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忘神の国の吟遊詩人  作者: azyl
第1章 雌伏の英雄
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第1話

「居ない……今日も……」


 その声は静かな雨音にさえかき消されるほど弱々しいものだった。

 薄暗い部屋の片隅にあった小さな影は、ふらりと立ち上がると湯浴みをし、また元の場所に戻りため息交じりに小さく呟いた。


「早く帰ってきて。私、もうこんなに歳を取って……おばーちゃんになっちゃうよ。一人じゃ消えちゃうよ……」


 確かに若き日の彼女を知る者ならば、いったい何が起こったのかと驚かずにはいられないだろう。

 だが、そうでない者ならば彼女の言葉の意味を理解することなど出来はしない。


 最愛なる者を一人待つ長い日々が彼女に与えたものは深い皺ではなく憂いの表情であり、白く染まった髪ではなくまっすぐに伸びた美しい、流れるようなプラチナブロンドだったのだから。


「ラズ……いつ帰ってくるの?ずっと一人だなんて……もう嫌だよ。お願い、早く……早く私を傍において……」


 一向に降り止まない雨が開け放たれたままの窓から入り込み部屋を濡らす。

 影はただ、ベッドに横たわり雨音の中に人影を探していた。


 ◇ ◇ ◇


「ここだよ。」

「やっと着きましたか。うへぇ、ひどい目にあった。びしょ濡れですよ。しかも目的地はお化け屋敷ときてる」

「無駄口を叩くな。ガルシア様、馬を繋いで上がらせて頂きましょう。この屋敷にお一人ではさぞかしご不安な時をお過ごしと思います。お急ぎになられたほうが宜しいのではないでしょうか」

「そうそう、女性をこんなところに閉じ込めて置くなんてガルシア様もお人が悪い。寒さと恐ろしさで一人泣いてらっしゃるのではないですか?私ならすぐに連れて帰って暖めて差し上げるのになぁ」

「クライブ、いいかげんにしないか!」

「おっと。さぁ、父上。急ぎませんと。2階の窓が空いています。ガルシア様をお待ちなのでしょう。急ぎ参りましょう」

「そうだね、まず中に入ろう」


 先頭を行くクライブと呼ばれた青年が言うように、目の前には灯りひとつ無く、壁にツタを走らせ、周りを囲む大きな木々が雨に濡れた細い枝を垂らす薄気味悪い屋敷があった。


 大げさに、どこか滑稽に雨を避けながら歩く彼はまだ若く、その顔には皮肉な笑みを浮かべている。


 続く男性は更に若い。顔立ちには僅かに幼さが残り、身体の線も細い。

 だが、どこか凛とした、不思議な雰囲気をもつ人物だった。


 最後は一見して軍人と分かる初老の男だった。

 がっちりとした体格、あたりを油断なく見回す動きは他の二人と明らかに違った長年の経験から身に付けたものだ。


「あーあ、泥がはねてる。姫君に初めてお目にかかると言うのにこんな格好では失礼だなぁ」

「やかましいと言うに。この任務の重要さがお前には分からんのか?油断は禁物じゃ。失礼というなら泥を気にするよりもまずそのみっともない髭を剃るのだな」

「尊敬する父上を真似ているのですよ。似合いませんか?屋敷の侍女たちには受けが良いのですがねぇ」

「まったく、女、女と。そんなことだからいつまで経っても一人前になれんのだ、お前は。尻を追う時間があるなら剣の稽古を……」

「二人とも、とにかく中に入ろう」


 ガルシアは苦笑いしながらドアを開ける。締め切った部屋に風が入り込み、埃が宙を舞う。


「お掃除は苦手なようですな」

「皆には内緒にしておいてくれよ。

さて、僕は彼女を迎えに行ってくる。二人はここで待っていてくれないか」

「お一人では危険です。護衛致します」

「父上、無粋ですよ」

「だからこの任務の重要さが……」

「わかったわかった。大丈夫だよ。僕一人で行ってくるから待ってて。何かあったらすぐに呼ぶから」


 この二人は口を開けばいつもこんな調子だった。


(ここで存在を知られるわけには行かないのだがな。いや、もう手遅れだろうか。とにかく二人きりで会って話をつけるとしよう)


 階段を上るガルシアの足元に埃が舞い踊った。

 不安げに見つめる初老の男性とニヤニヤと笑みを浮かべる青年に振り返り、ガルシアはまた苦笑した。


 ◇ ◇ ◇


「──?!」


 いつの間にか眠ってしまったらしい。

 侵入者に気づき、音もなくベッドから起き上がった彼女であったが、開け放たれたままの窓を見て無意味であることを悟った。


 自分と、自分の主であり最愛なる者のみが入ることを許された聖域。それを踏みにじるとは。

 細身の剣をつかみ、流れるような動作で扉に駆け寄ると侵入者の気配を探る。


(二人、いや三人か。この部屋に向かっている。まず上がって来たヤツの首を落とす。残りはその後、死体を始末させてからね)


 剣を手にした彼女には、先ほどまでの儚さ、弱さ、憂いの表情など微塵もなかった。

 鼻に皺を寄せ、眼光鋭く、怒りと殺意のみが彼女を支配していた。


(やれやれ、困ったな。このまま行けばドアノブに手をかける前に切られる。名を呼ぶことは出来ない。さてさて……まぁ、なんとかなるか)


 ドアの前にガルシアが立った瞬間、風が螺旋状に舞い上がった。


「なっ!?」

「ガルシア!」

「大丈夫、下で待っていてくれ」


 階段の下で剣に手を掛けた戦士と、既に階段を上り始めていた青年を制したまさにその時、ドアから白い影が飛び出してきた。

 ガルシアは影を部屋に押し込めるように入り、ドアを閉めた。


「……父上、あれはなんだったのでしょう?」

「窓が開いていたからな。風が巻いたのではないか?」


 納得は出来ない。

 風の渦はガルシアを中心に巻き上がったのだから。


 珍しく真剣な顔をした息子を見て、アイザックは目を細めた。

 主の変異にいち早く反応したのは自分ではなく、まだ若い息子だったのだ。


(いつの間にか若い者たちの時代になっていたのかもしれんな。ガルシア様に付きライラへ赴任と聞いた時は反対したものだが……)


「ん? 父上、何か?」

「なんでもない。暫しお二人の時間となろう。ここで待たせて頂くぞ」

「埃の中で、ねぇ」

「お前は常に一言多い。大体、騎士と言うものはだな……」


 ◇ ◇ ◇


「ラズ……ラズゥ……」

「ただいま。シナ」


 その一言は、彼女の不安を全て解き放った。

 もう言葉にもならなかった。ただただ涙が溢れ出す。

震える肩を、小さな頭を必死に彼の胸に埋め、彼の暖かさを、存在を確認する。


「待たせたね。落ち着くまで暫くこうしているといい。可愛いシナ。また同じ時間を生きよう」


 どの位の時間がたっただろう。落ち着きを取り戻してきた彼女にガルシアが話かける。


「今の私はバンドール男爵家の次男、ガルシアと名乗っている。下にはマルフラン家の親子が付き人として来ている」

「ガルシア……?」

「そうだ。目覚めてから数日しか経っていないのでまだ正体を明かしていない。まず君を迎えに来たんだ。私の妻になってもらおうと思ってね」

「ラズの奥さんに?」

「ガルシアの、だよ。まぁ、後々はラザールの妻ということになる。プロポーズを受けてくれるかな?そのためには今の私に見合う年齢に若返ってもらわないといけないのだけれど」

「どうして?今まで一度もそんなこと言ってくれたことなんかないじゃない。いつも娘だって……」

「妻にと考えたのはそうするのが都合が良いからだが……今回はいつもより長いこと心配をかけた。君の様子を見て、それが一番安心させられるだろうと改めて思ったよ。それとも私が相手では不満か?」

「私……私、はおばーちゃんになっちゃって……」

「今のままでも君は十分に美しい。若返りはただの年齢合わせだよ。さぁ、服を脱いで。これから暫くの間、君の名はシナーテだ。以前盗賊に襲われ殺された有名な踊り子システィーナ・ウォルフの異母姉妹だ」

「……システィーナの義妹……シナーテ・ウォルフ……」

「義妹ね。そして私の妻となるのだ」

「ラズの……ガルシアのお嫁さん……」


 熱にうなされるように、彼女は言葉を繰り返した。

これもまた何度も見た夢の一つなのだろうか?

 そんな彼女の白い肌を優しい光が照らした。

 目を細め窓の外を見上げる。


 いつのまにか雨は上がり、部屋中を覆っていた闇は陽の光に切り裂かれていた。

 覚めることのない夢。


 閉ざされたままのドアを開け放ち、苦しみの部屋を出る時が来たのだ。


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