第22話
ジェイシス帝国軍による本格的な総攻撃が開始されたその時、ラズ率いる二百のライラ突撃隊は、敵の背後に位置する臨時兵站へと肉薄していた。
広大な敷地に見渡す限りうずたかく積まれた、小麦の袋や干し草、予備の長槍や矢の束。一万八千の軍勢を支える生命線が、そこにあった。
「突撃!」
シナの裂帛の号令が響き渡る。
およそ千の守備兵が守る兵站集積所へ、二百の精鋭が一気になだれ込んだ。
「敵襲っ! 敵襲──っ!」
奇襲を察知したジェイシスの守備兵が、息を荒らげて「ピィーッ」と高い音の笛を吹き鳴らし、必死に警戒を促す。
わらわらと群がるジェイシス兵を横目に、突撃隊の面々は、この膨大な物資をどう焼き払い、どう撤退するつもりなのかと焦りを感じていた。それほどまでにジェイシス軍の物資は多く、松明の火だけでは到底時間が足りないことは明白だった。
その時すでにラザールは馬を進めながら、馬上で何やら呪文を唱え始めていた。
かなりの集中力と体力を要するのだろう、これまでになくラズの額にはびっしりと汗が浮かび、その呼吸はまたたく間に荒くなっていく。
「無駄に戦うな! ラズの周りを固め、けして敵を近づけるな!」
シナが絶叫し、迫りくる守備兵を次々と斬り倒していった。
突撃隊の精鋭たちもシナの命令に従い、ラザールを中心に盾のような陣形を作り、四方から押し寄せる守備兵を必死に食い止めていく。
戦場を縦横無尽に飛び回る彼女の戦いぶりは、まさに苛烈そのもの。
乗っていた馬が敵の槍に潰されてもお構いなしに地を跳ね、守備兵の集団に囲まれようとも、尋常ではない戦闘力で敵の首を容赦なく跳ね飛ばしていく。
今のシナにはたった一つの感情しかない。恐れだ。少しの気の緩み、僅かな偶然でラザールが傷つくかもしれない。
彼女にとっての唯一の恐怖から逃れるため、彼女はまさに銀色の砂塵と化して、手当たり次第に的を屠り続ける。
ラザールと共に戦場に出る彼女は、無敵だった。
やがて、ラズの頭上に、空を焦がすほどに巨大な火の玉が現れた。
ラズが手を振り下ろすと、その猛炎の玉はゆっくりと物資の山へ届き、一瞬でそれを飲み込んでその場に留まった。
「なんだこれは! 火を、火を消せ──っ!」
「馬鹿言え! こんな妙な火、どうやって消せっていうんだ!」
水をかけても消えぬ異質の劫火に、守備兵たちは瞬く間に大混乱に陥る。
ラザールはさらに荒い息を吐きながら二つ目の火の玉を作り上げ、同じように別の物資の塊へと飛ばした。
◇ ◇ ◇
その頃、本陣の天幕で前線への指揮を執っていた騎士団長アーレン・スタンフォードは、後方から響く尋常ならざる警戒笛の音を聞きつけた。
「……狙いは本陣ではなく、兵站か! 抜かったくわっ!」
アーレンは、伝令の報告を待たずして敵の意図を察知した。
彼は周囲の制止を振り切り、立てかけられた愛用の豪奢な長槍を引っ掴むと、本陣にわずかに残っていた警護の騎士たちを引き連れ、愛馬を駆って兵站へと突進した。
◇ ◇ ◇
ラザールが三つ目の火の玉を頭上に浮かべた頃、凄まじい蹄の音と共に、十数騎の重装騎士団が兵站へと突入してきた。その先頭を走るのは、紛れもない総大将アーレンだった。
シナはそれを確認すると、ラズの方を振り返り、引き裂かんばかりの大声を発した。
「ラズ! あれは駄目! 早く逃げて!」
彼女の野性的な勘が、眼前の男の危険性を告げていた。
ラザールは肩を激しく上下させ、息を切らしながらも三つ目の火球で物資を燃やし、すぐさま最後の四つ目の火球を作り始める。
「ラズ、急いでっ! 突撃隊、ラズから離れるな!」
シナは必死にそう叫ぶと、迫り来るアーレンらの前に、ただ一人で立ちはだかった。突撃隊の精鋭たちはシナの言葉に従い、ラズを囲む守りをさらに厚くした。
(時間を稼がなきゃ……)
アーレンは目の前で業火に包まれる物資を目の当たりにし、己の目を疑った。
「……なんということだ。これほどの物資を、これほど短時間で燃やせるものなのか」
燃え盛る炎に照らされながら、行く手を遮る小柄な銀髪の少女へと鋭い視線を向ける。
「なるほど。ロートシルト帝の傍らには常に『白銀の戦姫』あり、か。キャシアス様で?」
アーレンは、揶揄うとも、敬うともつかぬ、複雑な表情で話しかけた。
「騎士、礼儀を弁えぬか?」
シナが冷たく言い放つ。
「失礼した。私はジェイシス騎士団を預かるアーレン・スタンフォードと申す」
その名を聞いた瞬間、シナはわずかに首を傾げ、不思議そうな顔をした。
「スタンフォード? ロブの……子孫?」
「ロブ……いかにも。ロバートは我が家創設の始祖。その名を知るとは、なるほど。やはり、貴公らは……」
互いが互いを見つめ、歴史の深淵に思いを馳せるように、一瞬の沈黙が流れた。
だが、アーレンの横に控える騎士には、二人の会話の意味が理解できるはずもなかった。彼はただの不届き者と判断し、激昂して剣を抜く。
「不届き者に名はいらぬ!」
叫びながらシナに襲いかかる騎士。しかし次の瞬間、彼は無惨にも一刀のもとに首を落とされていた。
シナは悠々と、主を失って立ち尽くす馬の背へと飛び乗る。
「ロブの子孫。今すぐ引けば、一度だけ命を助けてあげる。ロブとの約束だからね」
「ありがたき申し出なれど、騎士たるもの、ここで引くわけにはいきませぬな」
アーレンは豪奢な槍を構えると、一拍置いて、シナの胸元へ鋭い一突きを放った。
シナはあっさりとその突きを神速の身のこなしで躱すと、奪った馬をわざとアーレンの愛馬へと激突させ、落馬を誘う。
アーレンは咄嗟に槍を地に突き刺し、衝撃を逃がして見事に着地した。シナもまた、ふわりと馬から降り立つ。
着地した瞬間、シナは身の毛がよだつ殺気を纏い、地を跳ねるようにアーレンとの間合いを詰め、容赦のない一撃を繰り出した。
アーレンは咄嗟に重い槍を片手で振り回し、群がる羽虫を払うが如き一撃でシナごと振り払おうとする。
しかし、シナは一瞬だけ地に突っ伏してその槍を躱すと、懐へ潜り込み、アーレンの鎧の隙間へと正確に剣を突き立てた。
「うぐぅ……っ」
アーレンの低い呻き声が漏れる。それでもなお、彼は重い槍を鋭く突き出し、シナを牽制した。
一度飛び退き、一呼吸を置くシナ。
「引きなさい。貴方はロブほど強くない。次は本気で斬るわ」
「まだまだぁ!」
アーレンは長い間合いを利用し、嵐のような連続の突きを放った。躱すシナ。だが、躱した先を見切ったかのように、アーレンの槍がさらに深く突き立てられる。
常人ではあり得ない二人の高速の攻防に、周囲の騎士たちは手を出せぬまま立ち尽くすしかなかった。
シナが五度目の突きを紙一重で躱した、その刹那。
彼女は大きく踏み込み、アーレンの首をねじ切るような一閃を繰り出した。
──!
アーレンは咄嗟に体ごと首を傾けて躱そうとした。しかし、シナの刃はアーレンの左目を捉え、その顔面に、生涯消えぬ凄惨な傷を刻みつけた。
首の代わりとしてもあまりに重い、武人としての大きな損失だ。
「スタンフォード卿!」
「おのれ、お命を頂戴する!」
これを見た周囲の騎士たちが、一斉に身体を張ってアーレンの前に立ちはだかり、肉壁となった。
シナはさらにその首を二つ落とすと、近くの馬を奪い、無言のままラズの方へと馬首を返して駆け出した。
「ラズッ!」
丁度その頃、四つ目の物資の山を完全に焼き払ったラズは、青白い顔で小さく頷くと、もはや限界を迎えたように馬の首にしがみつきながら撤退を開始した。
生き残った突撃隊が、血煙を上げてその後に続く。
「ラズを守りながら撤退戦! 後を追わせるな!」
シナの怒号が響く。ジェイシス軍を支えるはずだった膨大な物資は、この僅かな襲撃者たちによって、すべて灰燼へと帰した。
◇ ◇ ◇
クライブが率いる遊撃騎馬隊は、ヴェルナー率いる二千のジェイシス重装騎士団と激戦を繰り広げていた。
「ガルシアこそがラザール・ロートシルトである」
クライブが告げたその最悪の真実を、ヴェルナーとアイザックは飲み込めないままでいた。
飲み込めず、剣を収めることもできない。
クライブもまた剣を収めることが出来ないまま、必死の形相で叫び声を叩きつける。
「本当にここは不味いんだ、ヴェルナー! 化け物が戻ってくる! あれが戻ったら、もう俺にも止められない!」
クライブが叫んだ、まさにその直後だった。
遠方の地平線から、天を突くような不気味な黒煙が立ち上るのが見えた。
そして、その黒煙を背負うようにして、前線の乱戦地帯へと猛烈な勢いで突っ込んでくる一団があった。
先頭を走るのは、返り血で銀髪をどす黒く染めた、凄まじい殺気を放つ少女。
シナ率いる突撃隊が、凄まじい速度でジェイシス騎士団の側面へと介入を開始したのだ。
「ラズの邪魔をするなぁっ!」
その叫びはまさに狂気だった。
叫びと共に白い砂が通り過ぎると、ジェイシス軍の重装騎士たちが、まるで紙細工のように一刀のもとに次々と切り捨てられていく。その尋常ならざる戦闘力は、まさに戦場に舞い降りた悪魔そのものだった。
「あれは……シナーテ嬢、なのか……!?」
ヴェルナーの戦慄に満ちた声が漏れる。かつてガルシアの傍らにいた、あの物静かな少女の変わり果てた姿に、彼は己の目を疑った。
「ヴェルナー! 引け! 頼む。今は引いてくれっ!」
クライブが剣を交えながら、喉を枯らして絶叫する。
本陣の異変。圧倒的な殺戮を繰り広げるシナーテの姿。 そして、目の前にいるクライブの必死の警告。
「くそっ……!」
ヴェルナーは激しい葛藤に歯噛みし、後ろ髪を引かれながらも、ついに決断した。
「引くぞ! 全軍、退け──っ!」
ヴェルナーの号令の元、ジェイシス騎士団はクライブたちから距離をとり、雪崩を打って後退を始めた。
その背中を見送りながら、クライブは大きく安堵の息を吐き出すのだった。




