封印の効果3
――あともう少し……
ルナーリアは、二階の屋根伝いに這って移動し、前庭の大きく張り出した樹の枝へ手を伸ばした。
先ほど、トイレの窓から見えたこの大きな樹は、邸から脱出するのに都合よく思われた。
それを見て決断したのだ。
幸いまだ、見つかってはいない。
メイドたちが、自分のいないことに気がつけば、おそらく大声で叫ぶだろう。窓は開いている。それが聞こえないところをみると、まだ大丈夫そうだった。
樹の枝をしっかり掴む。そろそろと身体を移動させて大きな幹へしがみつく。その後は、地面まで降りるのは簡単だった。
不思議なことに、魔力は封印されたが、身体能力が上がった感じがする。
聴覚も、視覚も通常よりくっきりとしている。しかもなぜか動作が軽い。
外に出せない魔力が体内でこのような働きを起こしているのかもしれなかった。
通常、封印魔法をかけられた者は、よほどのことがないと衰弱することが多いと聞く。
だが、全く自分にその気配がないのは、体質のせいか、あるいは、ナナシが通常でない封印魔法をかけたのか、どちらかだろうと思った。
おじさんの魔力は、わたしより大きいわ。それでさえ、まだ抑えている気がする。口惜しいけど……
樹から降りたわたしは、身をかがめながら裏庭の灌木の間を通り抜け、邸の石塀のそばまで来た。かなり高い。わたしの身長の倍はある。
どうやって乗り越えよう?
いつも、なんでも魔法で処理していた身にはつらい。
魔法が使えないということは、頭を使わねばならないということだ。
あれ、でも昨夜、収納バッグは使えたわ。
わたしは、コートの間から、胸ポケットにしているあたりを探ってみた。
すっと手がバッグに入った。
よかった!
もしかしたら、攻撃魔法に関わらないものは使えるのかも?
何かないかしら……
奥の方に、聖魔女候補で神殿にいたときに着ていた長いチュニックと、細い革紐のベルトが入っているのに気がついた。これなら何とかなるかも。
それらと一緒に短剣を取り出す。
急いでチュニックを切り裂き、倍の長さにして革紐を組み込んで縛る。見た目は悪いが即席のロープだ。革紐の先に短剣を縛り付けた。
石壁の向こう側には木立が続いている。壁に一番近い木のところまで歩いて行った。石壁に上がれば手が届く位置に幹がある。
わたしは狙いを定め、思いっ切り木の幹目指して短剣を投げた。
いつもより、かなり気合が入っていたせいか、思いのほか深く刺さった感覚があった。
封印の効果かしら? 力の出方がすごい。
わたしはチュニックの端を掴むと、すぐに抜けないかどうかを確かめて、一気に石壁を駆け上がった。
おお!
思わず声が洩れる。身体が軽いのだ。ふわりと石壁を蹴って向こう側に着地した。
わたしはそのまま木立の間を走り抜けた。
木立の向こうの片側は、邸へ続く道路が続いている。林の間の道なので、それを見失わないよう走る。
こんもりと灌木やつる草が繁っている場所を通り抜けようとしたとき、灌木の間から、ふらりと姿を現した者がいる。
はっと息を呑む。その者を思わず凝視した。
「なんで、あなたがここに?」
少しやつれて、目をギラギラさせたライゼルが立っていた。
「ルナーリア、ここで会うとは! やはりきみは、僕と出会う運命だったのだ。迎えに来たよ。早くこちらへ――馬車を用意してある」
いつもおっとりしていたライゼルが、めずらしく勢い込んでそう言うと、わたしの手を引っぱって、灌木の茂みの奥へ走り出した。
わたしは、わけはわからないが、とりあえずついて行くことにした。
馬車に乗れるなら、少しでも遠くへ逃れられる。その後のことは、そのとき考えよう。
木立の中には、いくつかこうした灌木やつる草の茂みがあり、なかでも大きい茂みの向こうに、馬車が停まっているのが見えた。
ライゼルは、御者に声をかけて、わたしを押し込み自分も乗り込むと馬車を走らせた。
「どうしてここに?」
「きみが、この別荘に来ることを聞いたんだ。だから助けに、というか、迎えに来た。ここで会えるなんて、奇跡だよ」
息を切らせながら、うれしそうに話した。
「ここで会えなかったら、どうするつもりだったの?」
「ちゃんと計画を立ててたさ。現にうまく馬車を隠してあったろう」
満足そうに言う。
「これからどこへ?」
「邸に戻る。父に僕たちの結婚を認めてもらうんだ」
「えー、ちょっと待って、わたし結婚するなんて言ってないわ――」
「何も心配しなくていい、きみもちゃんとした貴族なのだろう? もう身分違いじゃないから、安心して」
「えっ――」
わたしは言葉に詰まった。
なに言ってるのこの人は――
勘違いしているわ。
そのときだった、馬車が揺れた。と、馬の足が止まった。
「どうした?! 」
ライゼルが御者に向かって声を上げたとき、馬車の扉が開いた。
「なんだ、おまえは!」
ライゼルは入口を見たまま固まった。
わたしも扉の方を見て、小さく声を上げた。
そこには、ナナシが立っていた。
彼はわたしを引っぱり出して、抱き寄せた。
「この娘は返してもらおう。このまま邸へ戻れ。着いたら、今日のことは忘れるがいい」
わたしを、がっしり抱えたまま、指を上にあげて呪文を唱えた。
あたりに強い光が一瞬立ち込めたと思うと、消えた。
馬車の扉はひとりでに閉まり、馬車は走り出した。
なんという魔法を使うのだろう! わたしは驚きの目でそれを見ていた。人の魔法ではない……そんな気がした。




