第25話
「よぉー、クライブ。ちょっと飲まないか?」
勝手に部屋に入り込んできたレティシアに、クライブはあからさまな不満顔を隠そうともしなかった。
「……んだよ。俺はサーケイスに行くんで忙しいんだ。帰れ帰れ」
「まぁ、いいじゃねーか」
レティシアは気にする風もなく、クライブの向かいに腰掛けて勝手に酒を注ぐ。クライブも溜息をつきながら、不承不承その酌に付き合うしかなかった。
「……なぁ、サーケイスってのはどんな所だよ。砂漠って聞いたけど、砂漠ってなんだい?」
「あ? 砂だよ砂。一面砂だらけ。すげー暑くてよ。そんな中を一昼夜馬で進むとオアシスっていう水が湧き出る一角があるんだ。なかなか綺麗なもんだぜ?」
「へー。砂ねぇ。人、住めんの?」
「いや、だからオアシスなんだって。水が沸くとこだけ草木が生える。人も住める。サーケイス王国の領土は広いが、人はさほど多くない。砂漠のせいだな」
「なんか嫌だね。あたしは草原がいい」
「俺はデカい街がいいがね。まぁでも、今は馬に揺られるのも悪くない」
軽口を叩いてはいるが、クライブは明らかに普段と違う様子だった。ラザールの私室での重苦しいやり取りを思い出し、レティシアは率直に切り出す。
「……お前、大丈夫か?」
「なんだ姐さん、心配してくれんのか? 援軍は必ず連れて帰るよ」
「ちげぇよ。家族がジェイシス軍にいたって話だよ」
うまく躱す言葉が見つからず、クライブは視線を落とした。
「……まぁ、さ。分かっちゃいたんだけど、少し堪えたよな」
レティシアはクライブの様子を見つつ、あっけらかんと言った。
「あたしには家族なんていないからよく分かんねぇけど、師匠と戦うことになったら全力で戦うぜ?」
「殺しちまったとしてもかい?」
クライブが、どこか歪んだ笑みを浮かべて問う。
「あぁ。殺す。殺すつもりで戦う」
「さすが鬼姫。容赦ねぇな」
「師匠に手抜いたなんて思われたくねぇからな。戦うなら全力だ。それがあたしの誇り」
「誇り、ね……」
クライブはグラスの酒を転がしながら、再び俯いた。
クライブがこう見えて、戦いで手を抜くような男ではないことをレティシアは知っている。ただ、彼には「殺したくない敵」がいるというだけなのだ。
レティシアにだって、その気持ちは分かっていた。今は亡き師 アルベルトも、つい先日剣を交えたあの双剣使いの男も、本当は殺したくなどない。だが、戦うならば、互いに命を懸けるならば、彼女は一切の妥協をしない。それが彼女の生き方だった。
「……おまえさ、大丈夫か? 家族ってのにやられるんじゃねえか?」
「大丈夫だ。俺だって分かってる。だけどよ、割り切れないことだってあるだろう?」
それ以上は何も言わず、二人は静かに盃を交わした。
翌朝、ライラの喧騒を背に、クライブは少数の供回りのみを連れてライラをあとにした。
与えられた「考える時間」は僅か。
クライブにとっては、ラザールから託されたサーケイス王宛ての親書よりも、ヴェルナーと交わした剣のほうが重かった。
「……サーケイス王を口説く文句も考えにゃならんのに……ヴェルナー。お前はまた来るのか……」
ぽつりと吐き出された呟きは、虚しく荒野の風に吸い込まれていった。国を救うための使節としての重圧と、家族を殺す覚悟という呪い。二つの重荷を背負い、クライブは砂漠の大国への道を急ぐのだった。
◇ ◇ ◇
ライラから遥か離れたジェイシス帝国の帝都では、壮麗な宮廷が不穏な熱に浮かされていた。
急遽開かれた軍事会議。
騎士団長 アーレン・スタンフォードが隻眼となる重傷を負い、まさかの敗北を喫して帰還したことで、宮廷内は蜂の巣をつついたような大混乱に陥っていた。
想定外の事態を前に、次の一手を巡って貴族たちの意見は完全に割れ、罵り合いに近い泥沼の議論が続いていた。
その醜い諍いを前に、すべての黒幕であるザザム宰相は、玉座の傍らで終始沈黙を保っていた。意思表示を一切せず、ただ陰鬱な目で会議の様子を冷徹に見つめている。
そんな中、負傷したアーレンに代わって出席していた騎士代表の一人──末席に控えていたヴェルナーが、静かに立ち上がった。
「発言の許可を、陛下」
毅然としたヴェルナーの声に、騒がしかった室内がわずかに静まる。彼は居並ぶ重臣たちを見据え、懐に隠していた最大の爆弾を投げつけた。
「我がバンドール家より出た不肖の弟、ガルシア。……奴こそが、現在ライラで『ロートシルト』を名乗る魔王の正体であります。そして、その傍らに従う銀髪の女──かつて当家に仕え、弟の許嫁であったシナーテに相違ありません」
その瞬間、宮廷に爆音のような静寂が訪れ、直後、怒濤のような騒ぎが巻き起こった。
「な、なんだと!?」
「ロートシルトが、バンドール家の身内だと!?」
皇帝が目を見開き、貴族たちは一斉にヴェルナーへ非難の矛先を向けた。裏切り者の家系、国家反逆の片棒を担いでいるのではないか──五月蝿いほどの責任追及の罵声がヴェルナーに浴びせられる。
ザザム宰相の陰鬱な視線が、真っ向からヴェルナーを射抜いた。
だが、ヴェルナーは一歩も引かず、その罵声の嵐の中で、血を吐くような不退転の覚悟を告げた。
「当家の受けた汚名、そして罪は、この手でロートシルトを、弟を撃つことで晴らしたい。どうか我が軍に、ライラ討伐の先陣に加えて頂きたい!」
都合のよい言い逃れをさせるな、弟と結託して逃亡する気ではないかと、なおも貴族たちが騒ぎ立てる。
その時、一人の有力貴族が、扇で口元を隠しながら、嫌らしい笑みを浮かべて声をあげた。
「おやおや。 ……皆様、良いのではないですか? 悲劇の騎士が汚名を晴らすために自ら兵を率いる。国民の戦意を煽る見世物としては、なかなかに面白い。聞き及ぶところ、ライラの兵は未だ七千程度。我が軍が一万も貸し与えれば、その汚名とやらを十分に注げるはず。 ……そうであろう、ヴェルナー殿?」
その提案に、ヴェルナーは奥歯を噛み締めた。
(見世物だと? 机の上ですべてを御しているつもりか、下衆めっ!)
ザザム宰相は、最後まで何も言わなかった。
ただ、その老人特有の濁った瞳の奥で、冷徹な計算だけを働かせていた。
(……あの小僧の刃が、ラザールに届くはずもない。だが、その数奇な身の上は、戦場で敵兵やライラの首脳陣に揺さぶりをかける何らかの影響を与えるやもしれん。ジェイシス国民の意識を『身内の裏切りを討つ悲劇の戦い』として統一するためにも、捨て石としては悪くない)
ザザムが軽く頷くのを見た皇帝は、満足げに玉座から声を放った。
「一同、静粛に。 ……面白い。ヴェルナー・バンドールに一万の兵を預ける。その手で、帝国の不名誉を、裏切り者の弟の首を獲ってまいれ」
「はっ……! ありがたき幸せ!」
ヴェルナーは深く頭を下げた。
こうして、ジェイシス帝国による三度目のライラ侵攻が決定したのだった。




