煙草の苦味と、世界の輪郭
上層部という重石を跳ね除け、「連合軍」としての独立を宣言したあの熱狂から数時間が過ぎた。
ドックの片隅、整備兵たちが仮眠を取り静まり返った暗がりの中で、和泉は自らの愛機である白き獣の装甲に背を預け、一人、紫煙をくゆらせていた。
「……マズいな、相変わらず」
肺に吸い込んだ煙を吐き出しながら、和泉はポツリとこぼした。
帰還してからというもの、和泉は絶え間なく煙草をふかし続けていた。元々、好き好んで吸うタチではない。ニコチンの味などこれっぽっちも美味いとは思っていないのに、今はひたすらにこの苦味で、脳内を焦がすようなプレッシャーをごまかすしかなかった。
(……どれだけ威勢よく吠えたところで、現実はシビアだ)
和泉は手元の携帯端末を開き、大陸側の不鮮明なマップを睨みつけた。
現在、この「連合軍」の最大戦力であるキメラ機体は、どんなに贔屓目に見ても百五十五機しかない。神の遺産には限りがあり、これ以上機体を増やすことは物理的に不可能だ。
たった百五十五機で、海を渡る。
言うのは簡単だが、現実には地獄のような補給線の問題が立ちはだかる。海を越えた先の大陸がどうなっているか、生き残りがいるのかどうかも分からない。ただ海を渡るだけでも、未知の防衛網や天候に阻まれ、何機が海の藻屑になるか想像もつかなかった。
百五十五機だけで戦い抜くには、限界がある。これ以上の犠牲を出さないためには、アグレッサー以外の兵士たちも前線で戦えるような戦術と、海を越えるための強固な支援体制を構築しなければならない。
「……俺の単機で、先行するか」
和泉は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
部下たちを、整備兵たちを、得体の知れない死地へ連れて行くくらいなら。この機体と自分の命だけをチップにして、海を渡った方がマシではないか。
そんな和泉の苦悩を断ち切るように、脳内の『シン』が静かに息をつく気配がした。
『……くだらない考えはよせ、和泉。お前一人で世界を救えるほど、俺たちの敵は甘くない』
(分かってるさ。……だが、百五十機そこらじゃ、どう足掻いても補給線が保たねえ)
『ああ。お前の懸念は正しい。俺とお前がどれほど深く共鳴しようと、たった一機の機動力と出力には物理的な限界がある。……それに、海を渡った先に待ち受けているものは、数の暴力だけではないからな』
シンは和泉の視覚を通し、巨大な白い機体を見上げた。
『敵の拠点たる『神の城』……あの中枢を外殻から力技で破壊するには、俺たちがかつて乗っていたような、同胞たちが多数で制御する超大型艦の主砲クラスの火力が必要になる。今のこの小さな機体の武装では、外壁を破ることすらほぼ不可能だ』
(……つまり、九州の時と同じように、少数の機体で内部に侵入して、中からぶっ壊すしかねえってことか)
『そういうことだ。城の内部制圧には、どうしても『数』の連携が必要になる。お前一人では、中枢に辿り着く前に防衛機構にすり潰されるだろう。……それに、もう一つ厄介な問題がある』
シンはかつての記憶を辿るように、少しだけ声音を沈めた。
『城を内部から破壊し、機能停止させれば、あの巨大な質量は重力に引かれて墜落する。もしそれを陸地の上でやれば、地上には隕石衝突レベルの多大な被害が出る。九州の時は運よく海へと崩落させられたが、大陸のど真ん中で墜落させれば、お前たちが救おうとしている人間たちごと、広大な土地を灰燼に帰すことになるぞ』
(……チッ。中からしか壊せねえ上に、落とす場所まで考えなきゃならねえのか)
和泉は舌打ちし、無意識にまた新しい煙草を箱から引き抜こうとして――それがすでに空になっていることに気づき、箱をくしゃりと握り潰した。
(それで、そのクソデカい『城』は、世界にあといくつ残ってるんだ? アンタの記憶の範囲でいい)
和泉の問いに、シンは淡々と、しかし絶望的な事実を告げた。
『俺が記憶している、最後の通信情報の範囲だが……アジア大陸の奥地に、少なくとも二つ。ヨーロッパに二つ。アメリカ大陸にも二つ。そして、オーストラリアに一つだ』
和泉は目を閉じ、大きく息を吐き出した。
最低でも、七つ。
あの九州で、アグレッサー大隊が半壊し、数え切れないほどの血を流してようやく一つ落とした『神の城』が、世界にはまだ七つもそびえ立っているのだ。
「……笑えねえ冗談だぜ、まったく」
和泉は空になった煙草の箱をゴミ箱へ放り投げた。
苦悩している暇はない。俺一人で背負うなどという感傷も、ただの現実逃避だ。
「小島や源田たちだけじゃ足りねえ。……生き残った別部隊の連中も、整備班も、補給部隊も、全部巻き込んで、海を渡る『道』を作らなきゃならねえな」
『フッ……それでこそだ。人間どもの意地、見せてもらおうか。……ここで、我は我のできることをするとしよう』
和泉は背中を預けていた白い機体から身を離し、再び足を踏み出した。
権力者たちを蹴り飛ばし、自分たちで握りしめた「連合軍」の舵。その行き先は途方もない地獄だが、立ち止まるという選択肢は、もう最初から存在しなかった。




