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最後の打電

「各艦へ通達! 陣形を維持したまま、艦隊全体をゆっくりと後退させろ! 前衛との距離を取り、迎撃の時間を稼ぐんだ!」


後方で指揮を執る小島の指示を受け、六十隻を超える巨大な艦艇群が一斉に制動をかけた。波を蹴立てるスクリューが逆転し、鋼鉄の巨体が後退へと転じる――その、ほんの一瞬、船が完全に静止するタイミングだった。


敵の群れを統べる無機質なシステムは、人類の戦術が産み出したその微かな隙を、絶対に見逃さなかった。


『――敵群、動きが変わります! 中央の進行を停止、左右に大きく分散!』


小島の報告が通信回路に響き渡る。

海面を覆い尽くす黒い波が、和泉たちエース部隊を迂回するように二手に分かれ、アグレッサー部隊の防衛配置が最も薄い、艦隊の両翼外郭へと向かって爆発的な大跳躍を敢行したのだ。


だが、小島は絶望に飲まれる前に、血を吐くような境地で戦術ネットワークを叩いた。


『右翼・菅野隊、左翼・杉田隊、ただちに散開して迎撃ラインを構築しろ! 片倉中隊は直掩アグレッサーの薄い艦を最優先でカバー! 中央、金子中隊をはじめとする遠距離型は、全火力を左右の両翼へ集中! 抜かせるな!!』


小島の号令と同時に、外郭を固める数十隻の護衛艦群から、垂直発射システム(VLS)による対空ミサイルが空を焦がして突き上がり、5インチ単装砲が咆哮を上げ、近接防御火器(CIWS)が毎分何千発もの弾丸を狂ったように吐き出した。金子たちの遠距離狙撃も加わり、砲身が焼け焦げるほどの圧倒的な弾幕が張られる。


しかし、それをさらに上回るのが、奴らの「数の暴力」だった。弾幕の隙間を縫い、爆風を突き抜けて迫り来る無数の黒い影。


「死なせるかよ……一隻だって、沈めさせねえ!!」


和泉は全通信回路を繋ぎ、吠えた。

「お前ら、気合を入れ直せ! ここが正念場だ、絶対に通すな!!」

『応ッ!!!』


アグレッサーたちと艦艇からの悲壮な雄叫びが通信回路を震わせる。

中央前衛から引き返した和泉は、怒りと焦燥のままに操縦桿を押し込んだ。脳内のシンへ意識を直結させ、キメラ機体の全出力を限界以上に解放する。機体の核から溢れ出した眩いばかりのエネルギーが、空間を歪めながら広大な光の障壁――『神の遺産』の力を引き出した超広域シールドとなって展開された。


それは両翼の護衛艦群を丸ごと覆い隠すほどの巨大な光の盾だった。

押し寄せる敵の第一波がシールドに激突し、凄まじい衝撃波が海面を叩き割る。だが、光の盾は揺るがなかった。和泉のシールドの防壁と、アグレッサー部隊の死に物狂いの迎撃、護衛艦からの飽和攻撃が完璧に噛み合い、散開した敵の第一波を見事に粉砕し、退けたのだ。


「やったか……!」

誰かが通信越しに呟いた。だが、安堵の暇など一秒も与えられなかった。


海面を跳躍してくる黒い波は、間髪入れずに第二波、第三波となって押し寄せる。

キィィィィィィィィン――ッ!!!


空間を圧するような、不快な高周波の摩擦音が激しく鳴り響く。

障壁の表面に群がった無数の近接特化型が、その鋭利な四肢と超高周波の局所破壊攻撃を一斉に突き立てていた。


「もってくれ……!」


和泉が歯を食いしばる。だが、どれほど絶大な出力を誇る未知の力であっても、これほど広範囲に薄く引き伸ばしたシールドは、連続する一点への集中負荷に耐えきれなかった。光のシールドに、ガラスがひび割れるような禍々しい亀裂が走り始める。


パキン、と乾いた音が響いた直後。


『左翼のシールド、限界です! 突破されます!!』

小島の報告と同時に、左翼側の広域シールドが派手に砕け散った。


「クソッ、左翼をカバーしろ! 撃ち漏らすな!」


和泉の指示で、遊撃に回っていた片倉中隊や中央の火力が一斉に左翼の穴を塞ぎにかかる。

しかし、それこそが自律AIの狙いだった。

防衛のバランスが左に傾き、右翼側への火力が一瞬薄くなる。そのコンマ数秒の隙を突かれ、今度は右翼側に群がっていた敵が、一気にシールドを食い破ったのだ。


「クソがッ!!」


両翼の障壁を強引に突き破った敵の群れが、堰を切った濁流のように、護衛艦の船体へと雪崩を打って乗り込んでいく。


『これ以上、奴らを船に近づけるな!! 叩き落とせ!!』


菅野の悲痛な叫びを合図に、防衛線を死守するアグレッサー部隊もまた、限界を超えた死に物狂いの奮闘を開始した。

杉田の部隊が海面を滑走しながら、艦へと跳躍する敵の機動を強引に遮り、片倉中隊も直衛の薄い艦の甲板へと降り立ち、文字通り肉薄する敵を至近距離から迎え撃つ。各艦に配置された直衛機たちも、プラズマブレードを狂ったように振り回し、弾薬を撃ち尽くす勢いで群がる敵を叩き落としていった。


しかし、一機で複数を相手にする過酷な局地戦。どれだけアグレッサーが超絶的な機動で敵を解体しても、数の暴力はその包囲網すらも容易く飽和させていく。


鋼鉄の悲鳴と共に、船体が食い破られていく。

深海の未知の装甲で補強された護衛艦群は頑強だったが、奴らの執拗な破壊攻撃に対しては、あまりにも脆弱だった。このまま中枢部まで侵入され、ミサイルや弾薬庫に引火して大爆発を起こせば、すぐ隣の陣形中央に位置する最も護るべき民間船や輸送艦までをも確実に巻き込んでしまう。


その最悪の連鎖を予見した護衛艦の艦長たちは、誰に命じられるでもなく、冷徹に、そして静かに己の引き際を決定した。


『第七ミサイル護衛艦「はたかぜ」艦長、大森だ。――各艦へ通達。本艦はこれより戦列を離脱し、面舵一杯で外海へ向かう。敵の波頭を限界まで引きつける』


通信回路に響いたのは、左翼で防衛の要を担っていた老練な艦長の声だった。

それを皮切りに、敵に完全に取り憑かれ、もはや撃沈が免れないと悟った護衛艦が次々と陣形を離れ始めた。黒煙を吹き上げながら、艦隊を誘爆に巻き込まないよう、可能な限り遠くの海域へと船を走らせていく。


『総員、退艦! 救命胴衣を着けて直ちに海へ飛び込め! 生き延びろ!』


艦長たちが乗組員たちに叫ぶ。次々と海へ飛び込んでいく船員たち。

無数の敵に取り付かれた鋼鉄の巨艦の甲板で、なおも戦おうとする直衛のアグレッサーに対し、艦長たちは最後の命令を突きつけた。


『直衛のアグレッサー! 我々に構うな! すぐにここを離れ、内側の中央民間船を守りに行け!!』


『ですが艦長、まだあなたがブリッジに……!』


『いいから行けェッ!! 未来を繋ぐのが我々の仕事だ!!』


その悲壮な怒声に、アグレッサーのパイロットたちは血の涙を流しながら機体を跳躍させ、中央の民間船へと後退していく。


最前線でその通信を聞いていた和泉は、怒りと悲しみで目の前が真っ白に染まるのを感じていた。


「ふざけんな! 馬鹿野郎ども、勝手な真似すんじゃねえ! 今すぐ俺が行く、踏ん張れ!!」


和泉は眼前の敵を改修型レールガンで消し飛ばし、プラズマブレードで滅多斬りにしながら、強引に包囲を抜けようとする。操縦桿を握る両手が、激しい怒りと悔恨で震えていた。


その怒りの矛先は、勝手な自己犠牲を選んだ艦長たちではない。

「誰も死なせない」と心に誓い、広域シールドまで展開しながら、結局は誰一人として守りきれず、あきらめを選ばせることになってしまった、自分自身の圧倒的な力不足に対してだった。


百五十五機のアグレッサーを率い、九州の『神の城』を落とした時のような奇跡をまた起こす気でいた。

世界を救うという途方もない戦いにおいて、犠牲者が出ることなど頭では分かっていたはずだった。だが、命が失われていく残酷な事実を実際に目の当たりにすると、「全員は守りきれなかった」という指揮官としての力不足が、深い悲しみと激しい怒りとなって和泉の胸を抉った。


『和泉司令。短い間だったが、あんたらの背中、最高に頼もしかったぞ』

『あの上層部をぶん殴った時は、本当に胸がすいた。……俺たちの分まで、絶対に世界を救ってくれ』


「やめろ……通信を切るな! おい!!」


和泉の絶叫を遮るように、通信の向こう側で敵を道連れにするための自爆の爆発音が轟いた。


ドドォォォォォォォォォッ……!!!


艦隊の左右の遥か遠方で、巨大な火柱が次々と夜明けの空へ立ち昇る。

小島の目の前にあるレーダーから、友軍の光点が一つ、また一つと消え去っていく。


『……護衛艦七隻、ミサイル護衛艦六隻……ロスト。計十三隻、撃沈されました……』


小島の震える声が、全通信回路に虚しく響いた。

全艦艇の実に二割。それが、民間船という「希望」や、共に征くアグレッサーの仲間たちを最期まで護り抜くという、軍人としての責務を自ら全うし、敵を限界まで引きつけて散っていった、誇り高き盾たちの数だった。


「……アァァァァァァァァァァッ!!」


和泉の獣のような咆哮が響き渡る。

彼は守れなかった事実への絶望を振り払うように、狂鬼の如き猛攻で残る敵の群れへと突撃した。その圧倒的な怒りに呼応し、源田も、佐々木も、艦隊の全員が死に物狂いで敵を殲滅していった。


やがて、水平線から湧き出ていた黒い波は完全に途絶え、海に静寂が戻った。


『……和泉、敵の完全沈黙を確認しました』


小島の沈痛な報告に、朝日に照らされた海面を見つめる和泉は、荒い息を吐きながら深く息を吸い込んだ。

黒煙を上げる鋼の残骸と、真っ黒な油膜がどこまでも広がっている。

だが、感情に流されて立ち止まることだけは、指揮官として絶対に許されなかった。いつ次の網が仕掛けられ、敵の増援が襲ってくるか分からないのだ。


「……小島、各隊の被害状況をまとめろ。損傷した機体はただちにドック入りさせて修復を急がせろ。次の攻撃へ備えるんだ」

『了解。……ただちに修復シークエンスへと移行します』


和泉の冷徹とも言える速やかな指示に、小島がすぐに応じる。和泉はモニターに映る油まみれの海面を見つめながら、さらに続けた。


「それと、残存艦隊をこれより二つに分ける。半数は周囲の警戒に当たらせ、いつ敵が来てもいいように迎撃態勢を維持。もう半数はただちに救助班を編成し、海に飛び込んだ連中の捜索に向かわせろ」


言葉を一度区切り、和泉は嗄れた声にありったけの意志を込める。


「救える命は、すべて救う。一人でも多く、絶対に引き上げろ!!」


その号令のもと、独立連合艦隊は次戦への張り詰めた警戒を維持しながら、迅速に生存者の救助作業へと移行した。

引き上げられた者の中には、すでに息を引き取っている者も少なくない。


「死なせない」という奮闘も虚しく、指の隙間から命がこぼれ落ちていく現実。

しかし、痛切な犠牲と、託された軍人たちの魂をその背に重く背負いながら、独立連合艦隊は、それでも止まることなく、未知の大陸へ向けて舵を前へ切るのだった。

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