第11話
三大商人の商館を後にしたラザール、シナ、レティシアの三人は、一度ラザールたちが確保していた街外れの宿屋へと戻っていた。
部屋に入るなり、ラザールはクライブたちが隠れ里から馬車で運び込んでいた、ずっしりと重い皮袋をいくつか無造作に掴み取り、それをレティシアに向けて放り投げた。
「おっと──」
レティシアは見た目より重い布袋をしっかり受け止めたあと、耳元で鳴る硬質な金属音を確かめながら、面白そうに目を細めた。
「なんかジャラジャラいってんぞ。これ金じゃねーのか?」
「そうだが?」
ラザールは当然のように答える。
レティシアは金髪をいじりながら、品定めするような視線を黒髪の青年に向けた。
「いいのかい? あたしに持たせて」
「問題あるのか?」
「ははっ、いや、問題ないけどさ。あたしゃこれでも奴隷の身分だからね。奴隷に金持たせるなんて、お人好しだなと思ったのさ」
自嘲気味に、しかし隠しきれない野生味を帯びた、ニカッとした八重歯を覗かせる笑み。
その言葉を聞いたラザールは、わずかに眉を動かした。
「奴隷? 私兵ではないのか?」
「あぁ、商人どもが体裁のためにそう呼んでるだけさ。あたし達は剣奴。貧困街に閉じ込められてる戦い専門の奴隷だよ」
そう吐き捨てるレティシアの露出した小麦色の肌には、これまでの死線を潜り抜けてきた証である、いくつかの古傷が刻まれている。
ラザールは、彼女の引き締まった腹部と、身につけている上質な黒い革鎧に視線を落とした。
「その割には小綺麗な格好だな」
「特別待遇ってやつさ。あたしは腕が立つからね」
そう言って筋肉が盛り上がる自慢の二の腕を軽く叩くレティシアの不敵な笑顔には、修羅場を潜ってきた自信が溢れ出ていた。
「なるほど。家名も特別待遇か。では私も厚遇せねばならんな」
ラザールが冷徹な瞳の奥に確かな光を宿してそう告げると、レティシアは一瞬だけ驚いたように目を見張り、すぐに挑戦的な笑みを深めた。
「腕を見てからにしなよ、お人好し。で? 傭兵組合に案内すればいいんだね?」
「その通りだ。行くぞ」
ラザールが促すと、影のように控えていたシナーテが静かに扉を開ける。
ずっしりとした金貨の重みを抱えたレティシアを伴い、三人は再びライラの街へと歩みを進めた。
◇ ◇ ◇
ライラ首都の中心部に位置する傭兵組合は混沌としていた。
ジェイシス帝国侵攻の噂を聞きつけ、一儲けしようと集まった荒くれ者がひしめき合い、室内には濃密な殺気と欲望が渦巻いている。
そこへ、およそ場違いな青年と銀髪の美少女が姿を現した。
そしてそのすぐ後ろには、この界隈で知らぬ者のいない女傑、レティシア・レノが控えている。
「おい、見ろよ……レティシアだ」
「お前、あんなガキまで引っかけてんのかよ」
「子守りでも始めたのか?」
下品なヤジとざわめきが、またたく間に広がっていく。
レティシアは野生的な金髪をかき上げ、八重歯を覗かせてニカッと笑った。
「てめぇら、死にたくなきゃその汚ねぇ口を慎みな。このお方はな、あたしの新しいご主人さまだ」
ラザールは周囲の状況など一切お構いなしに、真っ直ぐ受付カウンターへと歩みを進めた。
怪訝な顔をする受付係の前に、無造作に豪華な作りの割符を放り出す。
「……ッ!? こ、これは、三大商人様の……!」
受付係の顔が、一瞬で真っ青になった。ライラ中の傭兵を一括で動かすことができる、最高権限の証明だ。
「今現在、動かせる傭兵をすべて召集し、夕刻、国境付近の大広場へ集めろ。最優先事項だ」
「し、しかし、そんな急な大動員、いくら割符があっても前金や準備が──」
受付係が言いかけた瞬間、ラザールはレティシアから革袋を受け取り、カウンターに放り出す。
ドサリと重い音が響き、紐が解けた口から、上質な純金貨の山が溢れ出る。
「これは支度金だ。それと──その金で、集まった傭兵たちに振る舞うだけの酒と肉を今すぐ手配しろ。これから戦いに向かう兵たちへの、私からのささやかな挨拶だ」
溢れんばかりの金貨を前に、受付係だけでなく、周囲で買い言葉を探していた荒くれ者たちまでもが完全に言葉を失った。
ラザールは彼らに一瞥もくれず、すぐに踵を返した。
「レティシア、商人の私兵もここで集められるか?」
「いや、そっちはあたしが集めてくるよ。商人ごとに住んでる場所が違うからね。旦那じゃ集めるのは無理だ」
三人は、唖然とする傭兵たちを残して組合を後にした。
◇ ◇ ◇
レティシアは勝手知ったる貧困街を訪れていた。
街道から外れた、薄汚れた裏通り。劣悪な環境で飼い殺されている私兵──剣奴たちの居住区があった。
皆、生きる希望を失ったかのような死んだような目をしている。
「おい、クソ野郎ども! 生きてるか!」
レティシアが一言かけると、その場の空気が一変した。
「れ、レティシアの姉御……!」
「鬼姫だ! 鬼姫様が来てくれたぞ!」
どん底の生活から、その圧倒的な武力だけで三大商人の直属護衛にまで這い上がったレティシアは、彼らにとって唯一無二の「憧れの英雄」だった。
レティシアはニカッと豪快に笑い、声を張り上げた。
「夕刻までに国境付近の広場に集まりやがれ! 新しい主の奢りで、たらふく食える肉も酒もあるぞ! その辺でぶっ倒れてるヤツも、全員引きずって連れて来い!」
一瞬の静寂のあと、地響きのような歓声が轟いた。
絶望に沈んでいた彼らの目に、ギラギラとした野生の活気が戻っていく。
レティシアはその光景を満足げに眺めてから、また別の貧困街へと向かった。
(いつぶりだろうねぇ。こいつらがこんなにイキイキしてんは)
◇ ◇ ◇
夕刻。指定された国境付近の大広場は、凄まじい熱気に包まれていた。
集まったのは、数千人の傭兵と剣奴、そして何事が始まるのかと集まった野次馬たち。肉と酒を振る舞う商人たちも忙しなく大串の肉を焼き、酒樽を運び込む。
まるでお祭り騒ぎだ。
その喧騒の中心へ、ラザールはシナを伴い、静かに進み出た。
「おい、なんだあのガキは」
「レティシアの情夫らしいぜ?」
「酒を奢ってくれるんだ。悪いやつじゃぁねえな」
ざわめく数千の視線を一身に浴びながら、ラザールは傲然と言い放った。
「腕に覚えのある者、前に出ろ!」
数瞬の静寂の後、我こそはと数名の筋骨隆々な傭兵や、血気盛んな剣奴たちがにやつきながら名乗り出た。
ラザールは懐から純金貨を一枚取り出し、指先で弄ぶ。
「私を倒してみせろ。そうすれば、ここに用意した金貨をすべてお前たちにくれてやる」
「あぁ? なめてんのか? 小僧」
「大口叩きやがって! 後悔するなよ、坊主!」
一人の大柄な剣奴が、手にした大剣を振りかざしてラザールに襲いかかった。
だが──ラザールへと近づくにつれ、その男の顔から余裕が消え去った。
「が、は……ッ!? な、んだ、これ……っ!」
ラザールに近づくにつれ、一歩、また一歩と身体が重くなる。間合いに入り込む前に、男の身体には、まるで目に見えない巨人の足で踏みつけられたかのような異常な圧力がのしかかった。
男は大剣を落とし、抗う術もなく地面に這いつくばった。
「な、何が起きた!?」
「魔法か!? おい、あいつ魔法が使えるのか?」
動揺する周囲を余所に、次々と別の傭兵たちが武器を構えて飛びかかる。しかし、ラザールが手を翳すだけで襲撃者たちは例外なく強烈な重力に圧し潰され、地面の石をパキパキと割りながら次々と平伏していく。
お祭り騒ぎだった数千の軍勢は、その人智を超えた力を前に、水を打ったように静まり返った。
ラザールは冷徹な瞳で周囲を見下ろし、次に後ろに控えていた金髪の女傑を呼んだ。
「レティシア、前に出ろ。シナと戦ってみせろ」
「いや、嬢ちゃんがただ者じゃねぇのは知ってるけどよ。いくらなんでもそりゃねーだろ」
シナは帯剣していなかった。
代わりに手にしているのは馬に振るう長鞭だ。
「気にするな。本気で戦ってみせろ。腕が立つんだろう?」
ラザールの煽りにレティシアは不敵な笑みを浮かべ、背中の戦斧を引き抜いて構えた。
対峙するシナに動きはない。だが、その瞳を見た瞬間、レティシアの背筋に冷たい戦慄が走った。
「……オラァッ!」
地を蹴り突進するレティシアの剛腕から強烈な一撃が空を裂く。
しかし、シナはそれを最小の動作で躱す。
レティシアは続けて巨大な戦斧を振り回すが、シナは舞うように躱し続ける。
まるで風に舞う花びらを相手にしているかのように手応えがない。
「ふ──っざけんな!」
なおも戦斧を振り続けるレティシア。
シナはふわりと飛び退き、一旦距離を取ったあと、無造作に歩を進めた。
完璧な間合いで振り下ろされる戦斧。
それを紙一重で躱すシナ。
戦斧が石畳を砕くが、気づけばシナの鞭がレティシアの腕を鋭く打っている。
構わずレティシアは石畳ごと戦斧をシナに打ち付けた……はずだった。
しかし、そこにシナの姿はなく、今度は死角から尻に鞭が飛んだ。
(速い!)
レティシアは腕を振り回し、シナを捕らえようとするが、それすらシナへは届かない。
腰、首、頬。
次々と鞭で打ち据えられ、レティシアの肌に赤く跡を残していった。
シナがレティシアを翻弄し、元居た位置まで戻ると、ラザールは彼女に愛剣を投げ渡す。
「レティシア、何も考えず一撃を放て」
その声に呼応するように、レティシアの身体は獣のようなしなやかさでシナに迫った。そして間合いに入った瞬間、これまでで最速の一撃を放つ。
割れた石畳が飛び散り、戦斧が深々と地面にめり込む。そして──シナの冷たい刃は、すでにレティシアの首元を撫でていた。
「……そこまで」
ラザールの声に、シナはすっと殺気を収め、主の後ろへと戻る。
レティシアは冷や汗を流しながら、愛用の斧から手を離し、ダラリと腕を下げた。完敗だった。
数千の荒くれ者たちは、目の前の少年少女が底知れない「化け物」であることを骨の髄まで理解し、完全に怯えきっていた。
「我が名はラザール・ロートシルト。この度、この国の兵権は私が預かる事となった。集え、強者たち 迫りくるジェイシス帝国の軍勢を討ち滅ぼすため、我に身を捧げよ!」
静寂の中、ラザールの声が響き渡る。
「ロートシルトだって?」
「血塗られた魔王だって言うのかよ。魔法は使ってたようだが……」
「この国に軍が出来るのか。それは心強いな」
人々は口々に伝承に残るその名を呟き、漠然とした不安を払拭する軍勢の登場に安堵し、歴史の一幕に立ち会った幸運に驚く。
その声は次第に大きくなり、やがて大歓声となって街にこだました。
その歓声に手を挙げ応えたラザールであったが、しばらくして手を横に広げた。
歓声がピタリと止む。
ラザールは一歩前に出ると、用意させておいた一つの武器を取り出した。
隠れ里の鍛冶場で丹念に鍛え上げられた、戦斧だった。
左右の刃に加え、上部にもう一枚刃を備えた異形のそれは、沈みゆく夕陽を受け、禍々しくも美しい光を放っていた。
ラザールはそれをレティシアの前に差し出し、大衆の面前で堂々と宣言した。
「レティシア・レノ。見事であった! これよりその血と命を我に捧げ、我が忠臣たる誉れと共に、この『三つ刃の戦斧』を受け取れ! 以降、常に最前線で振るうのだ!」
突然の出来事に、彼女はあっけにとられ、それから身体の奥底から熱い何かが湧き上がるのを感じた。
格の違いを身をもって知った彼女は自然と膝を地につき、頭を垂れて恭しくラザールの言葉と戦斧を受け取る。
奴隷である自分が、武人としての扱いを受け、これ以上ないほどの誉れを贈られたのだ。
(あぁ……そうか。あたしはこれが欲しかったんだ)
何とも言えない高揚感に満たされながら、彼女はついに真の居場所を得た。
もうレティシアには、いつもの不敬な態度など微塵もなかった。
「……レティシア・レノ、この血、この命。すべて旦那に捧げるよ」
取り囲む数千の傭兵と剣奴たちは、まるで騎士の授与式のようなその一幕を静かに見守っていた。なんのためらいもなく跪き、誇らしげな姿を見せる「鬼姫」に自分の姿を重ねながら。
そして理解した。
黒髪の少年こそが、地を這いずり回る自分たちに手を差し伸べてくれる、真の王であることを。
金で動く傭兵、飢えた狼のような剣奴。
頼りない烏合の衆だった軍勢は、この瞬間からラザールを頂点とした『ライラ国軍』となったのだ。




