フェーズ・エグジット2
「和泉隊長、ここは我々が。予定通り、橋への突破を!」
背後を固める山本の重厚な声が無線に響いた。彼は熱ダレで悲鳴を上げるガトリングを強引に唸らせ、北側の斜面から雪崩れ込む敵の影を正確に薙ぎ払い続けていた。
和泉の機体が満身創痍なのは誰もが理解していたが、その動きに淀みはない。それどころか、小島からのデータ支援と完全に噛み合ったその機動は、部隊員たちに「まだ舞える」という確信すら抱かせていた。和泉のバイタルが限界域にあることを知る者は、この戦場には司令部の小島しかいない。
(和泉隊長……。この状況でなお、一歩も引かぬか)
山本はバイザー越しに、先頭を往く和泉の背中を見つめる。通常弾幕を足止めに使い、弾切れの恐怖を微塵も感じさせない冷徹な進軍。隊員たちはその背中に引き寄せられるように、死地の出口である橋へと歩を進めていた。
山本の信頼を受け止める和泉の視界は、すでに小島が展開した煙幕と、至近距離で炸裂し続ける爆炎に完全に塗り潰されていた。
コクピットの外部モニターは、真っ白なノイズと、時折混じる赤黒い炎の影を映し出すのみ。もはや、肉眼で敵を捉えることは不可能だった。機体警告音は絶え間ない耳鳴りへと変わり、内部を充満する熱気が、和泉の意識を外側から削り取っていく。
だが、その「何も見えない」はずの世界で、和泉の脳内には鮮明な青い線が引かれていた。
小島がコンソールを叩き、データとして送り込んでくる座標情報。それは、混濁する意識の中で唯一の、絶対的な「現実」だった。
(……見えているぞ、小島。お前の引いた「道」がな)
小島が作り出す寸分たがわぬ撤退の道は、死角から迫る敵の爪を紙一重でかわさせ、逆に僚機たちの火力を最適解の地点へと集約させる。和泉の唇が、無意識に歪な笑みを刻む。司令部で血を流しながらコンソールを叩いているであろう男と、この地獄の底で神経が直結しているかのような万能感。
だがその時、小島の精緻なデータ領域の「外側」――予測された火線と座標の隙間を縫うようにして、氷の針で刺すような殺気が和泉の肌を焼いた。
「――下がれ! 源田、石井、結城! 今すぐ後退しろッ!!」
和泉の、今まで聞いたこともないような鋭い絶叫が、全機の通信を叩き割った。
直後、橋の入り口を確保しようとしていた三機の目の前で、人工の煙幕が垂直に切り裂かれた。まるで、そこにある煙そのものを斬り伏せたかのように。
そこに、ソレはいた。
人型。だが、これまで見てきた無機質な構造体とは明らかに異質だった。その右手には、緑白く発光する、まるで妖刀のような光を纏った「刃」が握られている。それは、これまでの敵には欠落していた「個」としての意思と、明確な殺意を放っていた。
「……させん!」
迷いは即、死に直結する。和泉は機体の反動を無視し、融解寸前のレールガンの引き金を限界まで絞り込んだ。
放たれたプラズマ弾が、緑白の光を飲み込み、爆炎とともに敵の影を煙の向こう側へと弾き飛ばす。
(……いや、まだだ。死んでいない)
直感が告げていた。今の衝撃で、あの「個」が消えるはずがない。
もし、奴を逃がし、あの橋を渡らせてしまえば、待機している部隊や国民を待つのは一方的な惨劇だ。自分たちの撤退が失敗しようとも、刺し違えてでもここで仕留めなければならない。和泉はすぐさま司令部の小島へ通信を飛ばした。
「小島、煙幕展開を停止! 3分後、この座標に全火力を集中投下。残弾すべてをここに叩き込め!」
一斉射による焦土作戦。それは自らを囮にし、死地に留まる覚悟の表れだった。
「全機、今の爆発に紛れて橋へ駆け込め! 180秒後にここへ鉄の雨が降る。一秒でも遅れるな、これは死ぬための戦いじゃない!」
アグレッサーの僚機たちが、橋を渡るべく全出力を解放する。背後では、小島のタクトに応じ、陸自の重砲火が巨大な放物線を描いてこちらへ向かっていた。
だが、撤退を開始した和泉のモニターの端、晴れゆく煙幕の揺らぎの向こう側に、彼は見てしまった。
先ほど吹き飛ばしたはずの、あの「刃」を持つ敵が、平然と立ち上がっている。
煙の中から、無機質なはずの敵の視線が、獲物を定めるようにじっとこちらを射抜いていた。その眼光は、まるでこちらの「退路」をあざ笑い、誘い込んでいるかのように、不気味に輝き続けていた。




