第14話
──ライラ国首都、国境付近の大広場。
一万二千のジェイシス帝国軍を打ち破ったという報は、一瞬にして街中へと駆け巡っていた。
ラザールが事前に伝令を飛ばし、三大商人に報告していたからだ。伝令にはご丁寧にも、街中にその勝利を吹聴して回るよう指示してあった。
噂は噂を呼び、「魔王が雷を降らせた」だの「怪鳥が空から舞い降りた」だの、早くもおとぎ話のような物語になっている。
それでもジェイシス軍団による侵攻の脅威に怯えていたライラの民にとって、「ロートシルトを名乗る男が大軍を打ち破った」という知らせは、文字通りの救世主に他ならなかった。
「戻ったぞ! 我らが軍勢のご帰還だ!」
「あれか? あの先頭の青年がロートシルト様か?」
夕刻、大広場へと続く大通りは、立錐の余地もないほどの群衆で埋め尽くされていた。
先頭のラザールにシナがぴったりと寄り添うように馬を御す。続いて騎馬隊が堂々と進む。
そして最も厳しい戦いを繰り広げたレティシアの戦士隊、最後にクライブの巨鳥部隊が、歓声轟く大通りを進んでいく。
かつては貧困街のゴミのように蔑まれ、金で動く駒としか見られていかった荒くれ者たちが、今は色とりどりの花びらと歓声を浴びている。
「お前ら、見たかよ! あたしたちが大勝利を引っ提げて帰ってきたよ!」
レティシアが純白の八重歯を覗かせて豪快に笑いながら『三つ刃の戦斧』を掲げると、地鳴りのような歓声が応えた。
貧困街の路地裏からは、死を覚悟して見送った剣奴たちの家族が、涙を流しながら彼らの名を呼んでいる。
かつてこれほどまでに、剣奴たちが「誇り」に満ちた顔をしたことがあっただろうか。
(良い反応だ。これならば世論の操作も容易だろう。レティシアの使い道が増えたな)
その熱狂の中心を、ラザールはシナを伴い、静かに、そして傲然と馬を進めていた。
街の人々は彼を称えようと押し寄せるが、ラザールが放つ圧倒的な威厳に触れると、まるで海が割れるように道を開けていく。
彼らにとってラザールは、救世主であると同時に、決して逆らってはならない「本物の魔王」だった。
◇ ◇ ◇
街へ戻るなり、ラザールは息をつく間もなく行動を開始した。向かった先は、かつて混沌の極みにあった傭兵組合だ。シナも当然のように同行する。
「ヒッ……! ろ、ロートシルト様、お、お戻りで……!?」
受付カウンターの奥でガタガタと震える事務員に対し、職員全員を集めるよう指示し、ラザールは事務所の奥へ入っていった。
簡素な事務所には組合長が自席に腰かけていたが、ラザールが現れるなり慌てて椅子を譲り、職員に茶を用意させる。
ラザールは椅子に深く腰かけ、事務員全員の集合を待って、冷酷に言い放った。
「本日、この時をもって傭兵組合は廃止とする」
一瞬の静寂のあと、事務員たちが一斉に騒ぎ出す。
「え、ええっ!? 組合を、廃止……!?」
「俺たちはどうなるんだ?」
「仕事が無いと食べていけないじゃないか!」
当然だ。意味も分からず突然職を奪われ、納得する者などいやしない。
「静まれ! 今よりここは『ライラ国軍事務所』とする。お前たち事務員は全員、これより私直属の事務官として雇用する。拒否権は無い。ただちに国軍兵士の登録と、今回の戦の報酬を支払う手続きに取り掛かれ」
有無を言わさぬ魔王の命令に、事務員たちは涙目になりながら「は、はいぃっ!」と服従を示した。
「これまで傭兵登録に利用していた割符を、今後は国軍兵士の階級章として再利用する。新しく訪れる者も含め、兵として登録した者に順次渡して名簿を作成し、管理する仕組みを作れ。いいな、死ぬ気で働け」
ラザールは続けて、後ろに控えていたクライブ、レティシア、バザルの三人に矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。
「この度の戦争に参加した者はすべからく、この事務所へ訪れるよう伝えろ。此度の戦に参加した全ての者に報酬を与える。傭兵、奴隷、分け隔て無く全てだ。正式な国軍兵士の証として、割符を全員に再配布しろ。剣奴たちも例外ではない。彼らはもう奴隷ではない、我が国の気高き兵士だ」
その言葉に、レティシアの胸が熱く震えた。
「クライブ、レティシア。お前たちは兵士の登録を補佐しつつ、今回の戦で目立った強者を選出しておけ。次の戦いからお前たちの副官とする。それと──」
ラザールの声が、一段と低くなる。
「戦地で倒れた死者、および負傷者の名前を一人残らず正確に記録しろ。生死を問わず、戦に参加した者には正当な報酬を支払う。死者の分は、その家族へ国家からの報奨として届けるのだ。これは施しではない。国家としての義務だ」
「……旦那。本当に、大層な王様だよ、あんたは」
レティシアは呆れたように、しかし深い忠誠を込めて笑った。
(ふん。こういうのが好きなのだろう、レティシア。だが、これは単に法の元の平等と言うものだ)
最後にバザルへ司令を下す。
ラザールはバザルに対する際、わざと幾分横柄に、尊大に振る舞う。
「バザルよ。お前はすぐに動ける者を率いて、戦場へ戻れ。ジェイシス軍が残していった武器、防具、兵糧をすべて回収しろ。軍馬はお前の配下で世話をしておけ。それ以外は全て三大商人の元へ運べ」
「御意」
バザルは一切の無駄を省き、主の命に従う。
一通りの指示を終えたラザールは、事務員たちが大慌てで書類仕事に追われるオフィスを後にし、元組合長の執務室へと入った。
◇ ◇ ◇
執務室はあまり使われていなかったのだろう。
一通りの家具は備えてあるが、書類や生活用品が置かれていない。
部屋の扉が閉まると、それまでの張り詰めた空気が、一瞬にして静寂へと変わる。
ラザールは長椅子に深く背を預け、ふう、と静かに息を吐いた。豊富な経験をもつラザールであっても、一万二千の軍勢を相手にした初陣の疲労は、確実にその若い身体に蓄積していた。
何も言わず、シナーテが彼の後ろへと回る。
細く、しなやかな指先が、ラザールのこめかみと、強張った肩を優しく揉みほぐし始めた。絶妙な力加減に、ラザールの身体から自然と力が抜けていく。
「疲れちゃったね、ラズ」
「そうだな。だが、シナが支えてくれる」
ラザールは目を閉じたまま答える。ふと、数時間前の戦場での、あの狂おしいほどの口づけの感覚が蘇った。
わずかに目を開け、後ろの少女を見上げる。普段は氷のように無表情なシナだったが、ラザールの言葉に、銀髪の隙間から覗く耳がほんのりと朱に染まった。
彼女の青い瞳は縋るような熱を帯びて真っ直ぐにラザールを見つめ返してくる。
「君はまだ戦場で私から離れるのが怖いのか?」
「だって、また貴方が居なくなるかもと思うと……貴方は私の全てだもの」
「……君は変わらないな。昔から」
ラザールは小さく口元を緩めると、彼女の手をそっと取り、引き寄せた。シナは抵抗することなく、ラザールの胸へとその身を預ける。戦場での冷徹な姿が嘘のように、その身体は小さく、触れると壊れてしまいそうなほど繊細だった。
激動の渦中、この静寂と、互いの体温だけが、二人の絶対的な絆を繋ぎ止めていた。
(そう。ずっと私を支えておくれ。私の計画には君が必要なんだ)
そのまま、二人はしばしの微睡みに身を委ねた。
◇ ◇ ◇
翌朝、コンコン、と扉が叩かれる。
「入れ」とラザールが声をかけると、三大商人たちが、青ざめた顔でやってきた。
ラザールは事務机で書類に視線を落としたままだったが、シナはいつものラザールの影と成り、商人たちへ冷たい視線を送った。
入ってきた商人たちは、恐怖で完全に縮み上がりながら、口々にラザールの勝利を称えた。
「ロートシルト様! まさか、まさか本当に一万二千を退けられるとは……!」
「傭兵や私兵で編成された急造の軍団で帝国の騎士団を追い払うとは、流石、古の覇王でございますな」
「然り、然り」
ラザールは商人たちに目もくれず、「そんな事を言いに来たのか?」と突き放す。
商人たちは口をつぐみ、恐る恐る話し出した。
「昨晩からジェイシス軍の物と思われる物資が次々と我らの元に運ばれてきておりまして……」
「そうだろうな。私がそう指示した」
「それらをどう扱えば良いかお聞きしに参った次第でございます」
ここでラザールはやっと商人に目を向けた。商人たちの顔が強張る。
「まず、生き残った巨鳥はすべてお前たちに返却する。約束通りお前たちが今後も商売を続けるためにはあれが必要だろう。だが、馬は返してやる事が出来ない。すまんな」
「お、おお……! それは願ってもない申し出。ありがとうございます」
予想だにしないラザールの言葉に、商人たちは驚きと喜びを隠せない。そんな商人たちを無視し、ラザールはさらに続ける。
「次にお前たちの元に届けたジェイシスの軍事物資だが──それらを買い取る気はあるか?」
商人たちは一瞬目を丸くしたが、すぐに商人の顔に戻った。「鉄」は、この大陸においてサーケイス王国以外では少量しか採れない極めて貴重な資源だ。
ライラはサーケイスから鉄を輸入し、加工して販売する事で巨万の富を得て発展した国なので、そのありがたみを誰よりもよく知っていた。
ジェイシス帝国の武具は高価な物が多い。破損している物は溶かせば、新しく作り直す事が出来る。
この取引は莫大な富を産む可能性があるのだ。
「も、もちろんでございます! 喜んで買い取らせて頂きます!」
「ならばその買取代金は、そのまま国軍兵士たちの報酬の原資とする。手続きは事務所へ通せ」
実質的な軍税の徴収を「商売」という形で行うラザールの手腕に、商人たちは背筋を凍らせた。
「最後に、一つ通達だ。今回の勝利で、ロートシルトの名は周辺の都市へも響き渡る。三大商人よ、お前たちのツテを使い、周辺の街へ触れ回れ。『ロートシルトが、さらなる強者を求めて兵士を募集している』とな。金が欲しい者、名を上げたい者、我が軍へ集えと」
商人たちは平伏した。
一万二千を消し去った魔王が、さらに軍勢を拡大しようとしている。この国は今、この黒髪の少年を中心に、恐ろしい軍事国家へと作り変えられようとしていた。
「ハッ……! ただちに、周辺諸都市へ触れ回らせます!」
◇ ◇ ◇
一方、その頃。
ジェイシス帝国・帝都にある重厚な政庁の一室では、冷徹な静寂が満ちていた。
「──我が戦士団および重装騎士団は、ライラ国境緩衝地帯にて……壊滅。生き残った兵たちは、蜘蛛の子を散らすように敗走しております」
報告を聞く男──ジェイシス帝国の実権を握る宰相、ガフノレスは、表情一つ変えずに書類を見つめていた。
部屋の周囲には、今回の遠征を強く推し進め、甘い汁を吸おうとしていた無能な貴族たちが、青ざめた顔で並んでいる。
「ガ、ガフノレス閣下! これは前線の将軍が油断したせいで──」
「言い訳は不要だ」
ガフノレスの低い声が室内に響いた瞬間、貴族たちはピシャリと口を閉ざした。
「此度の敗戦は、帝国に泥を塗る大失態。そして、この戦を私利私欲のために煽った者たちの責任は重い。──本日をもって、ここにいる者たちの貴族位、および全財産を没収する。資産はすべて国庫へ編入し、お前たちは首都から追放だ」
「な、何だと!? そんな横暴が──」
「連れて行け」
ガフノレスが手を軽く振ると、漆黒の甲冑を着た近衛兵たちが容赦なく貴族たちを引きずり出していく。
悲鳴と罵声が遠ざかり、部屋に再び静寂が戻る。
一人残されたガフノレスは、机の上に広げられたライラ国境の地図に視線を落とした。
敗残兵たちが口々に叫んでいた、おぞましい噂。
『ロートシルトを名乗る魔王が現れた』。
「ふん……。ついに表舞台に出てきたか」
ガフノレスの口元に、不気味な笑みが浮かぶ。
ライラへの出兵が決まった時からラザールの台頭は容易に予期できた。引き換えに無能な貴族どもを一掃出来たが、次は対応を違える訳にはいかない。
邪魔者が消えれば正しい選択が出来るはずだ。
「さて……国を丸ごと一つ手に入れた魔王にどう対峙したものか……」
ガフノレスは地図の上の「ライラ」の文字を、指先で強く、押し潰すようになぞった。
次なる戦いは、今回の無能な前線将軍たちの小競り合いとは訳が違う。本気の軍勢を動かし、あの魔王を策略の渦へと引きずり下ろすための、冷徹な思考を巡らせ始めるのだった。




