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艦を間違えた者たち

総司令部の視察団が怒り狂って引き揚げてから数時間が経過し、佐世保基地の岸壁に接岸された強襲揚陸艦の下層ドックには、静かに夕闇が迫っていた。


「……ま、あの怒鳴り合いの最中に、他部隊の連中をしれっと後ろから逃がしておいて正解だったな」


薄暗いドックの隅で、源田がふう、と息を吐きながら呟いた。

視察団との衝突が不可避だと察した瞬間、源田たちは機体や資材を融通してくれた現地部隊の兵士たちに目配せし、軍部のお偉いさんに見つからないよう死角からドックの外へと逃がしていたのだ。彼らまで巻き込んで軍歴に傷をつけさせるわけにはいかなかったからである。


「ああ。あいつらも『上層部の不興を買った大隊』の仲間にされちゃたまらねえからな」


小島が同意しながら、大きく腹の虫を鳴らした。

朝から不眠不休で整備を続けている上に、上層部は腹いせのように食料を含むすべての支給品を引き揚げていった。ドックの外には見せしめとばかりに多くの見張りが配置され、事実上の軟禁状態、あるいは兵糧攻めに遭っていた。


「大隊長……ビスケット、これだけしか残ってないっす」


若い整備兵が、申し訳なさそうに小さな箱を持ってきた。百五十五名のパイロットと大勢の整備兵たちを満たすには、あまりにも絶望的な量だ。和泉は一転して何か他にないかとドック内を探してみたが、どこを見ても残っている食料は微々たるものだった。


「上等だ。半分に割って、まずは整備兵から食わせろ。パイロットは水で腹を膨らませておけ」


和泉は笑ってそう指示を出したが、さすがに全員の限界が近い。誰もが疲労と空腹で無口になり、静まり返ったドックで、少ないビスケットを静かに分け合って齧る音だけが虚しく響いていた。


その時だった。


「……誰だ」


入り口とは反対側、岸壁から直接繋がっている搬入用ハッチの暗がりで何かが動いた。

和泉の鋭い声に、小島や源田が一斉に腰のホルスターからハンドガンを抜き放つ。事実上の軟禁下に置かれた彼らは、いつ強行制圧部隊が来てもいいように武装したまま整備を続けていたのだ。誰もが息を呑んで視線を向けたその時、影から大きなバックパックを背負った数人の男たちが忍び込んできた。


彼らは武装しておらず、両手を上げて敵意がないことを示している。


「……撃たないでください、和泉さん」


男たちの階級章を見て、酒井が目を丸くした。

「あんたたち……総司令部にいる高級将官の付き人じゃないか。なんでこんな所に」


「私たちは……九州防衛戦で最後まで戦い抜いた、高橋一佐の元部下です」


男の一人が静かに、だが誇り高い声で告げた。その名前に、和泉たちの顔つきが変わる。九州の最前線で、民間人を逃がすために命を賭して戦線を維持した、あの偉大な指揮官。


「先ほどの視察団とのやり取り、ここから逃げた整備兵たちから聞きました。上層部のやり方はあまりにも目に余る……。我々は立場上、表立って軍部には逆らえません。ですが、あの地獄で高橋一佐の無念を晴らし、九州を救ってくれた英雄を飢えさせることだけは絶対にできないと、一佐の戦友、盟友であった将官の方々から命を受け、この物資を運んできました」


男たちがバックパックのジッパーを開けると、中からは高級なレーション、缶詰、真空パックの肉、そして水筒に詰められた温かいスープが大量に出てきた。これらは、表立って動けない彼らの盟友や部下たちが、全力を尽して手配してくれたものだった。


「……恩に着る」


和泉が短く、しかし深く頭を下げると、男たちは無言で敬礼し、再びタラップの暗がりへと消えていった。


だが、驚きはそれだけでは終わらなかった。

ドックの外を警備しているはずの軍上層部の見張りたちの目を盗み、あるいは見張りたち自身も「見て見ぬふり」をしているのか――整備用のキャットウォークや下層ハッチの隙間から、また一人、また一人と、他部隊の兵士たちがドックへと忍び込んできたのだ。


何も言わず、ただ無言で自分の分の配給品が入った紙袋を置いていく陸軍の歩兵。その袋には、不器用な字で書かれたメモが貼られていた。

『九州を救ってくれてありがとう。あんたたちがあのとき私達を救ってくれたおかげで、俺たちの今がある』


さらに、海防隊のメカニックが置いていったメモには、ただ一言、感謝と祈りが綴られていた。

『先ほどはありがとうございました。どうかこれで、またあの空を』

そのメモの横には、彼らが持ち寄った貴重な駆動パーツがそっと添えられていた。


正式なルートが閉ざされてもなお、彼らが命を懸けて繋いだ現場の命は、目に見えない強固な絆となって和泉たちを支えようとしていた。


そして極めつけは、格納庫の海側に通じる巨大なランプウェイが開き、重低音の駆動音と共に、一機の『海上仕様の機体』が堂々と姿を現したことだった。

機体から海水をポタポタと滴らせ、フロート装甲を巻いたその分厚いシルエットは、両腕に不釣り合いなほど巨大なコンテナを抱えている。


機体の外部スピーカーから、他部隊のパイロットの能天気な声が響き渡った。


「おっとォ! こりゃいけない、完全にフネを間違えました!!」


彼はわざとらしく、ドックの外にいる見張りたちにも聞こえるような大音量で叫んだ。


「操縦桿が滑ったァー!」


機体が両腕のロックをわざとらしく解除すると、巨大なコンテナが床へドスンと落下し、衝撃でハッチが派手に弾け飛んだ。

外にいた見張りの警備兵たちがその爆音に驚き「おい、何をしている! 止まれ!」と慌てて叫ぶ声が響く。


だが、コンテナの中からは、鋼鉄の床で割れないよう軍用毛布に厳重にくるまれた何本ものワインボトルや、溢れんばかりのパンやソーセージが顔を覗かせていた。そしてその食料の山の下には、アグレッサー用の貴重な機体パーツや、海上仕様への換装パーツがいくつも巧妙に隠されている。食料をカモフラージュにして、必要な機材を強引に運び込んできたのだ。


「いやー、ドジだなぁ俺は! 失礼しましたー!!」


海上仕様の機体は、警備兵の制止を完全に無視し、わざとらしくビシッと敬礼のポーズを決めた。そしてそのまま反転すると、開け放たれたランプウェイから夜の海へと豪快に飛び出し、激しい水しぶきを立てながら自分の船のほうへと颯爽と帰って行った。


一瞬の沈黙の後、ドックの中にいたアグレッサー大隊の面々から、こらえきれない爆笑が沸き起こった。


「なんだあいつ、下手くそな芝居しやがって!」

「操縦桿が滑っただけで、あんな綺麗に食いモンとパーツが出てくるかよ!」


笑い声と共に、若い整備兵たちが届けられた物資と貴重なパーツに群がっていく。

ほんの数十分前まで干からびたビスケットを探していた彼らの目の前には、今や上層部への義理など関係なく、温かい食料と、自分たちの足らざるを補う最高の牙が揃いつつあった。


小島が渡されたソーセージをかじりながら、嬉しそうに和泉を見た。

和泉は配られた温かいスープの入った紙コップを手に持ち、集まった物資と、何より自分たちを信じて命や資材を託してくれた「顔も知らない戦友たち」の想いを見つめていた。


上層部は、権力と物資で彼らを縛り付けようとした。

だが、彼らが命を懸けて繋いだ現場の命は、今や巨大な絆のうねりとなり、和泉たちの背中を強力に押し上げている。


(……フッ、これだけのモンを見せつけられて、引き下がるわけにはいかねえな)


和泉の胸の奥で、確かな決意がさらに鮮明に燃え上がった。国を護るということ、そして自分たちを信じて未来を託してくれた現場の人間たちを、今度は自分たちがその力で導き、最後まで護り抜く。そのために、自分たちはやはり戦うしかないのだと。


和泉はゆっくりと振り返り、ドック内にいる百五十五名のパイロット、そして歴史の表舞台には立たない大勢の整備兵たち全員を見据えた。

騒がしかった格納庫が、大隊長の放つ圧倒的な覇気に包まれ、静まり返る。


「お前ら、よく聞け」


和泉の声が、鋼鉄の壁に反響して響き渡った。


「この飯も、あのパーツも、ただの配給品じゃねえ。この国を護るために必死に生き、俺たちに未来を託してくれた戦友たちからの『魂』だ。わざわざ艦を間違えてまで届けてくれた最高の馬鹿野郎どものためにも、俺たちは絶対に引き下がれねえ」


和泉は紙コップを高く掲げ、不敵で、かつ最高に獰猛な笑みを浮かべた。


「俺たちを信じてくれた奴らのために、俺たちはこれからも先頭に立って戦う。どんな地獄が待っていようが、俺たちが奴らを導き、この国を絶対に護り抜くぞ。お前ら、持ってきてくれた奴らに感謝して、まずは腹いっぱい食え! そして、最高の機体を組み上げるぞ!」


「「「おおおおおおおっ!!!」」」


地鳴りのような咆哮がドックを震わせ、夕闇の格納庫に爆発的な活気と熱気が戻る。

彼らは孤立などしていない。同じ志を持つ無数の現場の連帯と、彼らを率いる和泉の揺るぎない覚悟が、アグレッサー大隊の腹と心を、これまで以上に力強く、そして熱く満たしていった。

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