メルト
月光が二人の吸血鬼を照らす夜だった。
片や白く長い髪をたなびかせる、笑顔に満ちた少女。
片や藍色の短い髪をかきあげる、冷めた目をする男。
互いに神経を研ぎ澄ませ、攻め時を伺っている。
その二人を眺めるべく、アリスが空中に観戦席を作り出し、アーヴァンスはじめ、ボロボロになっていた人々を皆運んだ。
ルノはアリスの横に運ばれると、全員に駆け寄った。
「みんな!」
ルノが全員の顔を見てほっと息をつくと、ユミアが屋根上で対峙するメルトとログネスを見ながら言った。
「ルノ君。わたしたちはいいから、ちゃんと見てあげて……」
アーヴァンスも横になりながら目線だけを動かす。
「おおう、ただなァ、拘束された時、ボスが俺らの魔力を吸っていきやがったァ。キレてたみてぇなのにしれっとなァ」
ルノが二人の言葉でメルトに目を向ける。
遂に戦い始めたようで、二人の姿がブレて見える。
「くそぉ! 一人の少女に背負わせる訳にはぁ!」
「アンディ、ダメだよ動いちゃ。ただでさえ魔法使いすぎなんだから」
レクスが眠る横でアンディが拳を握りしめている。ドミノは頭にベッタリ付いた血を服で拭うと、アンディを掴んだままぐったりと横になった。
「……貴方たち、少し緊張感が足りないんじゃないかしら」
「彼女が負ければ夢想坊やが自由になるのよ?」
アリスが一同に冷ややかな目を向ける。
ルノは瞬きをせずにメルトを見ながらアリスの横で口を開く。
「大丈夫だよ。メルトさんは天才で最強だから」
「……あのねぇ奇天烈坊や。チャンスは与えたけれど、正直今のままじゃ無理よ。ままならないとはいえ、光の操作も出来る相手よ?」
各々は戦い続けるメルトを見る。ルノには分からない実力差が、それぞれの経験からは見て取れる。
だが、誰も絶望の表情を浮かべなかった。
「勝てなくても俺らが何とかする! 確実に助けてやる! あんたもそんな余裕ぶってると今のうちにぶっ倒しちまうぞ!」
「うん、その通り。彼女が負けても必ずリベンジする。ただアンディ、その言葉には騎士道精神がない……副団長ならそう言う」
「あいつが負けんのは許さねェ。それだけだァ。それにあんたの方が俺ァ分かんねぇなァ。ボスに協力してんだかしてねぇんだか……」
「あんな自信ありげに笑っているんです。メルトさんが勝ちます……まだ、パンドラでの決着もついてないですし、負けられたら困ります」
アリスは口々に語られる思いへ耳を傾けると、膝の上で扇子を握りしめた。
顔を見せぬよう、背中越しにアリスは目を丸くする。
「……変な子たち」
アリスは小さく呟くと、戦い続けるメルトの顔を見つめていた。
◆
——ログネスによる爪の猛攻を鎌で受けながら、メルトは背中から分身を生み出す。
分身体はログネスの横に跳ぶと周囲に血の弾丸を生み出し、一斉に放つ。
弾丸が放たれた直後、ログネスを守るように光剣が生み出される。
光剣に防がれ弾丸が弾けると、分身の足元から血の糸が屋根を貫く。糸は分身を追うように屋根を刻んで追いかける。
「わっ!」
分身が駆け巡り糸による切断を避け続ける。
ログネスが指先から糸を地面に伸ばしているのを視認しつつ、メルトは後ろに跳び距離を取る。
「片手でとかなめすぎでしょ……!」
「君こそなんだその軽すぎる攻撃は。舐めているのか」
メルトが手元で魔力を練り雷を生成していると、ログネスが屋根を踏み抜いて急接近する。
「本気で叩きのめして欲しいのならば、ブラドホワイトの実力を出せばいい」
勢いを利用して刺突。鎌でギリギリ押さえるも、爪先が頬をかすってしまった。
少量の血が跳ねた。
「……実力なんて!」
メルトが鎌を傾け、液体へと戻しながら深くしゃがみ込む。
そのまま懐に潜り込むと思い切り腹に右フック。破裂音のようなものが鳴り、空気が振動した。
ログネスは僅かに息を吐くと後ろへと弾かれ、体が僅かによろめく。
糸の操作が遅れると、その隙に分身体が上空に跳び大きな氷の塊を投げつけた。
ログネスの体は氷ごと屋根を貫くと地面へと叩き付けられる。
ぱたぱたと服を払いながらログネスは屋根の上に立つメルトを見た。
「やはり出力不足だ。血による短期間の能力向上がありながらこの程度とは」
「うるっさい! ちょーしのんな!」
メルトが分身を体へと戻し、再び血の弾丸を放つ。
爆発のような音と共に血は弾け煙が立つ。ログネスは二本の光剣を盾に弾丸を防いでいた。
「ノーデンは手負いの状態だろうと今の君より強かったぞ……!」
「ノー……デン……!」
メルトは頭を手で押えたかと思うと、それを振り払う。
「それがどうだ。君は呆れる程に弱い。リディベルも浮かばれないな」
ログネスの瞬きがゆったりと動きを減らし、口角は下がっている。
遠くを見るような目で、これまでのログネスと違って小さく見えた。
「……多分、うちの大切な人の名前なんだよね」
「思い出せない……ただ、あんたの口からその名前が出るとムカつく……!」
メルトは鎌を生成しながらログネスを指す。
揺れる紅い瞳が、ひとつの答えを求めていた。
「きっと、記憶があった頃のうちは、何かがあって忘れたかったんだろうけど……」
「思い出したい! うちに何があったのか! それも全部ひっくるめて、うちはメルトなんだ!」
メルトが悟ったようにふっと笑う。
その瞬間、メルトの脳裏で軋む音がした。
「ルノくんにぃ、内緒にしたままじゃいらんないんだよ!」
痛みと共に、自分自身の本能が止めにかかる。
記憶に近づいていると自分で分かる。
立っているだけがやっとなほどの激しい頭痛が、中からメルトを何度も殴りつける。
「それを思い出すのは後にするんだ……!」
ログネスが二本の光剣を投げつけ、それを追うように跳び上がる。
メルトはなんとか光剣を振り落とすも、そのまま膝をついてしまう。
ログネスの爪がメルトの腹を貫こうとする寸前、声が耳を支配した。
「——お姉ちゃん!」
メルトとログネスの両方の目が、声の主へと惹き付けられる。
戦いを忘れ、体が固まる刹那の隙だった。
心うちを引き出すような、あるいは何もかもを吸い込んでしまいそうな濃紺の瞳が、二人を見つめていた。
観戦席から飛び出して行こうとするルノの姿が、前へと進もうとする姿が、目に焼き付いた。
鍵が開いた音がした。
魔法が解けて心が晴れ渡る。
「(そっか……そうだったんだ。うちが、心から思い出そうとしてなかったから……)」
メルトの髪先が赤紫色にグラデーションを帯びる。
白と赤紫の二色が淡く輝いている。
それはルノが禁書で見た優しい吸血鬼の色だった。
「……ッ!」
視線が戻ると、ログネスが即座に爪を押し込む。
だが、それはメルトを貫くことなく、メルトの手によって砕かれた。
「そんな都合の良いことがあるか……!」
叫ぶログネスを見下ろしながら、真っ黒な翼を広げる。
紅い瞳が夜空に浮かぶ星のように蘭々と輝きを増していく。
「もっかい名乗ってあげる! うちは、メルティベル!」
「ルノくんのお姉ちゃんで……ノーデン・ブラドホワイトと、リディベル・ブラドホワイトの娘!」
快活に笑う父と慈愛に満ちた母。お茶目な使用人たち。
そして、最後に——
「全部思い出した……! ログネス、あんたは……絶っ体に! ぶっ飛ばす!」
ログネスの指がわなわなと震え、メルトの口元がきゅっと結ばれた。
「……それでこそ、張り合いがある」
そんなログネスの囁きは風切り音でかき消される。
メルトは空に咲き、周囲に冷気を漂わせると、風を巻き起こし煙幕を作りだしている。
頭上から振り下ろされた鎌の切っ先を光剣で防ぐと、両手を左右に突き出した。
長い爪が振動し、重く強い一撃によって指があらぬ方向に曲がりそうである。
「三体」
そう、ログネスの周囲を囲んでいたのは三つに分かれたメルトだった。
それぞれが鎌を手に、本体と寸分違わない動きで同時多方向から襲いかかる統率された動きをしており、そのうえでそれぞれが別々に思考しているかのように異なる反応を見せる。
「これ防ぐワケ!」「じゃーこれはどう!」「うちらの猛攻を食らえ!」
正面、鎌を縦に構える。周囲に血を漂わせている。
右側面、手元に雷を発生させ引き伸ばす。長槍へと加工。
左側面、姿を白狼へと変身させ足元に風を纏わせている。最速。
「なんでもありか」
ログネスは光剣を二本とも右側面の雷メルトへと飛ばすと、白狼の側へと飛び出した。
白狼メルトは口元に風を押し固めると吠える。
螺旋に渦巻く風と音波を浴びせられながらログネスが前進すると、鎌持ちメルトが横に回転して勢いを付けながら腹へと鎌を振る。
全身が裂傷だらけになるも、ログネスは鎌を爪で受け止め血の糸でそのまま巻き上げる。
ログネスが鎌ごと思い切り振り払うと、鎌持ちメルトは受け流されてログネスを通り過ぎ飛んでいく。
その間に近づいていた白狼メルトと、光剣を粉砕して飛んできたメルトがログネスの前後を挟み込む。
牙と槍による挟撃、ログネスはそれを上空へと跳躍して避けると手のひらを下へ向けて炎を放った。
「隠し技!?」「ワンッ(風でなんとかする)!」
白狼メルトの風によって炎が横へと逸らされるも、ログネスはそれでは終わらない。
「『神爪概装』」
呪文と共にログネスの爪に光が集中し、虹を纏った。光剣もまた吸収されていったようだ。
指を一本振ると、地面がひび割れた。
「あんにゃろ! さっきから愉悦銀髪みたいな魔力だと思ってたけど、やっぱり同じだな!」
鎌持ちメルトが土を払いながら足を地面から引き抜く。
そして他のメルトが攻撃を避け続ける中、鎌へ魔力を集中させる。
「多分あの心臓の光が弱点! なら、これで刈り取る……!」
翼を翻すと上空のログネス目掛けて飛び出す。
ログネスは目線だけを向けると、指を二本合わせて横に振った。
鎌持ちメルトが咄嗟に屈むと、ブォンと重低音が髪を掠めた。
「当たったら死ぬ……!」
メルトがジグザグと蛇行しながら飛行すると、ログネスは爪で自らの頬をかいた。
「(……三人の分身体、それぞれが本体の能力を有している。血、風、変身、雷……これまで報告に上がった、あるいは私が見た中で存在しないものは……)」
「氷」
ログネスが上空へ手を思い切り振り上げる。
空が振動し、ひび割れた。冷たい空の破片がバラバラと地上へと降り注ぐ。
月光の反射板が音を建てて崩壊していった。
ログネスはそれを受けながらもう一方の腕で再び空を裂く。
「氷でそこまで精巧な鏡を作り出すとは驚いたよ」
「バレた……!」
上空にて四人目のメルト、氷メルトが横へ飛ぶ。
大量に作られていた鋭利な氷柱が砕け散る。ひっそりと作られていた氷柱の雨が全て小さな氷の粒となった。
「メルティベル。他にも魔法を分けているのかな」
「さーね! どーでしょうか!」
叫ぶ形で嘘を吐く。
実際のメルトに他の分身を作り出すためのリソースはない。分身体そのものを出すことではなく、何かに特化した本体と同格の分身を生み出すことが出来ないでいた。
「(でも、うちにはとっておきがある。その為にもまずはあの心臓の光の奪取が最優先……)」
鎌持ちメルトは鎌を握り直すと、他のメルトとタイミングを図らう。
地面が割れる中、雷メルトと白狼メルトが逆方向に駆け出し、双方向から雷の槍と咆哮を放つ。
ログネスは無数の血の糸を地面へと突き刺すと、大地を揺らし二人のバランスを崩した。
その隙を狙う切り裂きが雷メルトの肩と白狼メルトの左脚を掠める。
切れないものはないと言わんばかりの切れ味で、一回一回の判断が命取りだと嫌でも思い知らされる。
「……いや、光を取るために、やるべき!」
メルトたちの意識が一致した。時間をかけては居られない。ログネスの対応力は脅威だ。
「短期決戦が最善!」
鎌持ち以外のメルトが一気にログネスとの距離をとると、鎌持ちメルトが小さく手をかざす。
そのただならぬ空気を察知し、ログネスが爪を振るう。
鎌持ちメルトは鎌を投げつけて衝撃を受け止めると、小さく呟く。
「『存在証明』」
その瞬間、雷、白狼、氷のメルトの姿が変化していった——!




