境界の盾と、崩れゆく壁
歓喜は、瞬きほどの間に凍りついた。
吹き飛んだ第三砲台の真下から現れた『第六の巨砲』。その砲身の奥で臨界点に達した白群色の光が、油断しきった艦隊の中央――旗艦のブリッジへと容赦なく照準を合わせていた。
「動け……ッ!」
和泉は血の滲むような声で叫び、操縦桿を限界まで押し込んだ。だが、機体はわずかに痙攣するだけで前へ進まない。
先ほどの完璧な一斉射撃で、全機体のエネルギーは文字通り空になっていた。『キメラ』の関節部は赤熱し、強制冷却の警告音がコックピット内にけたたましく鳴り響いている。
金子も、源田も、杉田たちも同じだった。誰一人として即座に身を翻すことができない。かろうじて動ける片倉や酒井たち前衛部隊は、各エース機を狙う敵の残党を抑え込むのに手一杯であり、艦隊の中央までは絶望的に距離が離れすぎていた。
旗艦が沈む。人類の希望が、ここで潰える。
その絶対的な死の予感に誰もが息を呑んだその瞬間。
「――中央防衛陣形、第一種。俺の背後から離れるな」
極めて冷静な、しかし岩のように揺るぎない声が通信帯を抜けた。
オーバーヒートしたエース機たちの間を縫うようにして、ただ一機、艦隊の正面へと躍り出た機体があった。
艦隊の中央防衛を任されていた佐々木だ。彼は最大チャージ攻撃に参加していなかったがゆえに、唯一、この瞬間に完全な状態で動ける位置にいた。
「佐々木! 駄目だ、その機体単独のシールドで耐えきれる出力じゃねえ!」
小島の悲痛な叫びを遮るように、佐々木の背後に数機の『境界線のアグレッサー』たちが群がった。彼らは共に最前線を戦い抜いてきた仲間たちだった。機体を直接接触させ、規格外のエネルギーケーブルを強引に接続する。
「佐々木さん! 俺たちのエネルギーも全部持っていってください!」
「四機分のシールド出力なら、あるいは……!」
だが、接続された瞬間に流れてきた敵砲台の出力予測値を読み取り、佐々木は静かに目を伏せた。
(……駄目だ。束ねたところで、この熱量には耐えられない。全員が蒸発する)
敵の放つ閃光が、砲口から溢れ出ようとしたまさにその時。
佐々木は、自らの命を触媒にしてコアを強制励起させた。彼自身が持つ、機体と精神を極限まで同調させて引き出す『蒼』の力。かつて和泉が『神の城』に単騎で挑んだ時に己の命を燃やして皆を守ったように、今度は佐々木がその命を盾とする番だった。
佐々木の機体から、海原を照らすほどのまばゆい蒼光が噴き上がる。
佐々木は自機のエネルギーパスを強制切断すると、機体から溢れ出した強大な『蒼』のシールドを波のように展開し、背後にいた仲間たちを優しく、しかし有無を言わさぬ力で後方の安全圏へと弾き飛ばした。
「佐々木さん……!?」
後方へ流されながら、仲間が悲痛な声を上げる。
「これは俺の仕事だ」
直後、視界のすべてを焼き尽くす白群色の光が放たれた。
「ウオォォォォォォォッ!!」
佐々木の裂帛の咆哮と共に、蒼く輝く機体が猛烈なエネルギーの濁流に飲み込まれる。
正面から受け止めるのではない。限界を超えて展開した蒼の盾を「斜め上」に構え、莫大なエネルギーの奔流を強引に天空へと逸らしていく。
分厚い特殊装甲が瞬く間に赤熱し、装甲表面が飴のように溶け落ちていく。機体の駆動系が悲鳴を上げ、関節部から高圧のオイルが血のように噴き出した。操縦桿を握る両腕の骨が軋み、佐々木自身の命の炎が激しく削られていく。それでも彼は一歩も引かず、盾の角度を固定し続けた。
やがて、強引に軌道を逸らされた莫大なエネルギーは、旗艦の頭上を掠めて厚い雲を吹き飛ばし、天空へと消え去っていった。
光が収束した後の海上に残されていたのは、両腕を失い、全身の装甲がどろどろに溶け落ちて黒焦げになった佐々木の機体だけだった。エネルギーは完全に底を突き、もはや自立することすらやっとの状態だ。
「佐々木……! よく、耐え……」
和泉が絞り出すように声をかけた直後。
沈黙した海面から、おぞましい数の敵の自律兵器群が次々と這い上がり、機能を停止した佐々木の機体へと群がり始めた。
それは、死にゆく獲物に群がる飢えた獣のような光景だった。数十機の敵が、動けない佐々木の装甲にブレードを突き立て、装甲の隙間から内部機構を破壊しようと無機質に這い回る。
「やめろォォッ!!」
和泉は冷却の終わらない『キメラ』のシステムを強制起動させ、遠隔のエネルギーバリアを佐々木の周囲に展開した。
だが、限界を超えた機体から絞り出されたバリアは薄く、群がる敵の執拗な攻撃の前に、ガラスのようにあっけなく貫通され、砕け散ってしまった。
再び、和泉の視界が絶望に染まる。
(まただ。……また、俺の目の前で……)
守りたかったものが、自分の手の隙間からこぼれ落ちていく。どう足掻いても、もう助けには間に合わない。和泉の顔が苦痛に歪んだ。
その時だった。
『――俺ではなく、あの砲台を壊してください! それが、俺たちの……!』
ノイズまみれの通信帯に、佐々木の血を吐くような咆哮が轟いた。
全身に刃を突き立てられながらも、佐々木の瞳には微塵の恐怖もなかった。
彼の脳裏に、走馬灯のようにかつての記憶が蘇る。
名もなき戦場で、自分を庇って無残に散っていった山本たち。
関門海峡の地獄の中で、決して退かずに境界線を守り抜いていた、和泉の傷だらけの背中。
絶望的な戦力差の中、死を覚悟した自分たちを助けるために集結してくれた無数の人々。
そして、全員が血と泥にまみれながら、ついに成し遂げた九州の奪還――。
(俺たちはもう、名も無き亡霊じゃない。……あの男が切り拓き、皆で繋いできた未来を護る『盾』だ)
ならば、この命を使い潰すことに、何一つ悔いはない。
佐々木は動かなくなった機体の質量そのものを壁とし、最後の最後まで第六砲台への射線を確保し続けた。
「……佐々木ィィィィッ!!」
和泉の絶叫と共に、『キメラ』の冷却が完了する。同時に、旗艦の主砲と、息を吹き返した各エース機たちの砲身に、すべての怒りと悲しみを乗せた莫大なエネルギーが再充填された。
佐々木が文字通り命を削って稼ぎ出した、数十秒という奇跡。
その犠牲によって生み出された絶対的な勝機を、彼らが逃すはずがなかった。
「撃てェェェェェェッ!!!」
海原を覆い尽くすほどの閃光が、再び一斉に解き放たれる。
怒りの火線は、次弾を装填しようとしていた『第六の巨砲』の砲身を真正面から粉砕し、要塞の奥深くへと突き刺さった。
激しい連鎖爆発が大地を揺るがし、ユーラシア大陸の沿岸部を覆っていた未知の分厚い装甲壁が、ついに轟音と共に崩れ落ちていく。
人類を阻み続けた巨大な壁が、完全に崩壊したのだ。
だが、大陸への道が切り拓かれたその絶景を背に。
限界を超え、数多の敵に蹂躙された佐々木の機体は、その役目を終えたようにゆっくりと形を失い始めていた。かつて南雲が命を散らした時と同じように、機体と佐々木自身の存在が、淡く儚い蒼い光の粒子となって空へと溶けていく。
最期の瞬間。
佐々木の機体のコアが、和泉の深層にいるシンと不可視のパスで繋がった。
和泉たち人間の耳には決して届かない、未知の電子音と演算による交信。
人間と、人智を超えた存在との間で、わずかな時間にどのような対話が交わされたのかは誰にもわからない。
だが、その短くも確かなやり取りを終えた直後。
『……おい、シン』
ノイズの向こう側で、微かな、しかし誇りに満ちた佐々木の声が響いた。
『俺たちの希望を……あとは、頼んだぞ』
『……ああ。引き受けた、人間の戦士よ』
シンの静かな応答を聞き届けたかのように。
境界線の盾として立ち塞がった男は、崩れゆく要塞の壁を背に、夜明けの空へと完全に溶けて消えていった。




