銀ばら亭2
アラクスは銀山の町、眠らぬ町だった。
居酒屋や繁華街は、昼夜を問わずにぎわっている。
町は、各地から訪れた銀を買い付けに来る豪商や、貿易商、異国の人々、交代制で精錬所で働く労働者、鉱夫たち、そして職を求めてやってくる者たちであふれていた。
町から少し離れた場所には、銀の精錬所が建てられている。そこでは、ひっきりなしに溶鉱炉に火が入り、休むことなく作業が続けられていた。
ときおり精錬の煙が町の方にも漂ってくる。
銀ばら亭で働き始めて十日ほど経っていた。
初日は、銀ばら亭のスタッフたちと顔合わせ、紹介してもらった後、スタッフ用の衣服、紺色のワンピースとエプロンを渡された。
着替えて、おかみさんのところへ行った。
一通り、倉庫係の仕事を教えてはくれたが、当分は彼女の手伝い、補佐と言ったほうがよさそうな内容だった。
与えられた部屋は、住み込みスタッフ用の部屋で、客室よりかなり狭い。それでも自分の部屋ができたのはうれしかった。やっぱり岩の上よりベッドの方がいい。
寝るときは決まってアジューのことを思い出した。
会ったら、また撫でさせてもらいたいなあ。
そう思いながら眠りに落ちた。
ふしぎとプレシアのことは頭から抜け落ちていた。
食事は、居酒屋兼食堂の厨房で、三食、食べられるのはありがたかった。
今朝もホカホカに温めたパンとスープを食べたところだ。
それに、なぜか料理長が『新入りだから』といつもおまけをつけてくれる。
それは、ベーコンの切れ端だったり、チーズだったり、ある時は余ったからと、ゼリーを載せてくれた時もあった。
それが、ちいさな楽しみになっていた。
客は昼頃から増えてくるので、あまりゆっくりとはしていられない。
「ルリーっ」
わたしを呼ぶおかみさんの声がした。
おかみさんの名前はローズというのだそうだ。
だから、宿の名が「ばら」なのね。わたしはちょっと納得した。
「はーい」
わたしは、声を張り上げて、帳場にいるおかみさんの元へ急いだ。
「今からお使いに行っておくれ。粉屋からまだ小麦粉が届かないんだ。このままだと明日の分が足りなくなる。どうしたのか聞いてきてほしいんだよ。
それで明日の分だけでも、先にもらってきてくれるかい? 残りはすぐに持って来るように言って。ああ、粉屋かい? 町の入口の近くだから、行けばすぐわかるさ」
おかみさんは、代金の入った袋をわたしに渡してから言った。
「あ、ルリ、ここへ座って」
わたしは、言われた通りおかみさんのそばにある小さな椅子に座る。
するとおかみさんは、自分のエプロンのポケットから、小さな銀の櫛を取り出した。
「忙しいからと言って、手を抜くんじゃないよ。一応ここは客商売。こまめに身ぎれいにしておくんだよ。きれいな黒髪じゃないか。ちゃんと梳かしな」
そう言えば、今朝は少し寝坊して、あわてて身支度したのだった。それに、このところ、ゆっくり髪を梳かすのもしていない気がする。
プレシアでは、侍女に手伝ってもらっていたことが、遠い昔の気がした。
おかみさんは、さっと一つに結んでいたわたしの髪をほどいて、櫛で梳くと、手早く一つの三つ編みにして紐で縛ってくれた。
「そのうち、髪のまとめ方を教えてあげるよ。さあ、行っておいで」
わたしは礼を言って、急いで銀ばら亭を出た。




