第9話
夜明け前から炊き出しの煙が立ち込め、鍛冶場の槌音が山間に響く。
ラザールが「初陣」の一言を発してから、隠れ里は眠ることを忘れたかのように動き続けていた。
里長に連れられ、中央広場に整列したのは十四名の男たちだった。
年嵩の者で三十路を超えているかどうか。若い者は二十にも届かないだろう。
だが、その目には一様に強い意志が宿っていた。
それは神のように仰ぐ主君への忠誠、そして身を賭して功をあげるという強い覚悟だった。
先頭に立つのは、かつてラザールたちを無言で包囲したあの浅黒い大男だ。
バザルと名乗ったその男は、里の中でも一、二を争う膂力の持ち主であり、この十四名の指揮官として里長が指名した人物だった。
ラザールは彼らを静かに見回し、一つだけ問うた。
「家族はいるか?」
バザルが、ゆっくりと首を振った。
「志願者は男だけでも五十名を超えておりました。御方のお役に立てるならばと、里の者ほぼ全員が手を挙げましたが……それでは里が立ち行きません。ですので『独り身の男』を条件と致しました」
ラザールは無言でその言葉を受け止め、口元に薄笑いを浮かべて言った。
「皆、生き残れ。そして外で気に入った女を見つけて里に連れて帰るのだ。これからの我が領には新しい血を持つ次の世代が必要だ。お前たちがその礎となれ」
一瞬の沈黙の後、誰ともなく笑い声が上がり、それはやがて歓声へと変わった。
その様子を斜め後ろから眺めていたクライブは、包帯が覗く左肩をさすりながら、小さく口笛を吹いた。
「上手いこと言うもんだな、全く」
するとバザルが、ぴくりと眉を吊り上げてクライブを睨みつけた。
「貴様……御方に対して、その口の利き方はなんだ」
「あぁ? 俺はいつもこうだぜ。古い付き合いだからな。ラズも気にしてねぇだろ、なぁ」
クライブがひらひらと手を振ると、バザルの顔に青筋が浮かんだ。
「御方を呼び捨てにするなど、貴様は一体何者だ!」
「んー、従士? お付き? まぁ、何でもいいけどさ」
のらりくりと受け流すクライブに、バザルは顔を真っ赤にして二の句が継げない。
クライブの軽口には慣れているシナだったが、ラザールを愛称で呼ばれるのだけは耐えられないようだった。
クライブに顔を寄せ、真顔で話しかける。
「ラズと呼んでいいのは私だけ。次、ラズと呼んだら殺す……」
「お……おぉ。そうだな。分かってるさ」
シナがあまりに本気だったのでクライブは引きつった笑いを浮かべて両手を挙げた。
ラザールは三人のやり取りを一瞥し、ただ「行くぞ」とだけ言うと歩き出した。
◇ ◇ ◇
出発に際し、ラザールは十四名の志願兵を二つに分けた。
半数をジェイシス首都と付近の大都市に潜ませ、軍勢の動向を逐一報告させる監視班とした。
残る半数はライラ首都とその周辺に散らせ、周辺の地形調査と有力者の動向を探る斥候班とした。
「バザル。お前は私につけ。各班との中継を任せる」
「はっ。必ずやご期待に沿う情報をお届けします」
バザルが深々と頭を垂れる。
その隣でクライブが「じゃあ道中よろしくな、バザル」と気安く肩を叩くと、バザルはまた盛大に顔を歪めた。
「……貴様とは後で必ず話をつける」
「楽しみにしてるぜぇ?」
こうして志願兵たちが各々の任務に向けて散っていく中、ラザールはシナとクライブ、バザルを伴い、二台の馬車で街道へと向かった。
「待ってくれよラザール。たった四人でライラの首都に乗り込んで、一体何ができるんだ? まさか傭兵でも雇おうってんじゃないだろうな」
馬車に並走して馬を駆りながら、クライブが不満を漏らす。
シナが静かにクライブを覗き込むと、その蒼い瞳に冷たい光が宿して言い放つ。
「主の計画に口を挟むつもり? ラズが失敗する訳ないじゃない」
言葉は穏やかだったが、その声の底に滲む殺気は本物だった。背筋が凍るとはこういうことかと、クライブは思い知った。
「……いや、挟まないっす」
「賢明ね」
ラザールが前を向いたまま、静かに言った。
「案ずるな。少々強引ではあるが、考えがある」
クライブはその一言で黙り込み、それ以上は何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
ライラ自治共和国の首都では、街の空気が明らかに変わり始めていた。
大通りに並ぶ商店の半数は、いつもより早く店仕舞いをしている。
露店の物売りたちは声が小さく、客足も心なしか急ぎ足だ。
荷馬車が普段より多く行き交い、積み荷を隠すように幌が厳重に掛けられている。
夕暮れ時になると、子供を呼び戻す母親の声があちこちから飛び交い、酒場の喧騒もどこか上滑りしていた。
「ジェイシスが攻めてくるってよ」
「聞いたよ。うちの店、どうすりゃいいんだ」
「知らんよ。お偉いさんがなんとかしてくれるだろ」
「してくれるかねぇ……あの三大商人が」
街角で交わされる声は低く、誰もが誰かの顔色を窺うように話す。
恐怖というよりは、答えの出ない不安。
確かな情報もなく、頼れる軍もなく、ただ噂だけが街を駆け回っていた。
そんな街の中心にある、一際重厚な石造りの商館。
その最上階の大会議室に、三人の男が向かい合っていた。
ライラの実質的な支配者、三大商人だ。
いずれも一国を動かすほどの財力と知恵を持つ者たちだが、もう何日も答えが出せない問題を抱えていた。
「勝てるわけがない」
一人が低く言うと、残る二人も押し黙った。
ジェイシス帝国の兵一万二千に対し、ライラが動かせる傭兵と私兵の総数は六千に届くかどうかだ。
「ならば降伏か」
「資産を差し出せということか。冗談ではない」
「いや、金だけならまだいい。儂らの安全は確保出来るのか?」
「ならば戦うか? 誰が兵を率いる。お前がやるか」
「私は商人だ。剣を持ったことなどない」
「私もだ」
三人の視線が交錯し、また逸れる。ため息が重なった。
「そもそも、今回の件はジェイシスの自作自演ではないか? 行方不明の貴族の小倅など、初めから侵略の口実にするための狂言に過ぎなかったのではないか」
「その可能性は高い。だが……」
「証明できなければ事実だろう。なぜ犯人も小倅も見つからんのだ」
時間だけが虚しく過ぎていく。
ライラで最も多くの金を持ち、最も賢い者たちが、戦争という土俵の上では、何も決められずにいた。
◇ ◇ ◇
ラザール一行がライラの首都に到着したのは数日後の夕刻だった。
四人は人目を引かぬよう、街の外れにある目立たない宿屋に落ち着いた。
部屋を確保するや否や、クライブはさっそく街へ出た。
要領が良いクライブは、場に溶け込み、情報を集めるのが得意だ。
「クライブ、バザル。三大商人の居場所と動向を探れ。それと里の者たちとバザルの連絡手段を確立しろ」
ラザールの指示は簡潔だった。
その間、ラザール自身はシナだけを連れ、馬でジェイシス側へと向かう街道を走った。戦場の下見だ。
街道を外れた崖道。開けた草原。川を渡る浅瀬の位置。樹林の深さ。
ラザールはそれらを無言で見渡しながら、頭の中に地図を描いていった。
道中、街道沿いの宿場に屯する一団と行き合った。
傭兵団だ。統一感の無い革鎧に無骨な剣。ライラがきな臭いと聞いて一儲けを狙ってやってきたのだろう、荒くれた目をしていた。
少女の姿をしたシナが一歩前に出ただけで、傭兵たちの空気がわずかに強張る。だが、彼らは金の匂いにはそれ以上に敏感だった。
ラザールは馬から降り、懐から惜しげもなく金を出した。
「少し教えてもらえませんか? 商いの都合で、この辺りの地理を知りたくてね」
羽振りの良い若い商人に見えたのだろう。傭兵たちはすぐに口を開いた。
崖の位置、川の渡り方、伏兵を潜ませるに適した地形。
血生臭い場数を踏んできた者たちの言葉は、どんな地図よりも正確だった。
宿屋に戻ると、クライブがすでに情報を抱えて待っていた。
「三大商人の拠点は掴んだ。里の者たちとの情報交換もしたぜ。ジェイシス軍はあと十日もあれば国境を越える勢いらしい」
「思っていたより早いな」
「あぁ。愚か者ほど勇み足が早い、ってな。……まあ、親父の受け売りだけどよ」
ラザールは机に地図を広げ、傭兵から仕入れた情報とクライブの報告、そして道中で己の目が捉えた地形を重ね合わせた。
長い沈黙。
やがて、ラザールは静かに宣言した。
「よし、明日行動を開始する」
◇ ◇ ◇
三大商人の会議は、まだ繰り返されていた。
建物の周り、入り口から部屋までの廊下。あらゆる場所に護衛を配置し、厳戒態勢が敷かれている。
部屋の中には三名の商人、それと各々一名ずつ連れてきた護衛の、合わせて六名のみ。
護衛たちは微妙な距離を保ちつつ壁際に立ち、お互い目を合わせずに様子を窺っていた。
そして、商人たちは未だ堂々巡りの議論を繰り返している。
降伏するのか。逃げるのか。戦うか。
(このじぃさまたちはいつまで同じ話してんだ? 敵が来る。なら戦うだろ、普通)
レティシアは欠伸が出そうなのを我慢しながら、商人たちの話を聞いていた。
愛用の戦斧を背負い、腕を組んで時折首をゴキゴキと鳴らす。自由奔放に伸びた金髪を撫でつける。彼女は退屈で仕方がなかった。
(あっちの二人も暇そうだねぇ。せめて酒でも用意してくんねぇかな)
自分以外の、残り二人の護衛をチラッと見て、小さく溜息をつく。
その時だった。
ガチャン、と重い金属音が会議室に響き、扉が勢いよく開いた。
護衛が反射的に獲物へ手をかける。
三大商人が一斉に振り返る。
扉の向こうに立っていたのは、一人の青年だった。
黒髪に黒い瞳。中肉中背の、取り立てて特徴のない若者。
その両脇には、長身で皮肉げな笑みを浮かべた男と、息をのむほど美しい銀髪の少女が控えている。
青年の口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「お揃いだね。商人諸君」




