波乱
冷たい鉄格子、薄く簡素なベッド、わずかな光を通すのみの窓。
無機質に並んだ部屋内に繋がれた人々は、見渡す限り十字の象徴物を身につけている。
「ここ、牢屋……?」
「そうね。妾的には待遇はいい方よ」
ここは、屋敷から離れた別棟であった。
階段を上ってきたため、何階層かに分かれていることは分かるが、窓から外が見えないため具体的な高さは分からない。
ただ、外から建物を見た限り、窓から飛び下りるなんてことは不可能だと感じるほどには高さがあった。
その牢屋のうちの一つにメルトは鎖で繋がれた。
と言っても他の牢屋と異なり、牢屋が並ぶ廊下を進んで行った一室に連れてこられていた。
拘束具から感じる気味の悪いオーラや、部屋内に見える無数の本など、まるで何かを研究するための場所のようだ。
「……」
アリスによる暴露以降意識が戻らず、メルトは手を繋がれたまま項垂れている。
ルノはアリスの後ろに立ち、その様子を見ていることしか出来なかった。
「さて、ここで空元気嬢とはお別れよ。貴方は引き続き妾のもとにいてもらうわ」
「……メルトさんは……どう、なるの」
ルノが震えながら問いかけると、アリスは扇子を手に当ててペチペチと鳴らす。
「そうね……妾には個人的に聞きたい事もあるし、夢想坊やが殺そうとしても止めるつもりだけれど……こんなに利用しがいのあるサンプルがあるのだから、殺すよりも実験するのに使うんじゃないかしら」
アリスが淡々と言い放つ。
利用?サンプル?実験?ログネスはメルトを使って何をしようとしている?
いや、大丈夫だ。きっとまだ時間はあるはずだ。ここから逃げるための手立てが、どこかに。
そう、アーヴァンスだっている。ユミアだって、きっと助けてくれる。
ルノが服の裾を握りしめていると、廊下の方からコツコツと音がした。
「あら、夢想坊や。謎の剣士とやらの元に向かったんじゃなかったのかしら?」
アリスが大声でそう言うと、部屋の扉が開く。
「………………あ」
そこに居たのはログネスだ。それもアーヴァンスとユミアを連れている。
二人はなにも言わずに目を瞑っている。
「少しおいたをした子を躾けてきたんだ。……それよりも、手筈通りだね。よくやってくれたよ、アリス」
ログネスは二人を扉の横に下ろすと、メルトへと近づき、その顎を掴んだ。
「……気絶。アリス、何をした」
「何って……妾本当に空元気嬢がブラドホワイトか確かめただけよ。そうしたら頭を押さえてこうなったの」
アリスが手を広げて首を傾げると、ログネスはメルトを見つめたまま、目を細めた。
「……いや、瓜二つだ。偽物ではない……となると…………」
ログネスは思案するように呟くと、メルトの足を血の糸で貫いた。
「ッ!?」
「メルトさん!」
ビクリと身体が跳ね、メルトが目を覚ます。
痛みに顔を歪めたまま、周囲を見渡すと、段々とその顔が青ざめていった。
「え、ルノくん……アーヴァンスに、ユミアも…………うち、は……」
「おはようメルト君。素晴らしい夜だね? あぁ、それとも……」
「メルティベル・ブラドホワイトと呼んだ方が良いかな?」
ログネスが穏やかに笑う。
「は、え……誰のこと、言って……」
息が荒くなり、メルトの目の焦点がズレていく。
やがて表情がさらに深く痛々しくなっていく。
「あ……あぁ、うち、うちは……」
また頭を押さえようとするも、メルトの手は鎖で繋がれて届かない。
「まてまて、気絶するな」
ログネスがメルトの頭を掴む。穏やかな笑みが消え、まるで何かに失望したかのように瞳から光が消えている。
「……! もうやめ——」
ルノはついに我慢しきれなくなり飛び出そうとした。
だが、目の前の床に光剣が突き刺さった。頭上から振り下ろされたのだ。
「だめよ、奇天烈坊や」
「……うるさい!」
ルノは剣を乗り越えメルトに近づこうとする。
アリスはため息をつくと、ルノを光輪で拘束した。
「っあぐ」
体の自由を奪われ、ルノは転倒する。
「ルノ、くん……!」
メルトは頭を掴まれながらもルノを目で追う。
表情で分かる。アリスの前で倒れてしまったぐらいの、想像を絶する痛み。
そんな中で、自分よりもルノに心配をかけている。
「……想定より依存が深いようだ。ちょうどいい。メルティベル。話をしよう」
「君の、過去について」
頭から手を離し、わざとらしくメルトに手をかざす。
メルトはそれを見ると、口を震わせ頭を横に振った。
「……っ何を知って、いやだめ! ま、まずうちはメルティベルなんて名前じゃ……!」
「本気でそう思っているのだろうね。分かるよ。けどうっすらそうじゃないかとも思っている」
「君はノーデン・ブラドホワイトの娘。メルティベル・ブラドホワイト。私が仕留め損ねた一族最後の一人だ」
ログネスの口からもメルトのことが明かされてしまった。確定してしまった。
違う、こんな形で知りたかったんじゃない。
「(ぼくは、メルトさんから教えてもらいたかったのに)」
どうしようもないまま、メルトを見る。メルトの顔は引きつり、ルノを直視できないでいる。
メルトは顔を歪めながらログネスの方を睨みつける。
「しら、ない……適当、言うな……!」
「知らない。それも本当なのだろう」
ログネスがメルトの頭を人差し指で指した。
「君はどうやら記憶を失っているようだからね」
メルトの呼吸が浅くなっていく。目は完全に見開かれている。
「やめろ、ちがう! うちはメルト! 吸血鬼だ! 何も無くなんかない! 覚えてる、おぼえてる……!」
「苦し紛れにしても無理筋だ。どんな経緯かは知らないが、君は記憶を失っている。私は君と顔を合わせたことがあるんだからね」
「やめろぉ、だまれぇ!」
悲痛な叫びが木霊する。
「ルノくん……聞かないでぇ」
「もうやめてよぉ、なんでもするからぁ」
嗚咽が耳に響く。フラレスでもパンドラで泣かせてしまったときでも見なかった、見た目通りの少女のように泣き叫ぶメルトの弱さが、ルノの心臓を締めつけた。
記憶を失っている。そう言われて、納得してしまった。
パンドラを出た船の上で、メルトは「わからない」「話せない」と言っていた。それは言葉通りの意味だったのだ。
無いものは話せない。自分自身が分からないまま、彼女は旅をし続けていた。もしかしたら、自分自身を探していたのかもしれない。
その傷を抉ってしまっていたことが、ルノの後悔をさらに深めていった。
「……記憶喪失? それじゃあ、妾はどうすればいいの」
「はぁ……ログネス、この二人は連れていくけれど、この子はどうするの」
「そのままにしておいてくれ」
「そう……」
アリスは力なく返答するとルノの光輪を解き、アーヴァンスとユミアを宙に浮かして部屋から出ていった。
ログネスはそれを見届けると、メルトに振り返る。
その目にはこれまでと違い、どこか熱のようなものが宿っていた。
「……なんでもする、そう言ったね」
「…………」
メルトは何も返さない。
それを肯定と受け取ったのか、ログネスは笑みを浮かべた。
「そうだな、最低限駆除出来れば良いと思っていたが、まさかこうもあっさりと協力を得られるとは」
「ああ、安心してくれ。私は彼に手を出さない……それに、私の目的は吸血鬼のためのものなんだ。君が快く受け入れてくれるならば、この先も駆除する必要はない」
ログネスは手のひらを合わせ、少年のように輝いた笑みを浮かべた。
「君たち一族にあるはずの力を貸してほしいんだ。それを使えば、吸血鬼はあるべき姿へと返り咲くことが出来るんだ! あぁ、記憶に関しては戻らなくても構わないよ。私には結果さえあればいい! 吸血鬼狩りだって作り上げたんだ。今更苦ではない!」
「いや……ただ……実を言うとね実験というのにもうんざりなんだよ。だから、なるべく早く! その力の正体を! 私に! 見せてくれ!」
「ふざけた物語を無きものにするために!」
興奮気味なログネスに対し、メルトは力なく項垂れたままだった。
——そこに口を開いたのは、か弱い少年だった。
「……ログネスさん、ブラドホワイトのひとたちを……ノーデンさんを、ころしたの」
ログネスは静かに振り返ると、興奮していた笑みがみるみる真顔になっていく。
「……そうだ。私の一族を率いて、メルティベル以外を殺した」
「じゃあ、ログネスさんが、ノルムヴァンデなんだ」
ユンデネでノモトから初めてノルムヴァンデの名を知った。
禁書庫でノーデンはその名を叫んでいた。
そして、ログネスはブラドホワイト一族を殺した。
それらから導かれるのは、目の前の男がノルムヴァンデ……吸血鬼の祖の一族であるということだった。
ログネスはまたもや興奮したように目を輝かかせる。
「……おお、何故知っているのか……いや、知っていてもおかしくはないか。君には私に似た雰囲気を感じる。おそらく好奇心のまま、ひとつの真実にたどり着いたのだろう。人間の戦争によってトワイライトも疲弊していたところを狙って——」
「ぼくが、聞いてることだけに答えて」
ログネスが笑いながら語るのを遮ると、ルノはうつ伏せのままでログネスを睨みつける。
自分に出来ることは聞くことだけだ。考えることだけだ。
とにかく、何かを見つけるしかない。
「……いいだろう。それで、何が聞きたいんだい?」
「メルトさんはころさない?」
「ああ、彼女が潔く協力してくれるのならばね。これは誓って本当だ」
瞳を見れば、演技の中に真実が見える。だが、それが映し出すのはメルトへの目線の質だ。
この男は、メルトを便利な道具として見ているようだ。大切な道具は壊さないように使う。その程度の認識なのだ。
——それを確信した時、ルノの中でひとつの考えが浮かぶ。
正直に言えば賭け。ただ、この方法が一番に思いついた。パンドラでもそうしたのだ。それしかない。
「………………わかった!」
ルノはそれを聞いた瞬間、立ち上がり、メルトに背を向けた。
「は?」
「……ルノくん……うちは、いいから、そのまま逃げてぇ」
走り出すルノを見るとログネスは驚愕し、メルトは痛々しく笑った。
「みんなの物語を、無かったことにするなんて、そんなのはダメだ……!」
「あなたの悪いところだって、ぼくの物語の一部にしてやる!」
ルノは宣言しながら走り続ける。背を向けながら、それでも勇気に満ちている。濃紺の瞳は未来を見ていたのだ。
「…………あんな子供に何ができる訳でもない。予定は続行だ」
ログネスはルノの後ろ姿を見ながら、再び余裕そうに笑っていた。
◆
「今出来なくても……メルトさんを助けるんだ……!」
自分一人では何も出来ないことは分かっている。だからこそ、誰かに助けを求めるのだ。
クラナタールのことを知りたいと、助けを求めた時、声をかけてくれた人がいた。ユミアだって助けてくれた。助けてくれる人はいるはずだ。
必ず救ってみせる。アーヴァンスやユミアも、絶対に救うのだ。
根拠も何も無い。宛もない。それでもそう決めたのだ。
部屋を飛び出すと廊下を駆ける。
一本道の先に、アリスらの姿が見えた。
「あら? 奇天烈坊や、後で迎えに行こうとしていたのだけれど……って!」
「アーヴァンスさん!」
ルノは全速力でアリスの開いた牢へと飛び込むと、中にで目を閉じているアーヴァンスの名を叫ぶ。
ニィっと、灰色の男に笑みが浮かんだ。
「おおう! 仕方ねぇなァ! ルノォ!」
「あ、あら、銃弾坊や! 起きていたの!?」
慌てふためくアリスを横目にアーヴァンスは足を曲げる。
ルノはそれを踏み台にすると、アーヴァンスが勢いよく足を伸ばし、格子窓へと飛びついた。
窓のサイズは子供を想定していないのか、ちょうどルノの通れるほどの幅が空いている。
ルノはそれを掴むと、アーヴァンスから受け取っていたナイフで格子を切り始める。
「ちょ、ちょっと危ないわ! 早く降りなさい!」
アリスが指を振ろうとすると、その指を黒い刀が掠めた。
ヘロヘロとした軌道だが、慌てたアリスを捉えるには十分だったようだ。
「ッ! 剣姫嬢! 貴方まで!」
「寝たフリをして状況は把握していましたが、まさかこうなるとは思いませんでしたよ!」
ユミアが叫ぶ中、ルノは格子を切り離すことに成功し、外を見下ろす。下に木が生えている。
「ぼくが……絶対なんとかする……!」
生唾を飲むと、そのまま飛び降りる。
「……待ちなさ——」
アリスが追いかけようとすると、アーヴァンスは火を放ち、ユミアはまだ刀を放つ。
「ルノォ! 街に吸血鬼狩りと戦ってるやつがいるゥ! そいつを探せェ!」
「剣士です! 剣を振ってる人ですよ!」
ルノからの返事はない。
しかし、二人の顔は満足げだった。
「ははっ、見たかァ! やっぱりあいつなら何かすると思ったぜェ!」
「上手くいってよかったぁ」
アリスは口をぽかんと開けたまま、二人の笑顔を交互に見つめた。
「いつ、いつからこの作戦を、妾、これまでで1番想定外よ……」
二人は顔を見合わせると、自信満々に叫んだ。
「「刹那的な勘!」」
二人の笑顔は本物の兄妹のようだった。




