第4話
ガルシアが正式なライラ駐在大使を拝命してからというもの、バンドール家は慌ただしい毎日を過ごしていた。
必需品の用意に荷造り。旅程の確認、宿の手配。
同行する小姓、警護の騎士、馬の選定に馬車や馬具を含む装備の点検。
その中でも、クライブは空き時間を見つけてはシナーテに稽古を申し込み、その度に毎回容赦なく叩きのめされていた。
そして今日、兄ヴェルナー帰還の先触れがあった。
バンドール家の次期当主をいつまでも他国に置いておく訳にもいかず、ガルシアの成長を待って大使の職を交代させるための帰還だ。
「予定より早かったじゃないか」
「兄さん、おかえりなさい」
「ガルシア! 大きくなったな。クライブは、まぁ相変わらずだ」
ヴェルナー・バンドールは埃にまみれた旅装のまま、出迎えた二人の姿を見て破顔した。
「ひでーな。男前に磨きがかかってるだろう」
「3年ぶりですからね。それより紹介するよ。シナーテ・ウォルフ。僕の婚約者」
ガルシアが後ろに控えていたシナーテの手を引いて兄に紹介するとシナーテは優雅に頭を垂れる。
「ヴェルナー様、お初にお目にかかります。シナーテと申します」
「あぁ、聞いているよ。聞いてはいたが……驚いた。いや、失礼。これほど美しい方とは。ヴェルナーだ。姉上のご不幸、お悔やみ申し上げる。まだ悲しみ癒えぬとは思うが、どうか今後は弟の傍らにあり、支えて頂きたい」
「お気遣い、感謝致します。妻として微力を尽くします」
ヴェルナーは改めて成長した弟を満足げに見つめた。
「ガルシア、お前は幸せ者だな」
そう言いながら、がっしりとした腕で弟の肩を叩く。
文武両道と名高い帝国騎士団の期待の星は、旅の疲れなど微塵も感じさせない精悍な顔立ちをしていた。
「で、クライブ。父上はどこだ?」
「厩舎だ。馬の具合が悪いとかで朝からずっと付きっきりさ」
「馬好きは相変わらずだな」
ヴェルナーは、ふとクライブの横顔を見た。
(クライブのやつ、今日はやけに大人しいな。いつもならシナーテとのやり取りに下世話な軽口を挟みそうなものなのに)
雰囲気が変わったか? いや、それだけではない。
一回り大きくなった身体、硬くなった手の皮膚。稽古嫌いな男が鍛錬に励むなんて、一体何があったというのか。
ライラへ行く前に少し時間を設けてクライブと話してみたほうが良いかも知れない。
だが、今はまず両親への挨拶と業務の引き継ぎが優先だと自分の行動を素早く整理した。
「父上を呼んできてくれ。少ししたらあちらの状況を説明しよう。もう出発まであまり時間が無いからな」
◇ ◇ ◇
書斎にはライラへ旅立つ三人の他、ヴェルナーとその父であるバンドール男爵レナードの姿があった。
侍女が恭しく紅茶を運んで来る。
レナードがタバコを吸い終えるのを待って、ヴェルナーが話始めた。
「引き継ぎと言ってもライラに残して来た文官たちは皆優秀で経験豊富な者たちだ。実務に関しては心配いらない。現地で説明を受け、慣れるまでは指示に従えば良いだろう。ただ……」
ヴェルナーは少し言葉を選ぶように間を置いた。
「以前から問題が絶えないジェイシスとライラの貿易について話しておきたい」
ジェイシスは、所有する大陸で最も豊かな土地を有効活用し、大規模な農業、畜産を行う言わば大陸の食糧庫だ。
ライラはジェイシスから食糧を買い付け、自国の腹を満たしつつ、サーケイスへ物資を流して利益を得ている。
対してライラはサーケイスから鉄や貴金属、宝石等を輸入、加工してジェイシスに輸出している。
元々技術者と商人が集まった地域が自治権を得て成立した国だ。
小さな国ではあるが、上手く立ち回り今や最も裕福な国になった。
「輸出した食糧を横流しして利潤を得ているのだからと売値を上げたい、まぁその気持ちは分からんでもない。だが、ライラが不当な値上げであると反発を強めるのも当然だろうな」
ヴェルナーは、この長年続くこの食い違いが昨今悪化しているのだと締め括る。
「去年は不作だったから余計に摩擦が増してるのだろうけど……まさか戦に発展する程なの?」
ガルシアの問いに、ヴェルナーは腕を組んだ。
「いや、今はまだ大丈夫だろう。だが何か切っ掛けがあればどうなるか。そのくらい緊迫しているのは確かだ」
クライブが珍しく何も言わずに静かに紅茶を飲む。
「ライラは良くも悪くも庶民的な国だ。普段の生活で危険はない。だが、これからは一層の情報収集と警戒が必要だろうな」
「まぁ、何かあれば俺が二人を連れ出して逃げるさ」
ヴェルナーはもう一度、弟分の横顔を見た。
やはり何か変わったな。あの皮肉げな口元から軽口が溢れ落ちないなんて。
◇ ◇ ◇
一通り話し終えたヴェルナーが立ち上がった。
「では俺はこれで。婚約者のところへ顔を出さねばならないのでな」
「婚約おめでとう、兄さん。式に参列出来ないのが残念だ。義姉上にも祝福を」
「あぁ。お前こそ、ライラから無事に戻れよ」
シナーテに向かって丁寧に頭を下げ退出しようとしたヴェルナーだったが、ふと立ち止まるとクライブの肩に手を置いて語りかけた。
「明日の夜にでも部屋に来い。良い酒がある」
クライブは立ち去るその背中を黙って見送った。
◇ ◇ ◇
ヴェルナーの私室で、クライブはヴェルナーの言う『良い酒』を飲んでいた。
正直、酒の良し悪しはまだよく分からない。それでも義兄と慕うヴェルナーと飲む酒は格別に旨いと感じられた。
「婚約者ほったらかして飲んでていいのかよ」
「ほったらかしてないだろう。昨日、花束とライラの土産を差し出してしっかりご機嫌を取ったところだ」
「親が決めた結婚というのもなかなか大変だな」
「貴族の跡取りなんてそんなものだろう? これからゆっくり家族になるさ。それより、お前はどうなんだ?」
「俺は、まぁ自由な身分を満喫しているところさ」
自由ね。ヴェルナーは穏やかに笑ったが、どこか含むところがある声色だった。
「何だよ。絡むじゃねーか」
「いや、ガルシアも身を固めただろう? あの二人とライラに向かうのは少々肩身が狭いのかと思ってな」
「騎士位とは言え、俺はしがない従士だ。せっかく小言親父から逃げられるんだし、これからが本当の自由だよ」
「まぁ、お前は要領がいい。心配してはいないがね。だが……。」
「だが、何だよ。」
何かあっただろう?ヴェルナーはそう切り出した。
護衛任務のためだけに稽古に励んだり気を引き締めたりするような男じゃない。
自由だなどと言いながら女遊びの為に身体を鍛えたなんて茶化すなよ?とやんわりクライブを追い詰める。
「あー、いや、何でもないんだ」
ヴェルナーは黙って酒を口に含む。
そしてクライブを見据え、次の言葉を待った。
「……」
「何だよ。俺、そんなにおかしいか?」
「いや? だが雰囲気は変わったよ」
「そうかねぇ。俺は何も変わっちゃいないと思うがね。ただ……そう、本気で剣を振るのが面白いって思ったんだ」
「ほう。武術大会ですら本気を見せなかったお前がか?」
「あんな舞台で俺みたいなのが目立つ訳にもいかんだろうよ」
「で、その本気の相手がシナーテ嬢か。今日も日中、稽古してたそうじゃないか。驚きだね。あの儚げな美女と本気で稽古なんて」
「くそっ。情報収集はお手の物ってか。そうだよ。本気で剣を振れる相手が見つかったって事だ」
そう言うとクライブは一気に酒を煽った。
視線を床に落とし、自分の右手のひらをじっと見つめる。
あの『化け物』のような美少女に、手も足も出ずに喉元を獲られ続けた屈辱。そして、それを静かに見つめていた主人の姿が脳裏をよぎる。
しばらくの沈黙の後、クライブは自嘲気味に小さく息を吐き出した。
「……なぁ、ヴェルナー兄貴」
「なんだ」
「ガルシアさ……あいつ、本当に俺たちの知ってる『ガルシア』か?」
唐突な問いに、ヴェルナーが眉をひそめる。
「どういう意味だ。あいつは私の弟で、お前の主だ。少し見ない間に随分と大人びたとは思ったが」
「大人びた、なんてレベルじゃねぇんだよ」
クライブは頭をガリガリと掻き、言葉を探すように天井を見上げた。
「上手く言えねぇけど……時々、あいつがめちゃくちゃ遠い場所にいる気がするんだ。何もかも知っているような。いや、とんでもなく高いところから俺たちを見下ろしてるような……そんな気になる時があるんだ」
一気にまくし立てると、クライブはハッと我に返ったようにまたいつもの薄笑いを浮かべた。
「なーんてな。まぁ、気のせいだよ。ただの男爵家の次男坊が、急に『大使』なんて大層な肩書きを背負わされたもんだから、俺も少し気負いすぎちまったのかもな」
そう言って立ち上がると、クライブは「じゃあな」と手を振って、ヴェルナーが言葉を返す前に足早に部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
翌朝、バンドール家の門前に並んだ馬車に小姓たちが沢山の荷物を詰め込んでいた。
アイザックが馬の具合を確かめ、クライブが欠伸をしながら無精ひげを擦っている。
「クライブ、昨日遅かったの?」
「あぁ、飲み過ぎた」
「これから長旅なのに。大丈夫なの?」
「馬上で寝るよ。賊が出たら起こしてくれ」
久しぶりの再会で盛り上がったのだろう。ガルシアは苦笑いしながら見送る兄に手を振る。
(クライブめ。勘の良いヴェルナーに何か吹き込まれた? まぁ、今更何も変えられはしないが。ヴェルナーは配下に加えたい優秀な男だが、仕方がない……さようなら。兄さん)
「さぁ、行こうか!」
ガルシアの掛け声と共に、一行はライラへと出発した。




