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選択の刻と、ただ一つの誓い

銀色に侵食されたユーラシア大陸への上陸を目前に控え、残存艦隊は波の穏やかな沿岸部で一時的な停泊と陣形の再編を行っていた。


旗艦の巨大な飛行甲板には、生き残ったすべてのアグレッサーのパイロットたち、そして各艦の艦長や乗組員の代表者たちが集められていた。吹き抜ける海風は冷たく、分厚い雲の隙間から差し込む光は、彼らの足元に濃く重い影を落としている。


整列した彼らの前に立ち、小島が手に持つタブレットから視線を上げて、淡々と、しかし残酷な事実を口にした。


「……現在の戦力状況を報告する」


小島の声が、静まり返った甲板に響く。


「海を渡り、敵の防衛線を突破する過程で、我が艦隊は全艦艇の実に五割を喪失した。残存する艦艇にも多数の損傷が見られる。アグレッサー部隊も、全体の約四割が中破以上のダメージを抱え、稼働エネルギーおよび実弾兵装の残量も、危険水域に達している」


誰も言葉を発しない。ただ、俯く者たちの重い息遣いだけが聞こえていた。


「さらに、奥に見える二つ目の『神の城』……あそこへ到達するまでに、どれだけの敵が待ち受けているかは完全に未知数だ。これが、我々の現状だ」


小島が報告を終えて一歩下がる。

パイロットたちの顔には、色濃い疲労と、途方もない死の恐怖が張り付いていた。九州奪還の時に見せたような熱狂や希望は、数万の狂気的な特攻と、目の前で沈んでいった数多の仲間たちと共に、冷たい海の底へと引きずり込まれてしまっていた。

何より、艦隊の要であった佐々木を失ったという事実が、彼らのメンタルと体力を限界まで削り取っている。ギリギリのところで立っているだけで、精一杯だった。


重苦しい沈黙が甲板を支配する中。

ただ一人、真っ直ぐに顔を上げた和泉が、ゆっくりと皆の前に歩み出た。


パイロットたちの視線が、彼らの「最強の矛」へと集まる。檄を飛ばされるのか。それとも、次なる死地への命令が下るのか。誰もが身構えた、次の瞬間だった。


「――お前ら、日本へ撤退しろ」


和泉の口から放たれたその一言に、源田や金子をはじめ、その場にいた全員が息を呑み、目を見開いた。


「い、和泉さん……!? 撤退って、何を言って……」

石井が戸惑いの声を上げるが、和泉は静かに片手を上げてそれを制した。そして、小島へと視線を向ける。


「小島。お前が責任を持って、こいつらを連れて帰れ」


小島は何も答えず、ただ静かに目を伏せた。和泉が何を背負い込もうとしているのか、長年の相棒である彼には痛いほど伝わっていた。


「俺たちがここで引けばどうなるか。それは俺が一番よく分かっている。敵は再びあの巨大な防衛線を築き直し、遠からず日本も完全に焼き尽くされるだろう。……だがな」


和泉は、一人ひとりの顔を真っ直ぐに見据えた。泥と煤にまみれ、傷つき、それでもここまで戦い抜いてきた仲間たちの顔を。


「あの銀色の絶望のド真ん中へ進むのに、今の状態じゃ無理だ。これ以上、お前たちを俺の戦いに巻き込むわけにはいかない。ここからは自分の意志で、もう一度選べ。撤退するなら、残った船を全部持っていけ」


和泉の言葉は、どこまでも穏やかで、静かだった。


「死にたくない。怖い。……それは当たり前の感情だ。俺はその気持ちを、最大限に尊重する。強要もしない。お前たちはもう、十分に戦ったんだ」


海風が、和泉の野戦服を揺らす。彼はふと目を伏せ、自嘲するように小さく笑った。


「今まで、俺が皆を守ってきたなんて、心のどこかで驕っていた時期もあった。最強の機体に乗って、俺が前線をこじ開ければ誰も死なずに済むってな。……だけど、違った」


和泉の脳裏に、いくつもの顔が浮かぶ。

関門海峡で自分を庇って散った山本たち。弾幕の盾となってくれた南雲。そして今日、自分の目の前で文字通り命を削って『壁』となってくれた佐々木。


「俺が守ってきたんじゃない。俺はいつも……あいつらに助けられ、命を懸けて守られて、生かされてきただけだ。だからこそ、彼らが命を懸けて繋いでくれたこの道を、俺は無駄にするわけにはいかない」


顔を上げた和泉の瞳には、決して揺るがない、昏く燃えるような覚悟が宿っていた。


「俺は行く。たとえこの先でたった一人、無様に死ぬことになっても……俺は戦う。ここまで一緒に来てくれたこと、心から感謝している。日本に帰って、家族や大切な奴らと暮らしてくれ」


和泉は踵を返し、ただ一機、甲板で出撃の準備を終えて佇む『キメラ』へと歩き出す。


数万の特攻を相手に数時間も暴れ狂いながら、その白き機体は致命的なダメージを一切負っていなかった。ひしゃげた武装を伊達がパージし、予備の兵装をマウントするだけで出撃可能になっていたのだ。和泉の神がかった戦闘センスと、シンの完璧な演算制御が生み出す、他のパイロットとは次元の違う圧倒的な異常性。それこそが、彼が「一人で行く」と言い切れる理由の一つでもあった。


その果てしなく遠い背中を見送るアグレッサーたち。

だが、彼らは和泉の言葉に感動し、納得して見送ったわけでは決してなかった。


(……ふざけんな)


源田は、ギリッと血が滲むほどに奥歯を噛み締めた。

金子も、酒井も、杉田たちも同じだった。彼らの胸の内を占めていたのは、強烈な「怒り」と「失望」だった。


『これ以上、お前たちを巻き込めない』

『日本に帰って家族と暮らしてくれ』


和泉のその言葉は、優しさや気遣いから出たものだと頭では分かっている。だが、それは裏を返せば、自分たちが「足手まといだ」と言われたのも同然だった。

共に地獄をくぐり抜け、共に境界線を守り、共に世界を救うためにここまで来たというのに。和泉は結局、自分たちの覚悟など端から見ていなかったのではないか。自分たちのことを、ただ守られるだけの弱者だとしか思っていなかったのではないか。


あまりにも残酷な突き放しに、彼らは反論する言葉すら見つからず、ただ金縛りにあったようにその場から動くことができなかった。


「――ここからは、俺一人の戦いだ」


和泉の静かな誓いが、波の音に溶けていく。

誰にも頼らず、すべてを一人で救おうとする最強の男の背中を、怒りと失望に縛られた仲間たちは、ただ無言で睨みつけ続けることしかできなかった。

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