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絶望の汀

艦隊は、アジア大陸の沿岸部まで残り数十キロの海域――敵の地対艦ミサイルや沿岸砲の射程外と推測されるポイントで制動をかけ、静かに錨を下ろした。

安全距離を確保した直後、旗艦から複数の高高度偵察ドローンが大陸の沿岸部へと射出されていく。


一方、後方では重油の浮いた黒い海面から、油まみれの生存者たちが次々と引き上げられていた。

残存艦艇の半数を割いて必死の捜索を続けていたが、冷たい海から戻ってきた命は、失われたものの数に対してあまりにも少ない。「死なせない」と誓った奮闘の虚しさが、独立連合艦隊の空気を重く沈み込ませていた。


そして旗艦の作戦会議室では、ホログラムモニターを囲み、和泉、小島、各アグレッサーの隊長たち、そして傷一つなく生き残った「残された護衛艦」の艦長たちによる緊急の作戦会議が開かれていた。


モニターには、先ほど放たれた偵察ドローンからの映像がリアルタイムで映し出されている。

『……これが、現在の目標ポイント、アジア大陸沿岸部です』


小島の沈痛な報告に、会議室に息を呑む音が響いた。

事前の衛星データでは、そこはかつて世界有数の貿易港として栄えていたはずだった。だが、美しい砂浜や港湾施設の面影など微塵もない。

海岸線数十キロにわたって、黒光りする未知の金属装甲が地面を覆い尽くし、ハリネズミのように無数の巨大砲門が海に向けて突き出されている。海上で遭遇したものより、さらに巨大で強固な「重火器防衛陣地」が構築されていたのだ。


『さらに現状の戦力・物資のステータスです。護衛艦十三隻をロストし、全艦の迎撃弾薬の約三割を消費しました。官邸には情報を送り続けているため、状況を把握した向こうが後続で追加の補給を送ってくれる可能性はありますが……』

「来る可能性は低い。すぐにはアテにできねえな」


小島の言葉を引き継ぎ、和泉が腕を組んで低く呟いた。今ある物資の残量で、大陸の『神の城』まで戦い抜く前提で動く必要があった。


「今回の敗因は、前衛に戦力を集中させすぎたことと、圧倒的な物量で押し潰されたことだ」

和泉は冷徹に戦況を振り返り、ホログラムの陣形図を指差した。

「俺の広域シールドも、艦隊すべてを覆うほどの範囲に広げちまうと強度が保てねえ。数十機による一点突破を防ぐのは難しいと分かった。……小島、アグレッサー部隊の配置を換えるぞ」


和泉はホログラム上の機体アイコンを動かしながら、具体的な再配置を指示していく。

「防衛戦になった場合、機動力のある源田と岩本を両サイドに即座に対応できる遊撃位置に置け。酒井中隊は前面の防御を多めにしつつ、サイドにも少し戦力を散らす。杉田と菅野のところに五機ずつ回せ」

「杉田と菅野の部隊は、今のままサイドの最外殻はじを死守。金子は小島と同じ位置に下がり、後方からの射線管理の徹底を小島と連携してやれ」

「さらに金子中隊は、片倉中隊と火力を連携させる。片倉中隊は最後尾の護衛を減らし、陣形の中央すぐ後ろに付け直せ」


和泉の指示を受け、隊長たちが即座に議論を深め始めた。

「了解した。俺と岩本で遊撃に回り、両翼の穴を即座に塞ぐ」(源田)

「金子中隊と片倉中隊の射線が被らないよう、高度でレイヤーを分けましょう。俺たちが上段から撃ち下ろし、片倉中隊が水平射撃で面制圧を敷く」(金子)

「それなら、中央に回り込んだ敵もクロスファイアで完全に処理できるな。最後尾は各艦の直衛機とCIWSに任せる」(片倉)


『……了解。各隊の意見を統合し、ただちに戦術ネットワークの配置データを書き換えます』

小島が素早く指を動かし、新たな複合防衛陣形を構築していく。

誰もが、目の前で散っていった艦長たちの犠牲を無駄にしないため、必死に戦術の綻びを埋め、次なる戦闘への準備を固めていた。


だが、問題は残っている。

モニターに映る、沿岸部の巨大要塞だ。艦をこれ以上近づければ、ただのマトになる。


「……あの弾幕の死角は、俺が一人で探り出してくる。揚陸のための橋頭堡を築くための、先行偵察だ」


不意に、和泉がそう口にした。

会議室の空気がピタリと止まり、全員の視線が和泉の背中に突き刺さる。

和泉はモニターから目を逸らし、誰の顔も見ようとはしなかった。背を向けたまま、出撃の準備に向かおうと作戦会議室の扉へと歩き出し、そのドアノブへと手をかけた。


和泉の脳裏には、先ほどの戦闘で火柱を上げて沈んでいった大森艦長たちの姿が焼き付いていた。

事実として、彼はこれまで百五十五機を率い、神の城を落とすという不可能を何度も可能にしてきた。死線に何度も怯え、死にそうになったことなど数え切れない。それでもすべてを超えて勝利を掴んできた男の背中に、すべてを託すことは周囲にとっても簡単なことだった。和泉自身も、世界を救う戦いにおいて犠牲者が出ることは頭では分かっていたはずだった。

だが、実際に海へと散っていく命を目の当たりにし、これ以上、自分の指揮で誰かが死ぬのを見たくなかった。ならば、すべてを超越してきた自分が単機で突っ込み、少しでも敵の数を減らした方がいい。


そう思い、扉を開けようとした瞬間だった。


ガツンッ!!!


和泉の頬に、乾いた拳が容赦なく叩き込まれた。

不意を突かれた和泉の巨体がたたらを踏む。殴りかかったのは、アグレッサーの面々ではない。失われた仲間たちの思いを背負い、ここに残された、無事な護衛艦の艦長の一人だった。


「……ふざけるな、和泉司令」

艦長は制服の襟を掴むほどの勢いで、血を吐くような鋭い視線で和泉を睨みつけていた。背後では、他の残された艦長たちも同じように、悲痛な怒りを湛えて彼を見据えている。


「一人で背負い込んで、死に急ぐつもりか? ……俺たちを庇って自爆していった奴らは、あんたの足手まといだったとでも言いたいのか!」

「……ッ」

「あいつらは、あんたを一人で死なせるために盾になったんじゃない。全員で、この先の未来を掴むために命を張ったんだ! 舐めるな!!」


艦長の怒声が、静まり返った会議室に木霊した。


だが、和泉はすぐには折れなかった。

殴られた頬からゆっくりと手を離した和泉の目には、冷徹な、そして底知れない漆黒の感情が渦巻いていた。誰も死なせたくないという狂気的なまでの責任感、そして大森たちを守りきれなかった己への激しい悔恨。それらが、和泉の頑なな意志と混ざり合い、爆発的な「圧」となって室内に噴き出した。


ゴォォォォォォ……ッ!!!


コックピットにいないにもかかわらず、脳内のシン、そして愛機『キメラ』の残響と同調するかのように、空間全面が歪むほどの凄まじい威圧感が和泉を中心に膨れ上がる。

それは作戦会議室だけに留まらなかった。壁を、床を伝い、旗艦である強襲揚陸艦の巨体そのものをミシミシと震わせるほどの、圧倒的で重苦しいプレッシャーが船全体を容赦なく巻き込んでいく。

「一人で行くと言ったら、一人で行く。これ以上、誰も死なせねえ」

声音そのものに殺気じみた重圧が宿り、並の兵士なら呼吸すら困難になるほどの、ヒリヒリとした絶対的な拒絶の空気が会議室を支配した。


しかし――残された艦長たちは、その圧倒的な圧を前にしても、誰一人として目を逸らさず、一歩も退かなかった。

それどころか、和泉の背後からは、源田のフッと鼻を鳴らす声が聞こえた。

「相変わらず大した覇気だがよ、大隊長。そいつは敵さんにぶつけな」


和泉がハッとして振り返ると、そこには佐々木、源田、酒井をはじめとするアグレッサーの仲間たちが、その凶悪なプレッシャーを真っ向から受け止めながら、不敵に笑っていた。誰一人として彼を「一人で行かせる」つもりなどないという、強い決意の目を向けていた。


艦長たちの退かない覚悟の眼差しと、命を預け合ってきた仲間たちの視線。

それらを正面から受け止めた和泉は、やがて小さく息を吐き出すと、船全体を包み込んでいた息苦しいほどの圧を静かに霧散させた。

だが、その瞳に宿る決意の炎だけは、決して揺らいではいなかった。


「……あんたらが言いたいことも、痛いほどよく分かる。だがな、今回は俺だけで行く」


静まり返った会議室に、和泉の低く、しかし絶対的な響きを持った声が落ちる。仲間たちが何かを言いかけるのを手で制し、和泉は言葉を続けた。


「勘違いすんじゃねえぞ。俺がお前らを足手まといだと思ったことなんて一度もねえし、背中を預けられねえくらい信頼してないわけでもねえ。むしろ逆だ」


和泉は扉から手を離し、振り返って、一人ひとりの顔を真っ直ぐに見据えた。


「これは、あくまで偵察だ。あの狂った要塞の懐に潜り込んで、防衛網の死角と弾幕のクセを洗い出してくる。……俺はちゃんと帰ってくる。だから、お前らも少し頭冷やして落ち着け」


その言葉に込められたのは、自己犠牲や殉教者のような安い感傷ではない。

指揮官として、圧倒的な実力を持つエースとして、冷徹に勝利を引き寄せるための最も合理的な判断だった。和泉の決して揺るがない目を見て、源田も佐々木も、そして艦長たちも、不満げに顔をしかめながらもそれ以上止める言葉を飲み込んだ。


和泉は彼らの納得を無言で受け取ると、最後にコンソールに向かっている小島へと視線を向けた。


「小島。俺の機体に、偵察用の高精度カメラを付けといてくれ。俺が帰ってくるまでに、そのデータを使って確実な突破口を突く作戦立案、頼むぞ」


「……わかった」


小島の力強い頷きを背に受け、和泉は作戦会議室を後にした。

冷たい海風が吹き抜ける甲板へと続く薄暗い通路を歩き、外部へ通じる重い金属ハッチの前に立った和泉は、脳内に棲む『友人』へと意識を向けた。


(……笑いたきゃ笑えよ、シン。俺としたことが、柄にもなく熱くなっちまった)


『ふん。人間というものは、かくも非合理で感情的な生き物か。最も生存確率の高いお前が単機で情報収集に向かうという論理的判断を、あのような暴力で引き留めるとはな』


シンの無機質な声には呆れたような響きがあったが、どこかこの状況を面白がっているような気配も混じっていた。


「ああ、理屈じゃねえんだよ。……だが、あの拳のおかげで目が覚めた。口では偵察なんて偉そうなことを言ったが、俺は一人で全部背負い込んで、無意識のうちに『死に場所』を探しちまってたのかもしれねえ」


『……一人ですべてを背負い、死に場所を求める。私と同じ道ではないのか』


シンの静かな問いかけに、和泉はハッチの冷たい金属に手を触れながら、ふっと口角を上げた。


「そうはならんさ。……あいつら、俺を深海まで迎えに来ただろ」


和泉の脳裏に、かつて自分を深い絶望の底から引き上げてくれた仲間たちの姿がよぎる。


「俺がもし、『一人ですべてを殺してくる』と言ったら、あいつらは文句一つ言わずについてくるような馬鹿どもだ。だが……今回は違った。あいつらは俺と共に死地に飛び込むんじゃなく、俺が帰ってくるのを『待つ準備を整えること』を選んだんだ」


『待つ、か……』


「おまけに、俺が威圧プレッシャーをぶち撒けた時も『俺たちもついていく』とは言わなかった。その覇気は敵にぶつけろって、俺の背中を蹴っ飛ばしやがったんだ」


『……人間とは、かくも不可解で、強靭なものか。お前がここで死ねば、俺の目的も潰えるのだからな。……だが、今の貴様の思考回路はクリアだ。あの狂った防衛網の死角、この俺の演算能力をもってすれば容易く暴いてみせよう』


「ああ。あのデカいマトのど真ん中、一緒に風穴を開けに行くぞ」


『キメラ』の起動シークエンスを指示しながら、和泉は不敵に笑う。

重いハッチを開け放ち、一人出撃へと向かうその背中は、背負い込んだ死の重圧から解放され、どこまでも研ぎ澄まされた一本の「無敵の矛」へと立ち返っていた。

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