第15話
大勝利の凱旋から一転、ライラ駐在大使の執務室は、息つく暇もなく軍制改革の書類で埋め尽くされていた。
寄せ集めの奴隷や傭兵たちを「正規のライラ国軍」として再編する実務の山。周囲がまだ初陣の勝利の余韻に浸る中、ラザールは表情一つ崩さず、淡々と筆を動かしていた。
そこへ呼ばれたのは、隠れ里の志願兵頭目であるバザルだった。
「バザル、これを受け取れ」
ラザールが差し出したのは、巨鳥『グー』の引き渡し書だった。三大商人に返却したグーを、ラザールは再び買い付けたのだ。
「お前たちには他の兵とは違い斥候としても動いてもらうことになる。これを足として使え」
「これは……御方、ありがとうございます。実は個人的に買い付けようと考えておりました」
「任務に必要なものは言え。予算に盛り込む」
「いえ、任務ではなく、里で利用できないかと考えていたのです」
ラザールはバザルを見つめたまま「なるほど」と一言こぼした。
「山深い里では馬は使い難い。だがグーなら使い勝手が良さそうだ。……繁殖させられると思うか?」
「是非! 是非やらせて下さい!」
バザルは先日の第一次会戦時にグーを気に入っていた。
もし里で繁殖させることが出来れば、暮らしがもっと楽になる。そう考え独自に育成方法を調べ始めていたのだ。
「ふむ。ならば雌を追加で買い付けよう。グーの雌は気性が荒く、通常は使わないそうだが、手に入れることは出来るだろう」
ラザールは引き渡し書を修正しながら、バザルに問いかける。
「馬はどうだ?」
「はっ、現在二千百頭余りを商人から譲り受けた牧場で飼育しております。飼育員として先の戦いで負傷したものを雇い、人手も問題ありません。しかし、今のままではこれ以上、飼育数を増やすことは出来ません」
「ならばもう一つ牧場を買い取ろう。冬になる前に飼い葉の準備も忘れるなよ」
引き渡し書をバザルに手渡したラザールは本題に入る。
「バザルよ。至急里へ行き、運べるだけの金貨と里で打った武器をいくつか持ち出せ。それから……」
そういうとラザールは机の引き出しから羊皮紙を取り出した。
「これを大至急作るよう里長に伝えよ。特別なものは必要ない。数を揃えよ」
バザルはそれを受け取ると怪訝な顔をする。
「承知致しました。早速、里へ向かいます。しかし、これは……」
「うむ。今は分からずともよい。とにかく数が必要だ。急がせろ」
「はっ!」
手渡されたのは見たこともない奇妙な武具の設計図だった。
だが、先の戦で主の神懸かり的な智略を目の当たりにしたバザルに疑問はなかった。主が必要だというなら必要なのだ。
バザルは恭しく頭をさげ、執務室を後にした。
その手にある羊皮紙に描かれているのが、ジェイシスが誇る『重装騎士団』に対抗しうる武具だとは知る由もなしに。
◇ ◇ ◇
バザルと入れ替わるように執務室へ入ってきたのは、ライラの経済を牛耳る三大商人たちだった。
彼らは恐る恐る口を開く。
「ロートシルト様、本日はどのようなご用件でしょうか」
ラザールは珍しく初めから彼らに視線を向け、商人たちに語りかける。
「三大商人よ、よく来てくれた。早速だが、小麦、チーズ、塩漬け肉など、長期保存ができる食料を、大量に買い付けたい。どの程度譲ってもらえるだろうか」
商人たちは一瞬、何を言われたのか分からず、顔を見合わせた。
「ロートシルト様……まさか、またすぐに戦を始めるおつもりなのでしょうか?」
その問いに、ラザールはわざとらしく「驚いた顔」を作って見せた。
「ジェイシス帝国は先の戦に敗れ、その相手がロートシルトを名乗っているのだぞ? あの大国が、威信にかけて再戦を挑んでくるのは当然だろう」
「しかし、今回の勝利をもって、優位な停戦交渉を執り行うものと考えておりましたが……」
「出来るならばそれでも良いがね」
ラザールは冷たく言い放つ。
「だが、もし停戦が実現したとして、その後はどうなる? この国が干上がるぞ? それでも良いのか?」
「干上がる……と申しますと?」
「ジェイシスは大陸の食糧庫だ。ライラが優位な停戦を突きつければ、彼らは報復として、必ず食料の取引を規制、もしくは輸出の一時停止に出るだろう。次の戦いへ向けた、大きな布石となるからな。そうなれば、戦の前にこの街が戦火に包まれるだろう。暴動によって……」
「──っ!」
商人たちは、自分たちの見通しの甘さに初めて気づき、顔を青ざめさせた。目の前の少年は、すでに経済という名の戦場まで遠くを見据えていたのだ。
「で、どのくらい売れる?」
ラザールは畳みかけるように言い放つ。
「えっ、えー、そうでございますね……一度商館に戻り確認してみないことには正確にお答えすることが出来ません」
「そうか。ならば早急に確認してほしい」
商人たちはその場を取り繕うようにそそくさと退出していった。
そして廊下に出るや否や、他に先を越されては堪らないと、己の商館へ駆け出していった。
戦となるとまったく頭が回らない愚かで強欲な商人たちの様子を眺めていた後ろのシナが、静かに問いかけた。
「ねぇ、ラズ。あのザザムが、兵糧攻めなんて生ぬるい事を貴方に仕掛けるかしら?」
「しないだろうな。値はつり上げるだろうが」
ラザールは腕を組み、窓の外を見つめながら、ジェイシス帝国宰相ガフノレス・ザザムの思考をなぞる。己の軍師として辣腕を振るっていた頃の彼を思い描きながら。
「もし、私がガフノレスならば、サーケイスに使者を出すだろう」
「サーケイスに?」
「『ライラとの戦のため食料が不足している。このままではサーケイスまで食料が届かない。ロートシルトを騙る不届き者を共に成敗し、ジェイシスと直接取引するための経路を確保せよ』──とな。さて、サーケイスはどう動くかな?」
ラザールは薄く笑った。
「……じゃあ、なぜ商人にあんな嘘をついたの?」
「嘘じゃないさ。全てを話していないだけだ。こうして危機感を煽っておけば、商人どもはジェイシスから食料を仕入れる裏道を必死になって確立するだろうさ」
商人たちの強欲さすら、長期戦の兵糧を確保するための『駒』として利用するラザールを、シナは羨望の眼差しで見つめていた。
「でも、さすがにサーケイスにまで動かれたら戦いようが無いわよ?」
「そうだな。だから──」
ラザールは、まっすぐな瞳を向けるシナに優しく微笑みかけながら言った。
「──彼に働いてもらうことにしよう」
◇ ◇ ◇
かくして、一人の男が部屋に呼び出された。
「ラザール、何の用だ!? 部隊編成で死ぬほど忙しいんだが!」
部屋に入るなり、頭を掻きむしって文句を言ったのはクライブだった。
グー部隊を率い「華麗なる突撃」を決めていた男は現在、騎馬隊の隊長として編成に追われていた。
ジェイシス軍が残した馬を加え、部隊数が増えたこともあり、今のところ順調とは言い難い状況だった。
「クライブ、副長はもう選出したか?」
「あ? あぁ、傭兵上がりが2名、元奴隷が1名。読み書きが出来て、騎乗経験がある奴らを選んだよ」
「それは良かった。ならばサーケイス王国に行ってもらえないか?」
クライブは意味が分からず口を開けたまま一瞬固まったが、ラザールの言葉を反芻して我に返った。
「ちょ、おま……待てよ、ラザール。編成中の騎馬隊引き連れてサーケイスに行けってか。何させるつもりだよ」
「いや? 行くのは数騎だ。今の我が軍に騎馬隊すべてを動かすような余裕はない」
クライブは完全に呆気にとられた。数騎で隣国へ行けだと?使者としてか?
「ジェイシスは、すぐにまた侵攻してくるだろう」
ラザールは声を一段下げて、冷徹に現実を突きつける。
「その前に間違いなく、サーケイス王国に対して共闘を求めるはずだ。我が軍に兵を割く余裕はない。ガフノレス・ザザムは、サーケイス軍を囮として使うつもりに違いない」
ラザールの言葉に、クライブは息を呑んだ。
「……停戦に持ち込めないのか?」
「無理だろうな。クライブ、お前も騎士なら分かるだろう? 小国に圧倒され、しかも相手はロートシルトを名乗っているのだ。ジェイシス帝国の貴族として、騎士として、我慢せよと言われて耐えられるものか?」
クライブは、沈黙した。そして理解してしまったのだ。帝国の、騎士の矜持とはそういうものだと。
ならば、次は名ばかりの貴族ではなく、本気でライラを落としにくる。
「……ジェイシスより早く、サーケイスに援軍を求めろと?」
「援軍は要らない。次の戦も我が軍が勝利する。だが、ジェイシスに与されればどうしようもない」
「黙って見過ごせと言ってこいってか」
「そうだ」
クライブの背中に冷たい汗が流れる。
サーケイス王国にすれば、この機にライラ第二の都市『ラフィラ』を落とせば大躍進だ。
大国ジェイシス帝国の依頼、さらにはロートシルトを騙る不届きものを討つという大義名分もある。攻めない理由がない。
それを数騎で乗り込んでどうやって断らせろと言うのか。
絶望的な無理難題。しかし、ラザールは冷酷なだけの男ではなかった。
「クライブ。隠れ里で打った武具を持っていけ」
「……あ?」
「そして、サーケイス国王にこう伝えるんだ。──『次の戦いでライラが負けたなら、遠慮せずにラフィラに攻め込むがいい。その時にはもう、この国に戦える者はいない』とね。書状をしたためておくよ」
「っ……!」
クライブの全身に鳥肌が立った。
ラザールは最初から、サーケイスを言葉で言いくるめるつもりなどない。
「ライラが負ければラフィラは無条件でお前たちのものだ」という餌を撒きつつ、ライラが勝った場合はどうするのかを考えさせろという訳だ。
サーケイス王国の参戦を止め、戦に勝たなければライラ自治共和国は大陸から消える。
だが、ラザールは第二次ジェイシス会戦にサーケイス王国の援軍なしで勝つと言った。
クライブは、これが己の命をかけてでも果たさねばならない、あまりにも重い使命であることを悟った。
「はぁ……ったく……崖から落ちたあとはこれかよ」
クライブは深く、深くため息をつき、いつもの不敵な笑みを浮かべて頭をガリガリと掻いた。
「分かった。やるよ。その代わり、無事帰ったら奢れよ」
去り際、クライブは青年の姿をした『魔王』を振り返り、ニカッと笑った。
「とびきりの『良い酒』を、な」
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