封印の効果 ジンクside
「まったく、あいつは……」
ルナーリアがナナシと呼ぶ男はつぶやいた。
彼はルナーリアがメイドに連れられて行くのを見送ったあと、ソファに腰を下して左腿をさすった。
先ほど彼女にけりを入れられた場所だ。痛みというほどではない。掠っただけだが、微かにひりつく気合いの痕跡が感じられる。
これで、魔力が発動していたら、この程度ではすまなかっただろう。本気になって相手したかもしれない。
封印しておいてよかった。
しかし、全く無防備なやつだ。いくら昔、知り合った仲だとはいえ……
十一年前、出会った小僧――少年が、少女だったなんて、思わなかった。
真っ黒に日焼けしたクシャクシャ頭のルーアが、女だったとわかったのは、聖魔女候補の調査を、第一王子のテールベルトに命じられたからだった。
ルーアというのが、ルナーリアの愛称だったことも調査でわかった。乳母の話も当時のルーアがあのときの小僧だということを裏付けていた。
それに……あのときルーアは、魔法を使って見せた。
それを見て、こいつはヤバイと思ったのは確かだった。大きな魔力の芽生えが見えたからだ。
それが、ここまで大きな魔力になるとは、予想外だった。
仮面のベールも見抜くほどに。
やっと見つけたあいつは、令嬢とも思えない格好で、あのときのルーアとさほど変わらないみすぼらしい姿をしていた。まあ日焼けはそこまでしていないし、少しは育ってはいたが。ふとルナーリアを抱えたときの重みを思い出した。
近くで見れば、そんなにひどい容姿ではない。可愛い部類だろう。
昨夜ソファで寝ていた彼女の寝顔が浮かんだ。口元が緩む。
だが、そのままで王子に会わせるわけにはいかない。せめて男爵令嬢に見えるくらいには、磨いておかねば。
「ジンク様――」
それまで、彼の傍らに気配なく立っていた従者のケードが声をかけた。
ルナーリアを連れてくるまで、彼はこの部屋で待機させていた。
「なんだか、嬉しそうですね」
「いらぬことを言うな。もう手配はおわったのだな?」
ちらりと従者を見ていう。
「とどこおりなく」
「なら、おまえも少し休め。支度が整うまで、おれはここにいる。警護は不要だ」
「かしこまりました」
ケードは礼を取って、隣の部屋へ下がった。
ナナシは、王子に仕える魔法師のジンクである。
一昨年、盗賊に襲われた貴族を助けたことから、王子の耳に入り、気に入られて側に仕えるようになった。
本来ならば、誰かに仕えるなど彼の性分ではないのだが、なぜか受け入れて、今日まで来ている。
従者のケードは、王子が彼につけた魔法騎士である。王子の腹心である彼が自分の従者になったのは、お目付け役としてだと察していた。
性格は意外に気さくで、軽口も叩けるほどの付き合いができる。ジンクは堅苦しいのは苦手だ。このくらいなら、と我慢している。
ルナーリアの支度が整ったら、王子を迎えに行けばよい。近々会わせると、王子には伝えてある。
しかし……と、また笑いをもらしながら思う。
ほんとうに、じゃじゃ馬だな……
部屋の中を見て歩く。
家具も調度品も悪くはない。
王子殿下をお呼びしても大丈夫だろう。
この邸を手配するのは、意外にも簡単だった。
数日前、ルナーリアが記憶を失って、ルレッド伯爵のところで世話になっていたということを、諜報の者が知らせてきた。
詳しい話を聞きに行ったとき、内々で別荘を借りる約束を取り付けたのだ。
密かに王子に会わせる場所としてだが、本当のことは言っていない。帰る前の一時休養と彼女の身支度をするためにと。
伯爵に会いに行くときは、魔法は使わず馬車で行った。無用な警戒心を抱かせないためだ。テルナンは、魔法が日常な国ではない。
親切な伯爵は、快く話を受け入れてくれた。
当然それなりの謝礼は渡しておいたが。
プレシアには、神官長の監視網が張りめぐらされている。ルナーリアを今、連れて帰るのはリスクが高い。それより、そこまで監視の強くない他国の安全な場所に王子を連れて移動した方が目立たないだろう。
主命は、神官長より先に見つけ出して、こっそり会わせろということなのだから。
それができるのは自分だからだ、と自負している。
プレシアを含む五か国は、遥か昔、幻と言われるルマネ大帝国の直轄地だった。大帝国の力が弱まり彼らが撤退したのち、この地の人々は領地をめぐって争った。
戦が終わって現在の形の五か国となったが、言語は大帝国の言語がそのまま使われている。それぞれの国は、方言としての違いくらいだった。
そういう点では、言葉の苦労はない。
ルレッド伯爵領は、隣国オリエンとの境にある。この別荘は、地理的にもプレシアに近い場所だ。王子を連れて移動魔法を使うなら、少しでも近いほうがいい。魔力の消耗が違う。
そのときが、思いがけなく早くやってきたわけだが――
「ジンク様ぁ――っ!」
激しくドアを叩く音と、自分を呼ぶ声で、回想は、そこで途切れた。
ドアが開かれ、初老のメイドが叫ぶように言った。
「申し訳ございません、逃げられました!」
メイドは頭を下げる。
「なんだと、どういうことだ」
「お嬢様にドレスをお着せするところだったのですが、わたしたちが油断したすきに、姿を消してしまわれました!」
メイドは頭を下げたままだった。
驚いて化粧ルームへ走る。
若いメイドが、震えながら言った。
「トイレを使いたいからと、こちらにお入りになったのです。私どもにはついてくるなと、きつくおっしゃって」
トイレの窓が開いているのが見えた。
「なかなか、お戻りにならないので、ドアを開いて見ましたら、この通りでございました」
青ざめた顔で言う。
「開けたのは今か? 」
「今でございます。入られたのは、四半刻は経っておりません」
急いで窓を確かめ、外をのぞいた。
人一人くらいは通れる。しかもここは二階。一階の屋根がすぐ下に続いている。
まさか令嬢がこんなところから降りて逃げるとはだれも思わないだろう。
「ドレスも着ていなかったのか?」
「少し寒いからと、コートを羽織ってお入りになりました」
「わかった。まだ遠くには行っていないだろう、おまえたちも邸を探しなさい」
駆け付けたケードとメイドたちに指示してから移動魔法を発動した。
なんというやつだ、あいつは……
怒る気にはなれなかった。ただ笑いが湧いてきた。




