ライゼルの思惑
ライゼルは、自室のソファに、ぼうぜんと座り込んでいた。
いったい、何がいけなかったんだ?
ルナーリアは、なぜあんなに驚いたのだ?
てっきり、喜ぶとばかり思っていた。
僕は伯爵家の息子だぞ、僕の嫁になれば、下働きのメイドから、奥様になれるんだ。何がいけない?
身分が違う? それなら懇意にしている子爵の養女にして、その後、僕の元に迎えてもいいんだ。
「ああっ」
ライゼルは頭を搔きむしった。
彼には、なぜルナーリアがあれほど驚き、逃げて行ったのか、理解できなかった。
二年前、彼女がこの屋敷に来たとき、変なやつだと思った。
しかし、記憶喪失だとはいえ、下働きのメイドの仕事もちゃんとこなしている様子に、自然と目が行くようになった。
彼女が食事の給仕も手伝い始めたとき、半分興味本位で、あれこれ注文を付けて試してみた。
料理の量や味付けを細かく言い、同時にいくつか注文を出す。すると、彼女は間違うことなく、こちらの注文通りの量と数を持ってくる。かなり複雑な注文を出しても、それは変わらなかった。
ライゼルは舌を巻いた。
他のメイドでは、こうはいかない。二つ以上の注文だと、何度も聞きに来たり。間違っていたりがあたりまえなのだ。
ライゼルは伯爵家の二男だが、兄が書類仕事を嫌い、領地巡りや警備など、次期領主の外回りの仕事を好んで行うものだから、自然、自分に事務仕事が回ってくる。
そういう仕事は嫌いではなかったので、別に文句も言わず引き受けていた。
だから、ルナーリアの頭の良さを知ったとき、嫁にしたら自分の補佐を任せられるかもしれない、と勝手に思ったのだ。
しかも、よく見ると、なかなかの美人だ。もう少し身ぎれいにすれば、並んで歩いても人目を引くに違いない。
しだいに、漆黒の髪に晴れた日の空の瞳をした少女は、ライゼルの心をとらえて放さなくなった。彼女は、この国の守護女神、暁と夕月をつかさどるアルテルナのようだと思うほどに。
この二年近く、彼女の姿を見るために、食事の時間には相変わらず、あれこれ注文を付けて、無理に食べ続けているおかげで、かなり体重が増えていた。
求婚を決意したのは、兄の婚約が決まったことで、次は自分だな……と考えていたこともあるのだが……
なんという神のいたずらか、見てしまったのだ!
それは、いつもの事務仕事に時間がかかり、終わるのが夜中になってしまった日だった。
固くなった肩をほぐしながら、気分転換に屋敷内を少し歩いて自室に戻ろうと、ふらふら歩いているときだった。月はまだ満月ではないが、かなり明るかった。
何やら洗濯場の方で音がする。昼間は雇いの洗濯女やメイドたちが集まって洗濯仕事をしているのだが、こんな夜更けに、何だろう? 何かの獣が屋敷内に紛れ込んできたのだろうか?
ライゼルは、そっと音のする方へ近づき、木の陰に隠れてのぞきこんだ。
(――っ)
彼は息を呑んだ。
そこには、水の入った小さな桶から取り出した布で身体を拭いている少女の姿があった。
彼の方からは後ろ姿しか見えなかったが、月明かりの中で、それは白々と美しかった。
巻き揚げていた黒髪がふわりと降りて背を隠した。ライゼルは動けなかった。息をひそめてじっと見ていた。あれは、ルナーリアだ……
やがて少女は上着を羽織り、暗闇の中へ消えた。
僕の女神だ……なんとしても手に入れたい……
その日以来、ライゼルは彼女に対する思いを我慢しきれなくなった。
そして今日、意を決して求婚したのだった。
それなのに、なぜ、こんなことになったのだろう……
ライゼルは、大きなため息をついた。
そのとき、家令の声がした。
「旦那様がお呼びでございます」




