確信
——初めて男がその街に足を踏み入れたのは、彼がまだ幼子であった時だった。
「ログネス。あまりウロウロするんじゃないぞ」
「はい、父様」
レンガ造りの街、ところどころに設置された吸血鬼用の屋根。夜だというのににぎわう人々。
ログネスはそのどれもに目を奪われる。本当にこの街は吸血鬼と人が共生しているのか。
一体どうやって、いや、どうして?思い浮かんだ疑問をログネスは抑え込む。
「相変わらず反吐が出る。こんなにも自由に食料をのさばらせるとは……さっさと用を済ませるぞ」
厳格な父ヘルネス・ノルムヴァンデにいつも言い聞かされていた言葉が頭をよぎる。
「はい、『ブラドホワイト一派とは関わるな』ですね。急ぎましょう」
小さく呟くと、父が口元をハンカチで覆いながら頷いた。
その姿を横目に、ログネスの目は輝き続けていた。
やがて、ブラドホワイトの屋敷に到着すると、出迎えたのは白髪の吸血鬼だった。
「やあやあノルムヴァンデのお二人。よく来てくれた!」
ノーデン・ブラドホワイト。快活な当主であった。
「……何度も言っているが、我々の在り方を変えるつもりはない。家畜とのなれ合いはこの街で満足しておくんだな。ブラドホワイト」
そんな言葉にも臆せずノーデンは笑う。
「まーまー! そうは言ってもさ、おれたち吸血鬼と彼ら人間は持ちつ持たれつな関係なわけだしねー」
「どうせなら仲良くしといたほうがいいでしょー。ねー?」
肩を組もうとにじり寄るノーデンを手で払うと、ヘルネスは青筋を立てて静かにノーデンをにらんだ。
「黙れ。今日ここにわざわざ出向いてやったのはなれ合うためではない!」
「またかー。でも今日は手紙じゃないってことは何か言いたいことがあったんだよねー?」
にこにこと後ろ歩きしながら、ノーデンがソファに座り込んだ。
「……ああ、また吸血鬼がやられた。それも不審なことに、その吸血鬼は悲鳴を残してすぐ、現場で体のほとんどが灰になって見つかった。夜中にだ」
「つまりー、またうちが関係あると?」
「当たり前だブラドホワイト。贋作の吸血鬼が」
ノーデンは肩を少し震わせると、頬をかく。
「はは……まー確かに君たちと違う性質があるのは認めるけど、一応おれたちも吸血が必要だし、吸血鬼って言ってもいいんじゃない?」
「どこがだ」
ヘルネスはそれだけ言うと立ち上がりログネスに目配せする。そのまま出されたものの一切には手をつけずに扉に手をかける。
ログネスは静かに立ち上がると、ヘルネスの後を追い部屋をでようとした。
「ちょ、ちょっと! 嫌味だけ言いに来たのかな。協力するとか……」
ノーデンが手を伸ばすもヘルネスは耳を傾けない。
一切ためらうことなく扉を開くと、屋敷の外へと走寸前の速度で歩いて行った。
——しばらくして、二人が街を出て馬車に乗ると、ヘルネスは腕を組んだまま締め切られた窓を眺め、ログネスに語った。
「あれは件の吸血鬼殺しではないようだ。だが、くれぐれも奴らと、あの街とは関わるな」
「……ブラドホワイトが祖の一族であるというのに人間と共存しているからでしょうか」
「違う。あれが我々の根本とは異なる生物だからだ。それ以上は今は話せん。ログネス、お前が当主になるまではな」
そう言ってログネスの頭をなでるヘルネスの手はひんやりとして心地よい。
翌日、屋敷の外で見つかった右腕はさらに冷たかった。
◆
ヘルネスは腕を残したその他全てが灰と化した状態で見つかった。
連続発生していた吸血鬼の不審死がノルムヴァンデ当主をも毒牙にかけたのだ。
葬式後、程なくして当主の座はログネスのものとなった。
実感を持てぬままのログネスにある吸血鬼が語った。
「ログネス様……私が……! 必ずやお父上を殺した者を捕え、その手口を明かして見せます!」
——セシル・メイヤ。三日後川の中洲に全身が灰と化した状態で発見。衣服から本人が灰化したものと思われる。
死体発見二日後のノルムヴァンデ邸で声を上げたのは眷属でも特に戦いに長けた者だった。
「俺が、みんなの仇をとる……!」
——ディーン・オルゾーラ。一週間後、遠く離れた街で頭部のみが灰化した状態で発見。周囲に飛び散った本人の血跡から、普段の血液操作が何らかの形で上手くいかなかったと思われる。
その後も次々に眷属は不審死を遂げ、やがて調査資料は厚みを増していく。ログネスはそれらに目を通すと、その都度唇を噛んだ。
唐突に継いでしまった当主の座と、相変わらず続く吸血鬼の不審死はログネスにひとつの決断をさせるに至った。
「——ブラドホワイトに協力を求める」
そこからは早かった。ノーデンは協力要請を快諾。トワイライトにいる人間の魔法使いを総動員させ、これまで無かったノルムヴァンデ側からの情報を頼りに、ある一人の人間を見つけ出した。
『俺は吸血鬼狩りだ!』
捕縛されながらもそう語った男の手に握られていたのは銀の剣と十字型の何か。
それ以外には特徴のない、人としてはほんの少し強い程度の男だった。
「へ、へへ! 今に見てろよ! この先お前ら吸血鬼は怯えて生きてくしかなくなるんだからなぁ!」
「俺が、俺こそが吸血鬼狩りだぁ!」
その言葉を残した狂信的な男はトワイライト内の牢に入れられた。父様を殺したのは、あんなどうしようもない小悪党だった
手に持っていた銀剣と十字型の何かについては特に何も情報を得られなかった。
だが、それからしばらくは平和な日々が続き、ログネスはもう青年となっていた。
事件解決後、結局また対立を始めたノルムヴァンデ一派だったが、ログネスは違っていた。
「……やはり、素晴らしい街だ。ここ数年で吸血鬼もよく見えるようになったな」
ログネスはトワイライトにこっそり通うようになっていたのだ。
ノルムヴァンデを始めとする人間支配を唱える吸血鬼一派の生まれでありながら、吸血鬼と人の共存に深い興味を示していたのだ。
「ブラドホワイトには借りもある。我々もいい加減ノーデンの言う通り罪のない人々を襲うのを辞めるべきかもしれない」
年々募る思いが次第に行動への意識を高めていく。
ノーデンは人間との共存を願いながらも、ノルムヴァンデに力を貸してくれた。その恩を抜きにしても、わざわざ自分勝手に襲いかかる必要はないだろう。
そんな中でログネスは一つの決断を下した。
「……父様が言っていた、ブラドホワイトの根本が違うとは、どういう意味なんだ?」
ヘルネス死後忘れていた……あるいは思い出さないようにしていた言葉が、前ぶれなく脳裏に浮かんだのだ。
「当主になるまで話せない……か。話す前に死んでどうするんですか」
ヘルネスの肖像画に触れると、ログネスは呟く。
ノーデンに直接聞いてみるか。いや、当主に接触するのは危険すぎる。ノルムヴァンデ側に怪しまれないようにするのは難しい。
ただでさえ、トワイライトを訪れるのにも最大限の労力を割いているというのに、面会なんて以ての外だ。
「まぁいい。自分で調べよう。敵の背景を知るのは妥当な理由だろう」
ログネスはそうして、ブラドホワイトの調査を始めた。
初めは当主書斎、次いでルズニア各地、果てには外国にまで渡り歩き、白髪の吸血鬼の謎を追い求めた。
しかし、当主としての多忙さや、段々と難しくなる誤魔化しによって限界は刻一刻と近づいてきていた。
『吸血鬼の血液操作のみならず魔法の才にも恵まれている。特に分身能力の精度が高い』
『吸血鬼でありながら人々と共存を求める』
『吸血鬼のほとんどは祖ルキネス・ノルムヴァンデから始まる眷属化などを経ている』
『日光等既存の吸血鬼の弱点への耐性が高い』
ある日、椅子に座り幾つもの資料に書かれた自分の文字をなぞりながら、ログネスはため息を着いた。
「確かに並々ならぬ潜在能力だが、何故父様は『根本が異なる』と言っていたのだろうか」
吸血鬼の歴史は人々と並んで長い。その間に失われた資料も多い可能性があるが、どうにも吸血鬼の祖に関しての決定的な情報はブラドホワイト、ノルムヴァンデどちらも見当たらなかった。
考え事を止め、ぼーっと月夜に照らされた庭を見たその時、窓の下から静かな影が現れた。
銀の刃に十字のペンダント、あれはあの日見た——
「死ねぇぇ!」
——吸血鬼狩りだ。
ガラスが飛び散り、その影がログネスに飛びかかる。
動き自体は遅い。普段のログネスならば避けるのは容易だった。
思考に耽る夜だったからだろうか。屋敷の者がこいつを取り逃がした事に驚いたからだろうか。何かが判断を鈍らせた。
知識としては知っていた吸血鬼の弱点のひとつ、銀の武具、その剣先が一瞬の隙にログネスの脇腹に触れる。
初めて感じる想像を絶した感覚。
剣が触れた皮膚がジリジリと焼き尽くされてしまったかのように痛む。
「……ッまさか、ここまでダメージが……」
ログネスは腹を押さえると、指先から血の糸を生み出して横腹を縫うように刺す。
すぐに傷が塞がり再生が始まった。しかし想定以上に魔力の消耗が激しい。
「こんなのがノルムヴァンデ一族の当主様かよ!」
吸血鬼狩りが二撃目に構えると、ログネスの口元から息がこぼれた。
「ははは……こんな、そっと触れただけで? ふざけるな」
ログネスが手を振ると、風が吸血鬼狩りを切り裂いた。
腕が飛び、血が飛び散り、傷跡に赤い線が入り込む。
「は? は、うがぁぁぁ! い、痛ぇぇ!」
吸血鬼狩りが悶え苦しみ、ログネスの足元で転がる。
それを見下ろしながら、ログネスは銀の剣を拾い上げた。
「これが」
剣先に触れる。やはり痛い。
「なぜ吸血鬼に効く?」
指を切る。どくどくと血が流れ、皮膚が内外から焼き尽くされるようだ。
「おかしいだろう?」
何度も指を、手を、腕全体を切る。
「銀だけではない。日光は、流水は、十字は、杭は、果てにはニンニクまでも、何故こうも不快で致命的で馬鹿げたものなんだ?」
痛みを刻み、悶える吸血鬼狩りに銀剣を突き刺す。
悲鳴は耳に届かない。
「……何故、ブラドホワイトにはそれらへの耐性がある?」
吸血鬼狩りが動かなくなった頃。ログネスは傷だらけになった腕を見つめながら小さく呟いた。
その瞳は好奇心に輝いていた。
「そこに何か、私の知らない真実があるかもしれない…………! いや、あるはずだ!」
満面の笑みが月夜を照らす。今宵の星は彼に釘付けだった。




