がらんどう
壁や天井が崩れ去った牢屋の中で、ログネスが静かに歩く。
アリスの光剣のように輝く胸元、ここに来ても底の見えない吸血鬼に、アンディは戦々恐々とする。
「冗談だろ」
メルト、ユミア、アーヴァンス、ドミノ戦力のほとんどが拘束された。
アンディ一人で怪物を相手するのが難しいことは火を見るより明らかだ。
アンディは剣を構えながらも動けずにいた。
「偽りを正す?」
しかし、ルノはログネスの言葉を復唱していた。
これまで掴みどころがなかったこの吸血鬼から溢れ出した本音、その意味を探るように、ただ濃紺の瞳がログネスを見上げている。
「はやく、はやく逃げて! ルノくん!」
メルトは鎖に繋がれた手首を揺らしながら絶叫する。白い肌にくっきりと見える赤い痕が、さらに赤く変色していく。
「逃げる? ああ、いいだろう。逃げたらいい。また騎士団に助けを乞えばいいんじゃないか?」
「無論、私は君を追い続ける。鬼ごっこだ」
ログネスは爪を伸ばし、糸を張り巡らせる。胸元の光は光度を増していく。
歩いていながら油断はない。ただ静かに獲物を狩る赤い瞳がルノを見下ろしている。
「いかせねぇ……!」
アンディが剣を縦に振り下ろす。風が渦を巻き、意思を持ったかのようにログネスへ飛びかかる。
ログネスはその風を、生み出した光剣の回転による風で相殺してみせた。
「邪魔だ」
糸がアンディも拘束する。剣が手から離れ、体が宙に浮いた。
ログネスは刻一刻とルノとメルトへと近づく。万全たる迎撃体勢を以て、ルノの首筋を狙っている。
「ルノくん! だめ、だめだよ! お願い、はやく!」
「…………うるさい!」
ルノが声を張り上げた。誰もがその光景から目を逸らさない。
「嫌だ! まだ終わってない! なんで諦めてるの!」
「…………もういいの! うちはもう、ルノくんの邪魔になりたくない! うちが協力すればあいつはルノくんには何もしないんだよ!? 言うこと聞いてよ!」
「そうだ。あくまでも君が計画の邪魔をし続けているから私も殺さざるを得ないんだ」
前後から声をかけられる。
片や大好きな相手、片や嫌いな相手。そのどちらも同じことを言い続けている。
逃げろ。邪魔だ。お前には関係ないと。
「だからうるさい! ぼくがなにしても勝手でしょ!」
ルノは足を踏み鳴らす。
「なんで! いつもそうだ……! もう我慢はいやだ! もうしらない!」
「ぼくはここをどかない!」
すっかりログネスがルノを見下ろし、爪が首筋をなぞる。
ルノの濃紺の瞳はログネスを見上げ続けている。
「言いたいことはそれだけかな」
「まだある!」
「……それは残念だ。これ以上待てない」
赤い一筋がルノの肌に刻まれる。
「やめて! 協力するからぁ! その子だけはぁ!」
「もう遅い」
ログネスが爪を横に振り抜いた。
——ように見えた。いや、実際には振っていたが、その攻撃は空振っていた。
風が吹きすさび、光が線を描いてログネスを掠めた。
「……ッ」
ログネスが爪を見ると、綺麗に切断されていた。
「アリス!」
振り向いた先、宙に浮かんだ椅子に座っていたのは、銀髪の少女アリスだった。
横にはベッドに寝かされたレクスが浮いている。
「アリスさん……レクスさん……」
ルノが動揺で瞳を揺らす。レクスは、あの日輪の騎士は負けてしまったのか。
……最後の頼みの綱だった。
「夢想坊や、少し待ちなさい」
アリスのドレスはボロボロになっており、綺麗な銀髪もボサボサに荒れていた。
「彼がお気に入りか」
「それもそうだけれど、妾、聞かなきゃいけないことがあるの」
アリスはこれまで見たどの一面とも違い、何か深く悩みを抱えているように見えた。
ルノの頬を、小さな手が触れる。性格とは不相応に幼い、ルノと対して変わらない大きさの手だ。
「ねぇ、妾ってか弱いのかしら」
「……か弱い?」
アリスの目は真剣だった。憂いを帯びた瞳が、答えを今かと待っているようで、ルノもそれに応えるべきだと、アリスの話に耳を傾ける。
「身勝手で、横暴で、とてもか弱いとは言えないわよね」
「妾を相手にするのは疲れるでしょう?」
アリスが手を下ろす。
「だと言うのに、こう言われたわ。妾は救われるべきか弱い人間だと。妾はそんな存在と言えるの?」
ルノは考えた末、首を横に振った。
「アリスさんは強いよ。メルトさんとアーヴァンスさんがいたのにぼくを簡単に連れて行っちゃったし、その後も笑いながら戦ってたもん」
「……でも、前に『久しぶりに人と話して楽しくなってしまった』って言ってた。それって、本当は話したかったってことでしょ」
「それって寂しいってこと……だよね。弱いって言うのかはわからないけど、なんでそう言ったの?」
「……そう、なんで……かしらね」
アリスはその答えを聞くと、目を閉じ、扇子を広げた。
そして、光剣を振ってメルトの鎖を破壊すると、指を振りルノをメルトへと弾いた。
「……なっ」
メルトがルノを守るように抱き抱えると、ログネスの手がアリスの首元にかかる。
「何をしている」
「心配しなくても、逃がすつもりはないわ。ただ、チャンスを与えたいだけ」
「チャンス?」
メルトがフラフラの体のまま、ルノを庇うように前に出ると、アリスは自身の首元を気にすることなく言い放つ。
ログネスはアリスを見下ろしながら、その言葉を待っていた。
「そう。夢想坊やと空元気嬢の一対一。それで決着をつけましょう」
「……道化も大概だぞ」
ログネスがギリギリと手に力を込める。
アリスの喉から呻き声が漏れた。
「……あ、ら…………いい、でしょう? どうせ……勝てや、しないの……だから」
「…………」
ログネスはアリスの首から手を離すと沈黙した。アリスのむせる声が周囲に響く。
「まったく……妾の扱いが雑すぎないかしら……ごほっ」
アリスが首をさする横でログネスが頭を抱え首を真上に傾ける。
「完全な支配下に置くには冷静にならなければ……そうだ、頭に血が上っていた。利用価値はあるんだ。完膚なきまでにメルティベルに勝利し、反撃の意思もそこから徐々に奪っていける……ルノの頭脳には見張るものもある。殺すのは些か勿体ない……」
「大丈夫だ。私にはアリスの力もある。負ける道理はない。余裕を保て。私は最強の吸血鬼と成るんだ……こんな所で逃げるのは最強ではない……」
何か納得いったようにブツブツと呟くと、ログネスはやがて指を三本立てた。
「三分だ。その間に血で回復するんだ。その後戦意、あるいは意識の喪失による決着をつけよう」
「勝者は敗者に隷属する。それでいいだろう」
ログネスはそう言うと糸で拘束していた全員を部屋に放り出した。
全員ボロボロで、ろくに動けそうにない。
「君たちは今後私たちの邪魔にならないと誓うのなら解放しよう。私は吸血鬼が強く在ればいいんだ。弱者人間に興味はない」
「さぁ、急げメルティベル。ルノだろうと、そこの誰だろうと構わないぞ」
メルトはよろよろとルノの肩に手を置き、その目を見た。
もう、ルノの目に迷いは無い。ただ、メルトに全てを託すことを信じている目だ。
「……ルノくん」
「なんで、戻ってきたの!」
メルトから発せられたのは、そんな叫びだった。
血を吸うよりも、話がしたかった。
「メルトさんを助けたかったから」
「いいって言ったじゃん! それにうちは……ずっとルノくんに隠してた。うちが何も無い空っぽなんだって! そんなのがルノくんの隣に立つ資格なんてないの!」
「うちは、星には……なれなかった、なれないんだよ……」
メルトが手を震わせながら崩れていく。
これまで何度も何度もはぐらかし続けたツケが回ってきた。
ずっと、ずっと弱いまま変われなかった。強くあれなかった。
「もう……うちのことなんか忘れてくれたら……」
弱々しいその姿に、ルノの頭の中で何かが切れた。
「…………そんな事言わないでよ! 空っぽって何! メルトさんだってわかんなかったんでしょ! たしかにメルトさんは話してくれなかった! でも、頑張って話そうとしてくれてた! フラレスの時もそう言ってたじゃん! ずっと頑張ってたじゃん!」
ルノが頭を振った。
周囲など気にしない。自己否定なんてさせない。
自分が見ているのはずっと今なんだ。
「違う! うちは、みんなみたいに頑張れない! 必死に生きてきたって、吸血鬼じゃなかったら、変な奴らに追われたり、昼間にわざわざ姿を隠す必要もない! でも、吸血鬼じゃなかったら、それこそ何も残らない! 記憶すらもどこかにおいてきて、今のうちになんの価値があるの!」
「嫌われたくないからってずっと秘密にし続けて許されるなんて、そんなのいいワケないでしょ! ユンデネでもパンドラでも、旅してきてずっと分からなかった! うちは誰? うちはなんで吸血鬼なの? うちはなんで人間じゃないの? うちが生まれた意味はなに!?」
メルトが顔を手で隠す。
自分に価値などない。無くしたものがどれ程のものだろうと関係ない。
今の自分は、がらんどうでしかないのだ。
「なにそれ!? 頑張れない? 価値がない? 生まれた意味がない? 知らないよ! メルトさんはなんで旅をしてきたんだ! ぼくに言ったじゃん! 『目的は今なくてもいい』って『探してみたのか』って! メルトさんが言ったんだよ!」
「ぼくが一緒に旅してきたのはメルトさんで! メルトさんはメルティベルさんだった! どっちも同じだ! ぼくから見えるメルトさんを決めつけないでよ! 空っぽだったとしても、いろんなとこに行ったじゃん! 色んな人に会ったじゃん!」
「とにかく! なんでもいいからぼくと一緒にいてよ!」
濃紺の瞳の熱が紅い瞳に光を灯す。
なんでもいい。その言葉が、暗い穴を照らした。
目を背けてきた暗闇にも底があった。
見てこなかったから見えなかった確かな思い出が色とりどりに光っている。
ずっとそこにあったんだ。
「ぼく、見つけたんだよ。したいことが出来たんだよ。メルトさんのおかげなんだよ……」
「だから勝ってよ……また旅をしようよ……ここで終わりたくない、離れたくない……」
ルノが次第に力なく座り込んでいくと、メルトは優しく抱きしめる。
「……分かった。ごめん、ごめんねルノくん。また辛い思いさせちゃった。うちってば、変われてなかった」
「それと、ありがとう。うちを見ていてくれて」
ルノの頭を撫で、額を合わせる。
頬に触れ、深く息を吐き、見つめあった。
「勝つよ。ボッコボコにして、二度とうちらに刃向かえないようにしてやる!」
「うちがお姉ちゃんなのは前提だから! メルトお姉ちゃんとして、あの演技派屁理屈男をぶっとばしたげる!」
「……うん!」
メルトの牙がルノの肌に刺さる。血を吸う度にみるみる傷が癒えていく。
「……さすがブラドホワイト。回復力も桁外れだな」
メルトは立ち上がりフードを脱ぎ捨てると、その白い髪を晒す。
月明かりを反射し、儚くも神々しくも見えるその姿は、紛れもなく天才吸血鬼メルトだ。
「当たり前でしょ。うちはすごい吸血鬼なだけじゃない! ルノくんの天才で可愛くて最強のお姉ちゃんなんだし!」
「ブラドホワイトだのなんだのはまだ分からない! けど、うちはうちなんだ!」
二人が牢屋棟の屋根へと飛び乗る。
ログネスの爪が、メルトの鎌が、互いを反射するように赤黒く輝いた。
「さぁ、始めよう。ブラドホワイトとノルムヴァンデの決戦だ」
「私の本名はカイン・ログネス・ノルムヴァンデ。吸血鬼をふざけた物語から解放する者だ」
「うちはメルト。さっきも言った通り、ルノくんのお姉ちゃんだよ!」




