第28話
第2章、最終話です。
ヴェルナーの冷徹な一点集中攻撃により、ライラ軍の長槍大盾の壁は日に日に削られ、今や心もとない厚さにまで薄くなっていた。
この日も朝から猛烈な攻撃を仕掛けていたジェイシス軍であったが、正午になると、ヴェルナーはいったん兵を引き上げさせた。
「兵に休息と十分な食事をとらせろ。……仕掛けるぞ」
それは、ジェイシス全軍による最後の、そして最大の猛攻の予兆であった。
敵兵の不気味な動きからヴェルナーの意思をいち早く察したラザールもまた、同様に兵へ食事と休息を与え、ただちに防衛陣形の修正を指示した。
「壁は右側を後ろに下げろ。右翼軍は左翼と合流。バザルは破筒をありったけ用意して中央弓兵の前で待機」
徹底的な防衛布陣を敷いたラザールは、傍らに立つシナを真っ直ぐに見つめて最後の指示を出した。
「悪いが、右から陣中を走ってもらいたい」
「分かってる。貴方がここを動かずにいてくれるなら、私が行ってくるわ」
シナは死地に単身飛び込めという命令に笑顔で応じると、愛馬の手綱を握り締めた。
しばしの不気味な静寂の後、ついにジェイシス軍の総力戦が始まった。
全兵師団が左翼へ。
そして前騎士団は中央突破。
味方の死体の山をも踏み越えよと言わんばかりの、文字通り圧殺を狙った狂気の突撃であった。
ライラ軍は死に物狂いで耐え続けた。騎士たちが長槍大盾の壁にぶつかり、無残な姿をさらしていく。それでも果敢に突き進む騎士たちに向け、ライラ軍の破筒と矢の雨が容赦なく襲い掛かる。
「馬を捨てよ! 徒歩で押し通せっ!」
ジェイシス側から怒号が飛び、地肉をすり潰すような乱戦へと突入する。ライラ軍の薄い壁は、すでに限界に達しようとしていた。
――その時だった。
白銀の突風が舞うように、凄まじい速さで戦場を駆け抜けていく影があった。
次々とジェイシス兵の首を落としながら、異様な威圧感で立ち塞がる敵兵をことごとく押しのけていく。
「白銀の戦姫……!」
「この戦場を一人駆けだと!?」
「討ち取れ! 討ち取って名を揚げよ!」
ジェイシス帝国の騎士たちから、驚愕と興奮の入り混じった声が次々と上がる。だが、どれほど包囲しようとも、シナの足が止まることは決してなかった。
「囲い込め! 討ち取れ!」
そんな叫びが四方からこだまする。
しかし、彼女の姿を間近で目にした兵たちは、一様に足を止め、身体を硬直させた。
凄惨な血しぶきと矢の雨が降る中を駆け抜けるその白銀の化け物は、あまりにも美しかった。
草原を自由に駆け回る動物のようにしなやかで、草木を揺らす疾風のように鮮烈な立ち振る舞い。
物語の中で語られ続けてきた英雄の姿を、多くの騎士が今、目の当たりにしていた。
その恐るべき砂塵が通り過ぎた直後、どこからともなく地鳴りのような重低音が響き渡り始めた。
「なんだ、これ……」
「何の音だ?」
地平線を震わせる不気味な音に、敵味方関係なく、誰もが気を取られて動きを止める。
敵陣を完全に突き抜け、血に染まった戦場のはるか遠くを見据えながら、シナは一人静かに呟いた。
「……遅い」
次の瞬間、荒野の向こうから、クライブとサーケイスの騎兵一万が怒涛の勢いで戦場へと突進してきた。
ヴェルナーは慌てて騎士団の体制を整えさせようとしたが、すべて遅すぎた。
退路を断つように乱入したサーケイスの騎兵は、容赦なくジェイシスの背後を蹂躙していく。
その混乱の渦中から、総大将ヴェルナーに向かって、真っ直ぐに突進してくる一騎の戦士がいた。クライブだ。
「ヴェルナー!」
クライブは叫びながら、ヴェルナーに猛然と襲い掛かる。
ヴェルナーは急な奇襲に体勢を崩しながらも、必死に応戦した。
「なぜ戻ってきた! ガルシアがロートシルトだと言ったはずだ!」
剣が激しくぶつかり、火花が散る。クライブの目には涙が滲んでいた。
「会って確信したよ……もう俺たちのガルシアではないとな!」
ヴェルナーの一撃が、クライブの肩を浅く斬り裂く。
痛みなど感じていない。感じたくない。
クライブは歯を食いしばり、兄の剣を弾き返す。
そこへアイザックが駆けつけた。
かつては絶対的な壁だった父の剣が、今はひどく軽く、頼りなく見えた。
「この愚息が……!」
三人の刃が交錯する。
クライブは必死に二人の攻撃を受け流しながら、胸が張り裂けそうだった。
(親父……ヴェルナー兄貴……なんで、こんなところで……)
ヴェルナーの剣が、クライブの馬の首を深く斬り裂いた。馬が倒れ、クライブは地面に転がる。
その瞬間、ヴェルナーが渾身の力を込めて飛びかかった。
「これで……終わりだ!」
しかし、クライブの剣は一瞬早く、ヴェルナーの胸を深く貫いていた。
「……っ!」
ヴェルナーの目が大きく見開かれる。
兄弟は、血に染まった地面で絡み合うように倒れ込んだ。
「ヴェルナー……!」
アイザックが絶叫し、クライブに斬りかかる。
クライブは父の剣を、涙で滲む視界の中で受け止めた。
「親父……小さくなっちまったな……」
かつて恐れ、憧れた背中。
今、その胸に剣を突き立てる自分が、クライブはたまらなく情けなかった。
アイザックの身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
クライブは父を抱き留め、地面に膝をついた。
「──ああああああぁぁああぁ!」
戦場の喧騒の中で、ただ一人の慟哭だけが、虚しく響き渡った。
かくして、ジェイシス帝国軍は完全に崩壊した。
戦場に残ったのは、大地に染みる血と積み重なる肉塊、そして虚しい勝利の残響だけだった。
ラザールは馬上で静かにその光景を見つめ、傍らに控えるシナがそっとその手に触れた。
クライブは父と兄の亡骸を抱きかかえたまま、膝をついて動かなかった。
その慟哭は、勝利の歓声すら飲み込むほど深く、戦場全体に染み渡っていった。
誰もが知っていた。
この勝利は、代償のあまりに重いものだったことを。
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