あなたは誰?
「ルリ、よかった、心配してたんだよ」
わたしが銀ばら亭に入ってきたのを見て、おかみさんが駆け寄ってきた。
「また、煙が出たと聞いたので、どうしているのか、気が気じゃなくてね」
わたしの顔を見て、ほっとしたのか大きく息を吐いた。
「通りの古着屋で、避難させてもらってました」
わたしは小麦粉を渡しながら言った。
「でも、ひどい煙ですね。いつもあんなに煙が?」
「ああ、とくに町の入口周辺は、風の向きで精錬所の煙が流れてくるのさ。ここは場所がいいのか、そこまでひどくないんだ。でもまあ、よかった。今お茶を淹れるところだから、飲んで少し休むといい」
おかみさんは、帳場の奥のテーブルの方へわたしを押して、椅子に座らせた。
それから銀のポットから、お揃いの小さなカップに紅茶を注いだ。
わたしは、粉屋から聞いた話を伝えると、おかみさんはすでに知っていたらしかった。
「聞いたよ、さっき到着した客が話してた。検問やってるんだろ。それじゃあ、仕方ないねえ」
そう言った後、おかみさんはじっとわたしを見つめた。
何か言いたげで、迷っているらしかった。
やがて、思い切った声で言った。
「あんた、あたしに話してないことがあるんじゃないかい?」
おかみさんは紅茶を一口飲んで、わたしを見る。
その様子に、わたしは観念した。ばれたみたい。
「ごめんなさい、話してないことがあります」
「やっぱり……逃げて来たんだね。この町じゃあ、だれも過去のことは問わない。でもね、お役人に関わるようなことになるやつは、黙っているわけにはいかないのさ。何をしたんだい?」
わたしは、追われるようになったいきさつを簡単に話した。
「プレシアの? 聖魔女? よくは知らないけどさ、国の守り手だろ? なるのが嫌で逃げ出したのかい、そりゃまた……」
おかみさんは絶句した。
「ほんとうの名は?」
「ルナーリア」
「そうか、手配書に乗っていた名前だね」
「手配書まで⁉ ああ、大変! もう、ここにいると、ご迷惑をおかけすることになります。ごめんなさい! お仕事を辞めさせてください。すぐにここを立ちま――」
「あたしが、お役人に通報しないと思ってるのかい?」
おかみさんは、わたしの言葉をさえぎった。
「はい」
わたしは、きっぱりといった。
「はは、かなわないね、あんたには。最初からそのことを話して欲しかったよ。まあいいさ、乗りかかった舟だ。逃がしてやるよ」
おかみさんは立ち上がった。
「さ、早く支度してきな。ここの裏向こうに川があるのさ。町はずれまで続いている。この川なら検問には出くわさないはずだよ。舟は漕げるかい?」
「頑張って漕ぎます!」
わたしは急いで自分の部屋に戻った。
買ってきた古着に着替える。意外なことに人の着た形跡が感じられなかった。服にはそれに合わせた頭巾がついていた。
頭布も被って、わずかな荷物を収納バッグに入れる。
わたしが帳場に入って行くと、おかみさんは、わたしの姿を見て言った。
「悪くはないけど、やはりこれを着ていきな」
フードの付いた黒っぽいコートをわたしに着せかけた。
用意していてくれたらしい。
「これから日が暮れる。夕闇に紛れてお行き。それに冷えるからね。川は裏口から出れば、すぐ見えるよ。舟もね。
浅い川だから棹で押しながら漕ぐんだよ。まあ、下りだから、流れにまかせていれば、それほど苦じゃないさ
それと、降りるのは、本流と交差する手前。右側の川岸の水面に、枝が垂れている大きな木がある。そのそばに舟着き場があるからね。見逃すんじゃないよ。舟はそこに置いておけばいい」
わたしは、うなずいた。
「なんてお礼を言っていいか――」
おかみさんはわたしを抱きしめて言った。
「気をつけてお行き。なんだか、あんたが、子どものころ行方不明になった末の妹みたいな気がしてさ……妹は、ルリイって言うんだ。あんたの名を聞いたとき、ちょっと驚いた。短い間だったけど、楽しかったよ」
意外な告白と温かな思いを感じて、わたしもおかみさんを抱きしめた。
「ありがとう、おかみさん……」
おかみさんは、わたしを離すと、思い出したようにエプロンのポケットから、布の袋を取り出した。
「今日の給料と、少しだけど餞別を入れておいたから。それと櫛もね。どこにいても身ぎれいにしておきなよ」
「はい!」
そうして、わたしはおかみさんに別れを告げたのだった。




