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忘神の国の吟遊詩人  作者: azyl
第2章 戦火の足音
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第17話

「ジェイシス軍、出陣。その数、およそ一万八千──!」


 放たれた物見の悲痛な叫びは、瞬く間にライラ自治共和国の全土を駆け巡り、激しい動揺となって街を激震させた。

 一万八千。それは、前回の遠征軍を遥かに凌駕する大軍勢だ。街を、兵を、ライラ自治共和国のすべてを根こそぎ一気に飲み込もうとする帝国の明確な意思が感じられた。


 ラザール直属となった書記官が恐る恐る状況を今一度整理する。


「我々も新兵を募り、奴隷を買い漁って数を増やしています。しかし、総兵力はジェイシス帝国軍の約半分ということになります……」


 その一報は国軍事務所を一時的な恐慌に陥れるのに十分だった。しかし、それ以上の凄まじい熱気がすべてを跳ねのける。


 ラザールが三大商人を動かして吐き出させた、大量の備蓄食糧。そして次々と運び込まれる夥しい武具、金貨。そして倉庫の前に山積みにされたのは、あの隠れ里から届いた大盾と、あまりにも長すぎる怪しげな長槍の山を前に、職員たちは絶望より希望を見出したのだ。


 兵たちには、物資運搬やすぐそこに迫った戦を生き残るための軍事訓練が容赦なく待ち構えている。

 国軍事務所では主だった幹部を集め、地図上を取り囲んでの作戦会議が行われている。部隊の編成や物資の到着状況に併せて、細かく、何度も、何度も、夜を徹して繰り返された。


「おらそこっ! 列を乱すんじゃねえ! 隙間を作ったらそこから突き崩されて全員死ぬぞ! 女を抱く時みてぇに、しっかり身体を密着させるんだよ!」


 訓練場には、喉を枯らして怒声を張り上げるレティシアの姿があった。

 新兵たちの顔は一様に青ざめていた。一万八千という数字の前に、既に思考が停止してしまっている。怒鳴る指揮官の怒声のみが頭の中でこだまする。


──だが、彼らの瞳の奥にある火は、まだ消えていなかった。恐れる暇などなかった。


「またあの魔王様がとんでもない物を用意したらしい」

「前も勝てたんだ、この命令に従って、必死に食らいつけば、またあの無敵の帝国軍に勝てるんじゃないか」

「やるしかない。やるしかないんだ!」


 生き残りたいという執念と、前回の勝利がもたらしたことに由来する狂信的な期待。兵たちは恐怖で震える手で、必死に隣の兵と肩を押し合い、盾を噛み合わせ、長槍の柄を握りしめていた。


「なんとか形にはなってきたようだな、レティシア」

「ああ。こいつらも必死さ。言われた通りに縦の列を少し減らして、その分、崖側からかなり広範囲にわたって『槍の壁』を作れるようになったよ」


 歩み寄ったラズの言葉に、レティシアは額の汗を拭いながら応じた。


「正面から突っ込んでくる分にゃあ、あの陣形はヤバい。あたしも正面に立ってみたけど、こいつはそう簡単には切り崩せねえわ。本当、あんたの頭はどうなってんだ?」

「何度も言うが、正面以外は致命的に脆い陣形だ。片側は崖の地形を利用して塞ぐが、もう片側の開いた側面は、レティシア、お前の側面守備隊に託すことになる。そちらに回せるのは三千程度、しかも新兵が多い。前回のようにはいかんぞ」

「任せな。三日でいいんだろ?」

「ああ。三日でジェイシスの鼻をへし折り、退かせなければ、我々の負けだ」


 続いてラズは、騎馬隊の練兵を進めるシナの元へと向かった。砂塵を巻き上げる馬たちの間で、シナは鋭く手綱を捌いていた。


「シナ、特に馬術と腕に覚えのある者を、二百騎ほど選抜しておいてくれ」

「わかったわ。 ……ということは、まさかラズ、貴方も出るつもり?」


 シナの動きが止まる。彼女は過去のラザールが使ってきた戦術の記憶から、今回の戦いの全容を瞬時に察知した。

 まともに正面から当たらない圧倒的な戦力差。敵の目を釘付けにする、あまりにも「攻略すべき箇所」が分かりやすい主力陣形。そして、突撃用の少数精鋭小隊。


「さすがだな、シナ。私の考えることはお見通しか」

「ダメよ! 貴方をそんな危険な前線に出すわけにいかないっ!」


 シナは必死の形相でラズの前に立ちはだかり、その行く手を阻むように懇願した。 

 しかし、ラズはただ静かに、揺るぎない瞳で彼女を見つめ返した。


「だが、これは私にしか出来ない。それに……君が私を守ってくれるのだろう?」

「……っ」


 その言葉に、シナはそれ以上抗うことができなかった。

 彼女は分かった、と小さく唇を噛む。

 ならば私が守ろう。

 そして、間違いなく選ぼう。彼の盾となり、その身を喜んで差し出して死ねる精鋭を。


 ◇ ◇ ◇


 一方、ジェイシス帝国軍は進軍開始した。

 騎士団長 アーレン・スタンフォード卿の元には、彼が全幅の信頼を置く騎士たちが集結していた。その中には、複雑な面持ちのヴェルナー、そしてどこか冷めた目をしたウォーレンの姿もあった。


「ヴェルナー。元をたどれば此度の戦、貴殿の弟君が行方不明になった事件が発端だ。帝国の威信をかけ、存分に働き、ライラを叩き潰して我が国の手で直々に捜索を行うぞ」


 アーレンの言葉に、ヴェルナーは深く頭を下げた。


「若輩者ですが、騎士として任務を全ういたします」


「そう固くなるな。実戦で最も足を掬われるのは、過度に気負った者だ。何が起きても対応できるよう、臨機応変にな」


 肩を叩くアーレンは、やはり紛れもない名将だった。


 しかし、ヴェルナーの胸中は複雑であった。弟のガルシアが行方知れずとなった件が戦の大義名分として使われてしまったからだ。

 さらに気がつけば自分は「悲劇の騎士」として美談の神輿に担ぎ上げられ、世論は怒涛の如く戦へと突き進んでいる。

 まるで、誰かが描いた絵図をなぞる様に。誰かが最も効果的な頃合いで火を付けたかのような──ジェイシスの自作自演すら疑いたくなるような、なんとも言えぬ違和感を拭えずにいたのだ。


 少し離れた場所から、静かにその様子を見ていた者がいる。ウォーレン・ビーンだった。


(……確かにきっかけはあの事件だ。だが、その火種を最大限に利用し、短期間で防衛体制を整えたのは、ライラに現れた『ロートシルト』とやらだ。あまりにも手際が良すぎる。果たして、偶然転がり込んできた火種かねぇ……?)


 ウォーレンの疑念をかき消すかのように、アーレン卿から軍の最終構成が告げられる。

 騎士団、六千。随行する歩兵・輜重兵、一万二千。叛逆の街ライラを踏み潰し、消し去るには、十分過ぎる暴力的な数字だった。

 想像以上の兵力に回りの騎士がどっと沸きあがる。主だったものに兵が割り当てられていく。ウォーレンには二千の歩兵、ヴェルナーは千の騎士が預けられた。


 ◇ ◇ ◇


──ジェイシス軍が国境の緩衝地帯に姿を現した、という報せがライラの本陣に届いた。開戦の時は近い。


 開け放たれた扉から、砂漠の砂を纏った一人の男が足音を響かせて入ってきた。


「よう。随分と派手に盛り上がってるじゃないか、ラザール」


 旅の汚れもそのままに、不敵な笑みを浮かべて帰還した男──クライブ・マルフランだった。


「間に合ったか。その顔……そうか。もう後ろは見なくて良いようだな」


 彼の眼差しは、これから始まる目の前の戦だけを見つめていた。

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