を見送るように海面へと流れていった。
銃声の余韻が消えた後、和泉は振り返り、不安げに揺れる兵士たちの目を見据えて口を開いた。
「ご苦労だった。だが、お前たちもわかっている通り、これはまだ序盤戦に過ぎない」
和泉の声は低く、しかし確かな熱を帯びて全員の鼓膜を打った。
「戦況は最悪だ。すぐに四国への増援として死地に回される部隊も出てくるだろう。関東へ戻る者、ここに残る者……それぞれの道は分かれる。だが、俺たちはここにいる」
和泉は背後にある、伊達たちが修理を続ける野戦格納庫を親指で指し示した。
「さっき見せた通りだ。ここは落ちない。もし別の戦場で足がすくみ、怖くなったら……ここへ来い」
兵士たちの顔つきが、ハッと変わる。不安で濁っていた瞳に、一本の太い芯が通っていく。
「これは散っていった者たちへの弔いであり、生き残ったお前たちへの約束だ。死にそうになったら、なりふり構わずここへ逃げ込んでこい。俺たちがいるこの絶対座標は、絶対に落とさせん」
波の音だけが響く中、兵士たちの目に、静かだが力強い光が戻っていくのがわかった。
「解散!」
他部隊の兵士たちがそれぞれの持ち場へ散っていくのを見届けた後、和泉は残った自らの部隊のメンバー――第1から第4小隊の面々と、黙って様子を見ていた小島に向き直った。
その顔から先ほどの「頼れる防衛線の象徴」としての表情が消え、冷徹な前線指揮官の顔へと切り替わる。
「……ここからは、ただの持久戦じゃなくなるぞ」
和泉の言葉に、小隊員たちの間に実戦的な緊張が走る。
「さっき俺がやり合った『やつ』の機動力と学習能力……あれを見た限り、敵にはまだ不気味なほどの余力がある。これまでのようなどんぶり勘定の物量押しから、確実に戦術を変えてきている」
現在、部隊でまともに動くのは第3、第4小隊の機体のみ。和泉たちの機体は伊達たちが「共食い整備」で修復を試みているが、補給物資が届くまでは到底戦える状態ではない。
和泉は舌打ちをするように息を吐いた。
「打って出るしかない様子を見るような戦い方は俺の性に合わんが……今は、ここを死守して守りに入るしかない。輸送部隊が到着次第、全機の修復と再編を急げ」
和泉は部下たちの顔を一人一人見回し、獰猛な笑みを浮かべた。
「次の襲撃に備えろ。牙を磨いておけ」




