第27話
国境周辺の緩衝地帯にジェイシス帝国一万の軍勢が到着したという斥候の報を受けた時、ライラ軍七千の軍勢はすでに荒野へ陣を敷き、静まり返る大地で敵を待ち構えていた。
ラザールの体調はいくぶん復調していたが、傍らに控えるシナは依然としてその身を案じ、過保護なほどに身の回りの世話に勤しんでいた。
「報告! 一騎、我が陣に向けて接近してきます。旗を掲げておりますので、使者かと思われます」
物見の言葉に、ラザールは薄く笑みを浮かべた。
「……ヴェルナーか。わかった。丁重にお連れしろ」
両軍の中央。
互いに少数の護衛を伴った馬上での謁見となった。
「ガルシア……見見違えたな。本当にガルシアか?」
対峙したヴェルナーは、かつてクライブが口にしていた言葉を思い出していた。確かに「大人びた」という生易しい表現では足りない。
その圧倒的な威風、冷徹な顔つき。面影こそ我が弟のものであったが、眼前にいるのはもはや完全に別人であった。
それは背後に控えるシナーテも同様だった。今の彼女には、かつてバンドール家で見せていた儚げな令嬢という形容詞は、微塵も似合わなかった。
「ヴェルナー、このような再会になり、すまないと思っている。アイザックにも謝罪しよう」
「クライブはどうした?」
ヴェルナーの問いに、ラザールは淡々と応じる。
「ここに呼ぶ必要はないだろう。いずれ戦場で会うことになる」
その声音、物言いすらも、かつての気弱な弟のものではなかった。
「……本当にロートシルトを名乗っているのだな。お前が本物だとして……いや、おそらく本物なのだろうな」
ヴェルナーはガルシアの変貌を、そしてクライブがこの男を選んでついて行ったという事実を噛み締め、呼び方を変えた。
「ロートシルト帝。我が弟ガルシアはどうなったのですか?」
「……私はロートシルトであり、ガルシアでもある。十数年間の記憶も、感情も、私の一部だ」
その答えを聞いたヴェルナーは、どこか安堵したような、同時にひどく悲しむような、複雑な表情を浮かべた。だが、すぐにその迷いを振り払う。
「そうですか。ならば、《《ジェイシス帝国の騎士》》として、決着をつけましょう」
瞬時に状況を理解し、その上でなお、己の志と帝国の騎士としての義務を貫こうとするヴェルナー。
その器の大きさに、ラザールは素直に驚嘆した。
「やはりお前は優秀だ。誇るべき兄だった。 ……だからこそ、ジェイシスには残しておけん」
ヴェルナーは、その言葉を遮るように盛大に笑い、最後に声を張り上げて自陣へと馬を返した。
「ロートシルト帝と弟からお褒め頂くとは恐悦至極! もう未練はない。戦場にて決着をつけよう!」
陣に戻ったラザールは、すぐに主だった将を集めて冷徹に命じた。
「やはり、クライブの帰りを待つしか道はない。数で劣る現状、ヴェルナー相手では万に一の勝ち目もない。各隊、時間をかけ、損害を出来るだけ避けて戦え」
一方、ジェイシス陣営でも、ヴェルナーがアイザックを含む将たちを集め、凍りついた声で告げていた。
「敵はサーケイスからの援軍を頼っている可能性がある。クライブがいないのもそれが理由だろう。各員、時間との闘いであることを考慮せよ。質実共に我が軍が勝っている。敵を踏みつぶせ!」
地平線を揺るがす地響きと共に、ついに開戦の火蓋が切って落とされた。
総大将ヴェルナーは、ラザールの持つ「轟音の兵器」を強く警戒し、後方に控える精鋭の騎士四千はあえて動かさず温存。そして、五千の兵士団を、最初からライラ軍の左翼へ集中させて猛烈な攻撃を仕掛けた。
そのジェイシス兵士団も一工夫されている。
短めの槍と大盾を持つ兵を前面に置き、その左右、および後方にびっちりと兵を配置しているのだ。
「前線の壁は簡単に抜けん。だが、敵左翼に攻撃を集中すれば、他所から兵を回すしかなくなるだろう。壁が薄くなるまで、大盾を上手く利用して兵士団で押し続けろ!」
ジェイシス兵は、ヴェルナーの命令を忠実に実行する。この練度こそが、数にも勝るジェイシス軍の大きな武器だった。
その猛攻を受けるライラ軍左翼には、レティシア隊が配置されていた。ラザールはヴェルナーの狙いを完全に読んでいたのだ。
「右翼の半数を左翼に回せ! 何が何でも持ちこたえろ!」
本陣からの命令と同時に、レティシアは奮戦するが、最初から倍する兵力を投入された戦況は過酷を極め、早くも劣勢を強いられることとなった。
「おまえら、もっと気張れ! 簡単にやられるんじゃないよっ!」
前線では、副長格の傭兵たちも声を枯らして叫び続ける。
「一人で戦うな! 周りと連携しろ!」
「三人組が崩れたら、崩れた同士で数を補え!」
レティシアは自ら先頭に立ち、愛用の三つ刃の戦斧を狂ったように振るい続けていた。
しかし、いくら甲冑を切り裂いても、いくら首を撥ねても、後から後から新しい敵の壁が湧き出てくる。
(ちっ、こりゃあ右翼からの援軍が来る前に、こっちが崩されちまうね……!)
有無を言わせぬ数の暴力と鉄の重圧に、さしもの鬼姫も背中に嫌な冷や汗を流していた。
そこへ横合いからバザル率いる少数のグー部隊が、怒涛の勢いで乱戦の渦中へと突入してきた。
「やるぞーっ!!」
バザルの狂ったような叫び声。
ジェイシス兵にはそれが何を意味するのか分からなかったが、ライラ兵は瞬時に理解した。
(──あれが、くるっ!!)
ライラの荒くれどもは一斉に口を大きく開け、身構える。ラザールに教えられた轟音から耳を守る術だった。
次の瞬間、怒号飛び交う戦場の空気を震わせる爆音とともに、異臭を放つ黒煙があちこちで立ち上がった。
──バラバラパパンッ!バババババッ!!
事前に耳慣らしをしていたライラ兵は平然としていたが、まともに喰らったジェイシス兵は思わず身をすくめ、動きを止め、鼻を刺す煙に涙を流した。
「よっしゃ、今だっ! 押し返し返せぇーっ!」
レティシアの怒号の元、息を吹き返したライラ軍が一斉に応戦し、鉄の波を押し戻した。
だが──ヴェルナーの冷徹な一点集中攻撃は、その程度では揺るがなかった。
この壮絶な戦いは、一進一退を続け、一日では終わらず、数日間にわたって繰り返されることとなる。
最初は効果のあった破筒も、数日も経てばジェイシス兵にすっかり慣れられてしまい、決定打にはならなくなっていく。
互いに兵が減り続ける中、絶対数の少ないライラの長槍大盾の壁は、日に日に目に見えて薄くなっていった。
ラザールもヴェルナーの意図を完全に承知していたが、数が足りないライラ軍には、他から少しずつ兵を移動させながら耐えるしか、もはややりようがなかった。防衛線は文字通り薄氷の如き有様だった。
開戦から数日。
連日の激戦で全力を出し尽くし、満身創痍となったレティシアは、今にも崩壊しそうな左翼の前線で、血に染まりながら荒野の空を睨みつけた。
「クライブ……まだ、来ないのかい……!」
その限界の叫びは、激しい金属音の渦へと虚しく掻き消されていった。




