女神の庭
「わ――っ」
声と同時に水が跳ねた。
尻もちをついたのは浅い水の中だった。
瞬間移動魔法で、「固い岩山へ」と念じたはずだった。
だのに、着地したのは池か泉らしい。やはり、まだうまく制御できていない。
わたしは、やれやれとあたりを見まわした。
周囲は山に囲まれている。ということは、失敗ということではないようだ。この国の地名はさっぱりわからないので、固い岩山とだけ指定したのだった。
着地地点は明確に指定しないといけないのかもしれない。今度やってみよう。
わたしにかけられている追跡魔法を遮断するには、石英や魔石、無理なら固い岩石が必要だった。解除できるまでの間はそれらを使って隠れていなければならない。
立ち上がろうとしたとき、水が一気に退いた。
わお、何なの、どうなってるの⁈
ふいに強い視線を感じて目を上げた。
と、そこには巨大な目が、わたしをじっと見下ろしている。
わたしは一瞬息をとめた。身体が固まる。魔物だろうか?
すると轟音とともに割れるような声が響いた。
「なぜ、おまえはここにいる? 我の掌に」
「えっ?」
わたしは改めて周囲を見まわした。瞬きして目を凝らす。
よく見れば、わたしのいる場所は池や泉ではなかった。
わたしが足をつけていたのは、大きな人らしき者の掌の上で、山と見えたのは巨大な指先だった! それがわたしを取り囲んでいる。
しかし、なぜか恐怖は湧いてこない。驚きだけがわたしのうちにあった。
頭上の巨大な目の三日月を映した瞳が、じっとこちらを見据えている。顔の輪郭は薄青い空に溶け込んで見えなかった。
「ご、ごめんなさい、瞬間移動魔法を失敗してしまったようです……」
「瞬間移動魔法じゃと? なんと!」
突然、大きな笑い声が大気の唸りとなって、わたしを取り囲んだ。
わたしは思わず肩をすくめる。
「くっ――面白い。瞬間移動魔法で神域を超え、やすやすと我の掌に入り込むとはな……我は泉の水を掌ですくったところだったのだ……そなた、人の子か?」
巨大な目は見透かすようにわたしを見つめた。
「なるほど……人にしては魔力はかなりのものだ。まあ、よかろう、間違って来たのなら仕方あるまい」
「お、お許しいただき、ありがとうございます! わたしはルナーリアと申します。 あの、お聞きしても? あなたは、どなた様で、ここはどこでしょう?」
大きな声は、さらに笑い声を響かせた。
「――恐れ知らずのものよな。我名はアルテルナ、此処は我が庭。小さき人の子よ、そなたがいるのは我の掌じゃ」
わたしはいっそう驚きながらも、感動の高まりを感じて跪いた。自分のうちにある何かが激しくきらめき、ほとばしる。
「恐れ入ります、女神さまの御掌中であったとは!」
「追われておるのか。我らは人の諍いには口出しせぬ。さあ、帰るがよい。望むところに送ろう。ああ、これを持って行くがいい。そなたの度胸と真っ直ぐな心は気に入った。役に立つであろう」
ぽとんと何かがわたしの両手の間におさまった。ふわふわした塊だった。
わたしが口を開く前に、空に大きな高笑いがひとしきり起こり、ふいに空間がゆがむ。意識が飛んだ。
*
「――うん……」
胸の上に温かなものが乗っているのを感じて、手を伸ばす。ふわふわとした塊だ。ふわふわの内側はかなり固い皮の感じがした。
なんだろう……
はっと、目を開ける。
身体を起こすと、ふわふわな塊は薄青い色をしていた。見た目は、雲の塊だ。
さっき女神に会ったのは、夢ではなかったらしい。
あたりを見回す。
今わたしがいるのは、まぎれもなく岩山の入口だった。
まだ、女神に会った感動の余韻が残っている。
女神アルテルナは、この国の守護神だと、伯爵家のメイドたちから聞いていた。しかし、あのように巨大な存在だったとは・・・驚愕の思いは消せなかった。
わたしの国、プレシアの守護神は三神だ。暁と夕月の女神アルテルナと、昼をつかさどる男神ロポアス、夜をつかさどるノクハも男神だった。
この神々もまた同じように巨大な存在なのだろうか?
そういえば、プレシアの神殿の彫像もかなり大きな像だったな。実物はそれ以上だったけど……
そんなことを考えていると、お腹が鳴った。
それで朝から何も食べていなかったのを思い出した。伯爵家を飛び出してから、まだそんなには時間は経っていないだろう。
でもこれからのことを考えて、今のうちに何か食べておこう。
わたしは、ふわふわの塊をわきに下ろして、チュニックの内側に手を入れる。そこには空間魔法で収納バッグを取り付けているのだ。
国を出るとき、当分の食料や着替えや必需品を入れてきた。しかし、二年前のこと、食料は大丈夫だろうか?
少し心配しながらパンをひとつ取り出した。見たところは何ともない。匂いを嗅いでみる。悪い匂いはしない。一口かじる。少しパサつくが食べられそうだ、よかった。
パンを食べ終えて、今度は林檎を取り出し、かぶりついた。これも大丈夫。
さあ、これを食べたら岩山の調査だわ! 神官長の追跡魔法を早く遮断せねば。
わたしは、林檎の芯を草むらに放り投げた。




