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アグレッサーの記憶と、訣別の煙

和泉は独り、強襲揚陸艦の無機質な通路を歩いていた。


艦内のあちこちで、日本への帰還に向けた準備が慌ただしく進められている。急造のストレッチャーで運ばれていく負傷兵たち。物資の固定を急ぐ整備員たち。彼らは和泉とすれ違う際、一様に足を止め、無言で深く敬礼をした。


和泉もまた歩みを止め、彼らに向かって静かに、深く敬礼を返した。

彼らの瞳には、自分たちを地獄から生還させてくれた英雄への感謝と、これからたった一人で死地へ向かおうとする男への痛切な悲しみが混ざり合っていた。


やがて、和泉はある区画の前で足を止めた。

そこは、作戦会議室として使われていた大部屋だった。今はもう機材も片付けられ、もぬけの殻となっている。


和泉は薄暗い室内を見渡し、ふと足を止めた。

ここは海を渡る前、護衛艦の艦長たちやアグレッサーの面々と、深夜まで激しい作戦会議を重ねた場所だ。机の上には各艦の配置図や、弾薬の計算式が殴り書きされた跡がまだ微かに残っている。


自分がどれだけ残酷な言葉で突き放そうとも、ここで共に頭を抱え、策を練り、熱を共有した馬鹿な仲間たちは、絶対に自分を一人にはしない。必ず自分について来ると、和泉の心の奥底には確信に近い無言の信頼があった。


和泉は誰もいない部屋の中央へ向かい、海に散っていった艦長たち、そして佐々木に向けて、音もなく静かに敬礼を捧げた。


言葉は不要だった。

そのまま踵を返し、和泉は昇降リフトへと力強く歩みを進めた。


――強襲揚陸艦の広大な飛行甲板。

そこには、潮風が容赦なく吹き荒れていた。分厚い雲の隙間から差し込む光が、銀色に侵食された異星のような大陸を不気味に照らし出している。


出撃準備を終え、甲板に固定された白亜の機体『キメラ』の脚部に寄りかかりながら、和泉はポケットから潰れかけた煙草の箱を取り出した。


箱の中には、もう最後の一本しか残っていなかった。

和泉はそれを咥え、オイルライターで火をつける。深く吸い込むと、ニコチンの強い苦味が、張り詰めた肺の奥へと染み渡った。


見上げる空は高く、どこまでも無慈悲に広がっている。

前方には、すべての元凶である『神の城』が威容を誇っている。


和泉は一人、甲板の端で紫煙を吐き出した。

風に流されていくその煙は、儚く、あっけなく空へと溶けて消えていく。


直後、海側から不意に強い突風が吹き付け、和泉の野戦服を大きく揺らした。

それはまるで、先に征った者たちが背中を力強く叩き、「さっさと行け」と笑いかけているかのような、温かくも荒々しい風だった。


和泉は目を細め、フッと口角を上げた。


「……分かってるよ」


咥えていた煙草を指に挟み、自嘲気味に息を吐く。

一人でカッコをつけて吸う最後の煙草だというのに、やけに苦く、砂を噛むように不味かった。吸い殻を暗い海へと投げ捨てようとした、その時だった。


「――独りで黄昏れてるところ悪いんだがよ」


冷たい海風を切り裂くように、背後から不躾な声が響いた。

和泉が振り返ると、そこには彼が「待っていた」光景が広がっていた。


「……お前ら」


源田、杉田、菅野、酒井、金子、片倉――。

日本へ撤退する準備をしているはずのアグレッサーの中隊長たちが、完全武装のパイロットスーツに身を包んで歩いてくる。

彼らの背後には、同じく野戦服姿の小島や、大きなレンチを肩に担いだ伊達、そして旗艦に乗り組むパイロットや整備兵たちの姿もある。


この激戦を生き残った者たちの、実に半数以上が、それぞれの場所から和泉へと一直線に「戦う意志」を向けていた。


「どういうつもりだ。撤退しろと命令したはずだぞ」


和泉があえて凄んでみせるが、彼らの歩みは止まらない。

先頭を歩く源田が、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。


「撤退? 誰がそんなこと言った。俺たちはただ、忘れ物を取りに来ただけだ」


「忘れ物だと?」


「ああ。一人で地獄に行こうとしてる、どうしようもなく世話の焼ける仲間をな」


酒井が肩をすくめ、金子が凛とした視線で和泉を真っ直ぐに射抜く。


「和泉隊長。私たちは私たちの意志でここまで来ています。誰に強制されたわけでもなく、勢いでもなく。……私たちの覚悟を甘く見ないでください」


「お前ら……本気で言ってるのか。この先に行けば、今度こそ誰も帰れなくなるかもしれないんだぞ」


和泉の警告を遮るように、小島が前に出た。


「お前は本当に昔から、大事なところだけ自分一人で抱え込む悪い癖がある」


小島はそう吐き捨てると、手にしていた無線機を和泉の胸元へと力強く放り投げた。

和泉がそれを受け取った直後、無線機からは周囲に停泊する残存艦艇のあちこちから、次々と声が響き渡ってきた。


『こちら第三護衛艦、残留志願者の移乗完了。本艦はこれより上陸支援に回る』

『補給艦より報告。負傷者および帰還部隊の収容完了。本土への帰還準備よし』


他艦に乗っている無数の将兵たちからの報告を聞き届けた後、小島は和泉を真っ直ぐに見据えた。


「帰還を希望したからといって、別にお前を置いていくつもりなどあいつらには毛頭ない。ここに帰ってくるつもりで帰ると、皆が言っていた」


小島は言葉を切ると、少しだけ表情を和らげた。


「傷を負ったままでは足手まといになる。あの城を落とすには、より多くの物資が必要になる。あいつらも、自分たちの無力さは痛いほど分かっている。……それでも、多くの者がお前をサポートし、お前を守ろうとしているんだぞ」


そして、小島は背後にそびえる銀色の大地を力強く指差した。


「残る志願者と俺たちは、お前と共にあの銀色の大地に上陸し、橋頭堡を築く。……それが、俺たちが出した結論だ」


和泉がふと海原へ視線を向けると、負傷兵や帰還兵たちを乗せた数隻の輸送船と護衛艦が、重々しい汽笛の音を空震わせて響かせながら、ゆっくりと船体を反転させていた。

彼らは決して逃げるのではない。和泉たちが築く陣地へ、次なる希望と物資を届けるための「未来の生命線」として、再び死の海を越えて本土へと帰還していくのだ。甲板からは、遠ざかる強襲揚陸艦へ向けて、幾人もの兵士たちがちぎれるほどに手を振っているのが見えた。


和泉は言葉を失い、目の前に立つ仲間たちの顔を一人ひとり見渡した。


誰の目にも、死への恐怖や迷いはない。あるのは、和泉という男と共に地獄の底まで付き合ってやるという、狂気じみた信頼と意地だけだった。

和泉はゆっくりと顔を覆い、腹の底から、抑えきれない笑いを込み上げさせた。


「……俺の部隊は、やはり最高にバカだな」


和泉が顔を上げると、そこにはかつての獰猛で不敵なアグレッサーの隊長の顔が戻っていた。

彼は手にした無線機のスイッチを押し込み、全艦隊の回線へ向けて口を開いた。


「聞いての通りだ。置いていくぞ、お前ら。俺に一秒でも遅れた奴から海の藻屑だ」


「上等だ! 一秒でも遅れたら、俺がアンタのケツを蹴り飛ばしてやるよ!」


源田の咆哮に合わせ、甲板に集ったパイロットたちが一斉に拳を突き上げた。開かれたままの通信マイクがその雄叫びを拾い、全艦隊の志願者たちへと熱狂として伝播していく。


和泉はニヤリと笑って無線機を小島へ放り返すと、勢いよく身を翻し、キメラのコックピットへと跳躍した。

もう孤独な煙草はいらない。馬鹿な仲間たちと共に吸う戦場の硝煙の匂いこそが、自分にはお似合いだ。


ハッチが閉ざされ、起動音がコックピットを満たす中、和泉はふと息を吐き出した。


「……やっぱり、こうなるか。俺たちは本当にバカばっかりだよ、シン」


『……非論理的だ。個体の生存確率を自ら引き下げる選択など、私の計算の範疇外だ』


シンの無機質な声に、わずかな演算の揺らぎ――驚きのようなものが混じる。


『だが……かつて佐々木という個体が言っていた、「人の心は計算できない」という事象の証明としては、完全なデータだ』


和泉は獰猛に笑い、操縦桿を強く握りしめた。


「ああ。征こうか、我が戦友よ」


白亜の機体が莫大なエネルギーを放ちながら空へと舞い上がる。それに続くように、アグレッサーたちの機体が次々と甲板を蹴り、銀色の空へと飛び立っていった。


意地と絆で結ばれた鋼の群れは、『神の城』への進撃を支えるため、眼前に広がる未知の銀色の大地へ向けて、上陸への第一歩となる飛翔を開始した。

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