吟遊詩人の詩 ー街道沿いの崖の上にてー
夜の帳が降りた高い崖の上。
遮るもののない静かな世界で、一人の吟遊詩人が大きな岩に腰かけ、ささやかな軽食を摂っていた。
革袋に詰められた安物の酒を口に含むが、喉を焼くのは酸味ばかり。けっして美味いとは言えない。
「……月がこんなに綺麗に出ているというのに、風情がないねぇ」
詩人は独りごちて、小さく肩をすくめた。
視線を落とせば、崖の下には、ジェイシス帝国からライラ自治共和国へと続く大街道が一本の線となって長く伸びている。
街道を挟んだ向こう側には、吸い込まれそうなほど深い原生林の森。
まるで、冷徹な崖の意志と、貪欲な森の気配を真っ二つに引き裂くように、道はどこまでも続いている。
夜風に吹かれ、人心地ついた詩人は、おもむろに愛用のリュートを引き寄せた。
ぽろん、と爪弾かれた一音が、静寂の夜空に溶けていく。
彼は誰に聞かせるでもなく、その喉を震わせ、静かに、しかし朗々と謳いだした。
『――雌伏の英雄、再びこの世に現るるとき、
天地を揺るがす爆音と、赤き血が大地を覆う
彼の者は三度戦い、三度勝利を掴み取る
先頭を駆け抜けるは、三つの刃の鬼姫
追いすがるは、異国の猛き騎馬の民
果たして、英雄の名はあまねく大地へと轟き、
喝采と憎悪を、疑惑と畏怖を浴びるだろう
最後に笑うは何者か
最後に泣くは何者か――』
詩人は、さして面白くもなさそうに歌い終えると、リュートを収めた。
「静かで素敵な所なのにねぇ」
まもなく、この静寂に満ちた地に軍靴の音が響くだろう。
「さて……次はどこへ行こうかな」
詩人は小さく呟くと、夜露に濡れた外套を翻した。
その姿は、まるで最初からそこにいなかったかのように、静かに闇へと消えていく。
誰もいない崖の上には、ただ美しい月光だけが取り残されていた。
彼の名もなき詩は、果たして、誰かの元へと届くのだろうか――。




