第18話
大国ジェイシス帝国の軍勢が、広大な緩衝地帯を埋め尽くしていた。
燦然たる黄金の紋章が刻まれた軍旗が、荒野の風にたなびき威風を放つ。
整然と居並ぶ一万八千の軍勢は、その存在自体が圧倒的で、静かに統率された暴力の塊だった。
ジェイシス帝国は、格式高く軍使を仕立て、ライラ軍に対して改めて堂々たる宣戦布告を行った。
対するライラ自治共和国軍の本陣。
遠目に揺れる帝国の軍旗を睨みつけ、ラザール・ロートシルトは、小さな息と共に、珍しく弱音を口にした。
「……早くも帝国騎士団長殿、直々のお出ましとはな。思った以上に苦戦を強いられそうだ」
油断も妥協も通じない、本物の怪物。だが、青年の瞳の奥にある冷徹な光は、いささかも揺らいではいなかった。
「しかし、誰が来ようと我々の戦略は変わらない。こちらも陣を敷くぞ!」
ラザールの鋭い号令と共に、戦いの火蓋が切って落とされた。
ジェイシス軍は、戦士団と騎士団をそれぞれ三つの部隊に分け、本陣手前に配置する。それぞれが相互支援を可能とする王道の布陣だ。
対するライラ軍が展開したのは、異形とも歪とも思える未知の陣形だった。
隠れ里から届いた巨大な盾と不自然に長槍を持つその部隊は、窮屈なほど密集して、最前線に崖から荒野に向け長い壁を築く。
開いた左側面はレティシア率いる歩兵隊が守る。そしてシナの率いる騎馬隊は、後方のやや左側面寄りに、いつでも動けるよう静かに控えていた。
「……なんでしょうか、あの不格好な陣形は」
本陣からライラの様子を窺っていたアーレンの側近が、怪訝そうに眉をひそめた。
体を覆い隠すほどの大盾を隙間なく噛み合わせ、その隙間から、信じられない長さの槍の穂先が何重にも突き出している。
「奇策か、はたまた古の失われた陣形、かな?」
アーレンは、若い敵将を誂うように薄く笑い、鷹揚に手を挙げた。
「よし、まずは一当たりしようか。戦士団、前進準備!」
大地を揺るがす地響きと共に、帝国の第一陣である戦士団が、咆哮を上げて前進を開始した。
敵の接近に併せて、ライラ防衛の要である大盾長槍部隊が、一斉に色めき立つ。
「構ええええ!」
指揮官の怒声と共に、見たこともない長さの長槍が一斉に前方に突き出され、大盾が重なるほどに兵たちが密集した。
兵たちは目を見開き、荒い息を吐きながらも微動だにせず肩を寄せ合っていた。隣の男の体温と、その震えが伝わってくる。数千の足音が、心臓に直接響いてくるようだ。
(まだか……まだかよ……!)
(すげぇ足音だ、ヤバい……。早く号令をくれっ!)
二列目以降の後方に並ぶ兵たちは、目の前の大盾と仲間の背中に視界を遮られ、前方の敵がまるで見えない。
押し寄せる絶望的な足音が、彼らをパニック寸前まで追い詰める。それでも兵士たちは、ただ訓練通りに、命綱である号令を待ち続けた。
「突けえええ!」
瞬間、空気を引き裂くように、ジャーンとけたたましくドラが打ち鳴らされた。
四千の兵士たちはここぞとばかりに、恐怖を打ち消すように、闇雲に力一杯、長槍を前方へと突き出した。
「「「──らっ!」」」
同時に、凄まじい悲鳴と怒号が最前線に響き渡った。
それが敵のものか、あるいは味方のものか。視界を奪われた後方の兵たちには分からない。
だが、彼らはただひたすらに、規則正しく鳴り響くドラの音に合わせて、気合と共に長槍を突き出し続けた。
「「「──らっ!」」」
「「「──らーっ!」」」
ジェイシス戦士団は、一斉に突出される長槍を盾で防ぎ、あるいは剣で薙ぎ払いながら、その圧倒的な膂力で敵の壁を突き崩そうとした。
だが──届かない。
あまりにも槍が長すぎる。剣の間合いの遥か外側から、狂ったように連続して突き出される槍と大盾の壁に阻まれ、帝国の精鋭たちは一歩も前に進むことができなかった。
どこから飛び出してくるか分からない長槍の穂先が、少しずつ彼らの鎧を引っ掻き、露出した隙間の肉を無慈悲に突き刺していく。
一撃の殺傷力は決して高くない。
しかし、ライラ側にはまったく損害を与えることができないまま、一方的に、少しずつ、しかし着実に、帝国の兵士たちが傷つき、血を流して倒れてゆくのだ。
「二歩前進!」
前線の様子を見たラズの合図で、ドラが素早く二度、高らかに響いた。
「「「おー、おー、らっ!」」」
地を這うような怒号と共に、ライラの巨大な密集陣が、ズシリと二歩前に出た。
ジェイシス戦士団の最前線の兵たちは、その僅か二歩の詰めに、明確なたじろぎを見せた。
間合いを外そうと距離を取ろうにも、後ろからは後続の兵たちが「押し潰せ」と押し寄せてきており、身動きが取れない。
そこへ、容赦なく突き出される不規則に規則的な槍の嵐。それは最前列の肉を貫き、さらにその後ろの兵までを貫いていった。
本陣からその光景を見ていたアーレンの青い瞳が、鋭く細められる。
「なるほど。これは凄いな ……正面からは、手のつけようがない。戦士団を下げろ」
アーレンは状況を判断し、命令を下す。
さすがは名将と讃えられる騎士だ。その素早さと冷徹さで、これ以上の正面突破は無駄な被害を出すだけと見ると、即座に退却の命令を下した。
しかし、未だ完璧な一枚岩を保ち、寸分の隙もなく槍を突き出し続けるライラ軍に対し、手痛い打撃を受けたジェイシス戦士団は、完全に陣形が崩れていた。
仲間の死体と長槍に阻まれ、退却の動きすら大きな戸惑いと混乱が生まれる。
「むう。なんと厄介な……」
アーレンは苦々しく唸り、本陣の机の上に紙を広げると、木炭でジェイシスとライラの布陣を描き始めた。
「斥候の報告によると、敵の配置はこんな感じか? 間違いないな?」
「はい。敵の主力は間違いなくあの異様に長い槍の部隊です。まさか我が軍の兵士団が突破出来ないとは……」
アーレンは地図を睨みつけたまま、深く、深く考え込む。敵が作り出した「無敵の壁」の構造を理解し、その突破口を模索する。
やがて、アーレンの指先が、崖とは反対側──ライラ軍の左側面を静かに指差した。
「ここの兵数は如何ほどだ?」
「はっ、歩兵隊、三千から三千五百。あの長槍も持っておりません」
アーレンの口元に、不敵な笑みが戻った。弱点のない軍隊など存在しない。
「よし。戦士団が下がり次第、騎士団で、ここを一気に攻め落とす。 ──ビーンを呼べ。それと、戻った戦士たちの手当てを急がせろ!」
無敵の壁の、唯一の綻び。そこへ向けて、帝国の誇る最強の鉄騎兵たちが、牙を剥こうとしていた。




