第16話
ジェイシス帝国の首都、燦然と輝く白亜の宮殿。
その最深部にある御前会議室は、窓から差し込む西日とは裏腹に、凍り付くような沈黙と重苦しい熱気に包まれていた。
豪奢な円卓の最上席には皇帝が鎮座し、その傍らには深く静かに佇む宰相、ガフノレス・ザザム。
そして円卓を囲むように、帝国を代表する有力な貴族たちと、鉄錆の匂いを漂わせる騎士団の重鎮たちが、険しい表情で雁首を揃えていた。
先のライラでの敗北は、帝国の威信を大きく揺るがす問題であった。
沈黙を破ったのは、豪奢な服を纏った有力貴族の一人だった。
「……では、出兵は決定事項として……」
「問題は、誰が指揮を執るかだ。ライラの兵数に変わりはないのか?」
別の貴族が、苛立ちを隠せない様子で卓を叩く。
その問いに、目を閉じたままのガフノレスが、掠れた低い声で応じた。
「儂の手の者によると、敵の兵数は、騎馬隊が二千。それに傭兵、奴隷が七千程というところらしい」
「ふん、奴隷を買い漁ったか、傭兵を募ったか。多少増えたところで、所詮は烏合の衆だ」
鼻で笑う貴族たちを、ガフノレスは冷ややかに一瞥する。
「兵数はこちらが圧倒的に上だ。気にする必要はない。だが……無駄な損害は避けるべきだ。従って、既にサーケイス王国に使者を出した」
その言葉に、円卓の一角に座る大柄な男の眉がピクリと動いた。
アーレン・スタンフォード。
帝国騎士団団長であり、国民と騎士たち、そして皇帝からも絶大な信頼を寄せられる「稀代の名騎士」である。
「宰相殿、サーケイスはなんと?」
アーレンの重厚な声が響く。ザザムは表情を変えずに首を振った。
「返答はまだだ。だが、動けばライラは奴らへの備えとして兵を割かねばなるまいな。本隊の正面突破がより確実になる」
ライラを挟み撃ちにし、一気に潰すかのような冷徹な包囲網の提示。
その時、アーレンは誰もが心の奥底で抱いていた核心を、ずばりとガフノレスに問いかけた。
「ところで、宰相殿。ライラに現れたロートシルトを名乗る者……あれは本物だと思うか? 魔法を使い、転生する。伝承通りではあるが、そのようなことが本当にあり得るのか? 本物なら貴殿の師であろう?」
緊迫した沈黙が会議室を支配する。ザザムは暫し考えてから、重く答えた。
「わからん。儂には無理だ、とだけ言っておこう……。だが、本物であったとしても、ジェイシス以外で旗を立てるならば敵だ。違うか? 騎士団長」
政治的な割り切りなのだろう。アーレンは老宰相の言葉を畏まることなく受け止め、そして豪快に笑い飛ばした。
「はははっ! ならばやはり私が出よう。この目で確かめねばならんのでな!」
アーレンはゆっくりと立ち上がり、その青い瞳に誇り高き炎を宿らせて堂々と言い放った。
「サーケイスの援軍など不要。ロートシルトを騙る不届き者は、我がジェイシス帝国騎士団の手で直々に葬るべきだ。次こそは、正面から跡形もなく踏み潰して御覧に入れましょうぞ」
名将の圧倒的な覇気に、会議室の重苦しい空気が震えた。
会議室の喧騒が遠のく宮殿の長廊下。
重々しい足取りで歩く貴族たちを、壁際で頭を垂れて見送る青年騎士がいた。
「ビーン。よくここが分かったな」
「偶然、団長がこちらに向かわれるのを見かけましたので」
「それで待ち伏せたか。抜け目ない奴だ」
スタンフォードは青年騎士に笑いかけ、共に来るよう促す。
「待ち伏せなどと。ただ、出兵がいつかお聞かせ願えればと思った次第です」
ウォーレン・ビーン。下級貴族出身でありながら、超一流の二刀流の腕前を持つ男は、この形式ばかりの宮殿の空気に反吐が出るほど馴染めずにいた。
「それを抜け目ないというのだ。お前も来るか?」
「よろしいので?」
「お前のロートシルト帝贔屓は知っている。確かめたいのだろう? 私もだ」
「あとで正式に通達する」と言い残して去っていく団長の背中を、ビーンは見送った。
騎士団の中で、彼が最も信頼する男の言葉だ。機会は必ず得られるだろう。
(ロートシルト、ねぇ……。本物の皇帝も、案外、こんな古臭い泥船がお嫌いなのかもしれんな。もし本当に伝承通り蘇ったのであれば、是非とも一目お会いしたい)
ウォーレンの心はすでに、帝国の外へと向けられていた。
◇ ◇ ◇
サーケイス王国の首都『サンケイラ』。
砂漠の熱風と乾いた草原の匂いが混じり合う境界線に、その都はあった。
眼前に広がる巨大な緑のオアシス。この美しい平城には、ジェイシス帝国のような堅牢な城壁が存在しない。その代わり、街の遥か外周を囲むように無数の強固な軍事砦が睨みを利かせ、敵の侵入を物理的に拒んでいた。
ここまでは馬で来られたが、ここからさらに南の奥地へは、ラクダでなければ生きて進めぬ過酷な世界が続く。
その王宮の待機室で、クライブ・マルフランは一人、胃の焼けるような時間を過ごしていた。
「……まだ、許可は下りないのか」
数騎の部下を伴って到着してから、すでに数日が経過していた。
隣国ライラの使者をあえて放置し、価値を測っているのは明白だった。ジェイシスからも密使が来ているはずだ。
(普通に考えたら、大国ジェイシスと組んで俺たちを挟み撃ちにし、ラフィラを切り取るのがこの国の一番の利益だ。それを、どうにかしてひっくり返さなきゃならねえ……。クソ、どう切り出す……)
一人悶々と頭の中で見たこともないサーケイス王を思い浮かべ、問答を繰り返し、冷や汗を拭ったその時、ようやく謁見の間への扉が開かれた。
◇ ◇ ◇
サーケイスの玉座に身体を投げ出す男を見て、クライブは直感的に背筋を正した。
エルビオ・クェン・アリストファネス。
濃い藍色の髪に、すべてを見透かすような褐色の瞳。「砂漠の民の御使い」と慕われる、まだ三十代半ばの王だ。
彼は涼やかな笑みを浮かべていたが、クライブは一目でその微笑みの奥にある鋭い気配を感じ取った。
(こいつぁ一癖あるな。こういう奴には真正面から話す方がいい)
クライブは胸に手を当て、まずは形式通りの挨拶を述べた。
「ライラ自治共和国の使者、クライブ・マルフランと申します。陛下、我が主からの手土産、どうぞご笑納ください」
運ばれてきたのは、数本の剣。王への土産としてはあまりにも貧相だ。
並びの貴族たちが「今やライラの経済力もこの程度か」と鼻で笑った。側仕えの者が献上されたうちの一本を鞘から引き抜き、国王に向けて恭しく差し出す。
「遠路遥々、よくぞ参った、使者殿。土産はありがたく頂戴するが……この剣はなんだ? 刃に美しい模様が彫られているようだが」
クライブは「食いついた!」と内心でホッとしたが、それを表に出すことなく堂々と言い切った。
「彫っているのではありません、陛下。これは我が主、ロートシルトが遥か昔から研究を重ね、秘匿し続けてきた技術で作られた逸品にございます。その刃には、このように様々な模様が浮かび上がるのです」
エルビオは目を細めた。
「ほう。汝の主殿は、刃に模様を出すのが得意か」
揶揄う《からかう》ように言いながら、エルビオは側仕えから奪い取るように剣を取った。
──その瞬間、王の目が初めて見開かれる。
(……何だ、この軽さは。手になじむような握り、絶妙な重心の良さ……)
これが単なる珍品ではなく、本当に未知の技術で作られた物であると直感した王は、ふっと笑って座り直した。
「いや、すまなかった。これらの逸品、ありがたく頂こう。 ……さて、使者殿。御用向きを聞こうか」
(よし。話を聞いてもらえるくらいには効果があったな。ここからが本番だ……)
クライブは居住まいを正し、恭しく一礼する。
「改めまして、本日はお時間を賜り誠にありがたく存じます。我が主ラザール・ロートシルトの命により、陛下へのお願いを伝えるためまかり越しました」
「願い、か。 ……援軍か?」
エルビオはニヤリと口元を歪めた。だが、クライブの口から出たのは、王の予想を完全に裏切る言葉だった。
「いいえ、陛下。我が主は援軍を求めてはおりません。ただ、こう申しております──『近くジェイシス帝国との戦となるが、もしライラが攻め落とされるようなことがあれば、その時は遠慮なくラフィラを攻めよ』」
エルビオの顔から笑顔がスッと抜け落ちる。
クライブは動じず、懐からラザール直筆の書状を取り出し、エルビオへと渡した。
エルビオは書状に目を通す。そこには確かに、ライラが負けたなら遠慮なくラフィラに攻め込め、と書かれていた。
「なるほど」
エルビオは、今度はニヤニヤしながらクライブを見つめる。
「書状には『ジェイシスに与するな』とは書いていないようだが、ロートシルト殿ともあろう方が手落ちではないか? 我が国がジェイシス帝国と手を組めば、ラフィラを容易く得られるのだぞ?」
クライブは少し間を置き、ゆっくりと話し始めた。
「陛下。確かにサーケイス王国は、今動けばライラを攻略する機を得られます。しかし……サーケイス、ジェイシス、そしてライラ。三国が互いを支え、牽制し合ってこその平和です」
一度言葉を切り、息を整えてから、クライブは改めてエルビオを正面から見据えて続ける。
「ジェイシス帝国が戦に勝ち、サーケイス王国が我がライラを取り込めば、次はジェイシスとサーケイスの戦です。いかに勇猛なるサーケイス軍とて、大陸の食糧庫を相手にするのは骨が折れましょう」
エルビオの笑みが、ふっと消えた。王はつまらなそうに頬杖をつく。
「……ふん。わかっておる。ライラを攻める気など最初からないわ。 ……だが、此度の戦にお主たちが勝とうとも、兵糧攻めは変わるまい?」
(俺の説得など関係なく、最初から日和見を決め込んでいやがったか。まぁ、丁度いい)
クライブはずっと考えていた口説き文句を、ここで使う決心を固めた。
「はい。ですので我が主は、ジェイシス帝国に侵攻するでしょう」
「……はっ!」
エルビオは、やっと興味を持ったかのように身を乗り出した。
「ロートシルトと言えばジェイシス帝国の建国者であろう? 自分が建てた国を自ら切り取ろうてか!?」
「食料問題を解決するには、これしかありません」
(なるほど。守るのではなく、最初から大陸の覇権を奪い返すつもりでいる訳か。存外、大胆な者のようだな。あるいはホラ吹きか……)
張り詰めた沈黙の中、エルビオは低く問いかける。
「……マルフラン卿。お主は、主が本物だと思っているのか?」
クライブは、いつもの不敵な笑みを浮かべ、頭をガリガリと掻き、視線を落とした。
「わかりません。ですが──」
そしてクライブは真顔の王を正面に見据え、誇らしげに胸を張って言い放った。
「それはこれからの歴史が、証明してくれるでしょう」




