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忘神の国の吟遊詩人  作者: azyl
第2章 戦火の足音
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第26話

 二度の防衛戦を乗り切ったライラだったが、総大将であるラザールの体調は未だ万全とは言えなかった。

 シナの厳しい監視の目に逆らえず、彼は私室のベッドに横たわったままであったが、次なる決戦のため、レティシアとバザル、そして街を牛耳る三大商人を急ぎ呼び出していた。


「はぁ?  弓かい?」


 ラザールの言葉に、レティシアがすっ頓狂な声を上げる。


「そうだ。傭兵上がりの者には、弓が扱えるものも多いだろう」

「いや、そりゃ居るだろうけどさ。あの鉄鎧相手に弓なんて意味あんのか? 」


 レティシアの率直な意見に、ベッドの傍らに控えるシナが冷ややかな視線を飛ばす。だが、ラザールは静かに首を振った。


「鎧の貫通は無理だろうな。だが、馬は射貫ける。重装騎兵の突撃を防ぐためにも、騎士の馬をつぶすのは極めて重要だ。……商人、弓と矢は用意できるな?」


 話を振られた三大商人の代表が、揉み手をしながら深く一礼した。


「はい、それはもう。ライラの全倉庫をひっくり返せば、数千の弓と数万の矢でしたら数日で用意できると思います。すぐに手配いたしましょう」

「ならばレティシア、お前は傭兵たちの中から弓を扱える者を千五百ほど集めて、商人から弓と矢を受け取れ」


 それからラザールは三大商人を退出させ、ベッドの上に大きな紙を広げて、レティシアとバザルに大雑把な作戦の骨子を説明し始めた。


「今度の戦は、これまでとは異なり死闘になるだろう。クライブがサーケイスの援軍を連れてこなければ、ライラは壊滅、もしくは再起不能な被害を被ることになる」


 その言葉の重みに、レティシアは真剣な表情で作戦が書き込まれた紙を見つめ、ぶつぶつと何かつぶやいていた。


「御方様、破筒の用意はいかほど必要でしょうか?」


 バザルが神妙な面持ちで尋ねる。


「うむ……ジェイシス軍の構成によるな。可能な限り用意しておけ。それから、レティシアに兵を集めさせ、目の前で音を聞かせろ。こちらが音にすくみあがっては堪らんのでな」


 なおもぶつぶつ呟いていたレティシアだったが、名を呼ばれてハッと顔を上げた。


「あ、あぁ。あの音な。そういや、あたしも近くで聞いたことないな」

「レティシア殿、兵が集まっている時に一声かけてくれ。兵が慣れるまで何度か音を聞かせよう」


 こうして、ライラの広大な練兵場で「破筒の轟音訓練」が行われることとなった。


 ライラ軍約七千の兵を一度に集めるのは難しいと判断し、何度かに分けての訓練となる。


 兵といってもつい先ごろまで傭兵やら奴隷やらといった身分の荒くれ者たちだ。意味も解らず集められれば不満を漏らし、あちこちで喧嘩が始まる。

 レティシアはやれやれといった風で頭を搔きならが一同の前に進むと、まずは一喝する。ライラ軍では日常の風景であった。


「おまえら毎度毎度うるせーんだよっ! 黙ってこっち見な!」


 バザルがこれから行われる訓練の内容を説明する。説明している最中に、兵から口々に横やりが入る。


「はぁ? 大きな音? 何言ってやがる」

「んなもん、どってことねぇさ」


 その横やりに、近くで爆音を聞いた者たちが反論する。


「いや、あれは不味い。経験しておいたほうがいい」

「耳がきーんとすんだよな」


 収拾がつかない。バザルとレティシアの我慢が限界に達する。


「「やかましいっ!」」


 二人の怒号が見事に重なる。

 自分に倍する音量で怒鳴るレティシアに、バザルは驚いて目を向けるが、気にせずレティシアが声を張り上げる。


「おっさんがいつまでもきゃーきゃー騒いでんじゃないよ。舐めてかかると小便ちびることになるぞ?」


 レティシアの合図で、バザルが破筒に点火。荒くれ共の中にひょいっと投げ入れた。


「え、ちょ、おま……それ予定より多くないか?」


 バザルはイライラしていた。次の回に使う予定だった破筒にも点火してさらに荒くれ共の群れに投げ込む。


──バンッパパンッ! パラパラパラーッ!!!


 耳を劈く爆音と、鼻を刺す煙、飛び散る火花。

 強面の傭兵の一人が、腰を抜かして尻餅をついた。


「ひっ……!? なんだこれ、雷か!?」


 もう一人は耳を押さえ、這うように後ずさりながら叫ぶ。


「耳が……耳がキーンってして何も聞こえねえ! 死ぬかと思ったぞ!」


 若い奴隷兵は頭を抱えて地面に突っ伏し、震える声で呟いた。


「……戦場でこれが頭の上に落ちてきたら……俺ら、どうなるんだ?」


 レティシアは腕を組み、情けなさそうにため息をついた。


「おいおい、これしきの音で腰抜かしてんじゃねえよ。敵の頭の上でこれが鳴るんだぞ? ビビって逃げ出す奴は、今のうちに国へ帰りな!」


 レティシアの怒号と、何度も繰り返される爆音。

 強面のおっさんたちが半泣きで耳を塞ぎ、鼻をつまみながら、その未知の轟音に耳を慣らしていった。


 ◇ ◇ ◇


 ジェイシス帝国の軍駐屯地では、一万の軍勢の出兵準備が粛々と進められていた。


 鉄鎧の擦れ合う音と馬のいななきが響く中、かつて猛将として知られたアイザック・バンドールは、気丈に振る舞いながらも、その佇まいには隠しきれない衰えがあった。

 頑固一徹、職人風で根っからの騎士であるアイザック。

 誰よりもその才を認め、認めているからこそ厳しく接してきた実の息子クライブが敵に回り、さらには自分が生涯をかけて忠義を尽くしてきた主家の嫡子ガルシアが「魔王ロートシルト」を名乗っている──その残酷な現実が、彼の魂と精神を深く削り取り、老け込ませていた。


「ヴェルナー様、馬と武具の準備は済ませました」


 アイザックは、出陣の鎧に身を包んだヴェルナーの前へ歩み寄り、報告を入れた。


「ありがとう、アイザック。 ……本当にガルシアやクライブと戦うのだな」


 ヴェルナーの静かな問いに、アイザックは奥歯を噛み締め、深く俯いた。その大きな拳が、引きちぎれんばかりに強く握りしめられる。


「不肖の息子が……本当に申し訳なく……主家に対して、何とお詫び申し上げればよいか……」

「何度も聞いたよ、アイザック」


 ヴェルナーは、痛々しく震える老将に優しく微笑みかけながら、その肩にそっと手を置いた。


「私も戦いたくなどない。だが、こうなった以上、白黒つけるしかない。どちらが倒れたとしてもね。……そうだろう? アイザック」


 ヴェルナーの瞳の奥には、凍りついたような不退転の決意が宿っていた。実の弟をその手で葬るという呪いを受け入れ、前を見据えている。


「……はっ」


 アイザックは、ただ短く応え、再び拳を握り直した。


 こうして、準備は整った。

 それぞれの地獄を胸に抱いたジェイシス一万の軍勢が、ついにライラへと向けて進軍を開始する。

 決戦の時は、すぐ目の前に迫っていた。


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