アーヴァンス・カーマイン
「おい、ルノの坊主ゥ、てめぇ突然何言ってんだァ?」
「まさかトワイライトに行こうとしてるだなんて思わなかったがよォ、本気で俺に来いってかァ?」
アーヴァンスは急ぎ足でルノに近づくと、困惑と怒りの入り交じった目で見下ろした。
「うん、行くよ。準備しといて」
「てめぇも話聞かねぇタイプだったかァ!」
ルノはそんな目を見ながら人差し指でアーヴァンスを指さした。
「ぼくはまだダメかもしれない。けど、トワイライトに行くことも、アーヴァンスさんを連れてくことも、もう決めた」
「責任とるよ。アーヴァンスさんがここにいるのはぼくのせいなんでしょ」
「アーヴァンスさんが何をして欲しいのか分からない。けど、アーヴァンスさんもどうすればいいのか分からないなら、ぼくと一緒に来て」
先程まで弱りきっていたとは思えない澄んだ瞳から、アーヴァンスは目を離せない。
惹き付けられる濃紺の瞳に感じるのは、あの時よりも多く複雑な感情……
「……ハッ! いいからその目ぇ閉じろォ。眩しいんだよォ」
アーヴァンスはルノの目線を手で遮り閉じさせると、そのまま背を向ける。
広い室内にとっては狭い背中。だが、ルノにとっては十分広い背中だ。
「俺ァ寝る」
そう言って部屋を出ていくアーヴァンスを、ルノは引き止めることなくただ見送った。
◆
ルノとアーヴァンスが会話してしばらく、メルトは何事もなく帰ってきた。
相変わらずの笑顔に、ルノは特に声をかけることも出来ない。
ただ、メルトがいつも通りを演じるように、ルノもまた普段のルノを演じるべく、目を離さないようにしていた。
そして、夕方戻ってきたエルネの一言をきっかけに四人は夕食を囲み、その流れでルノたちも家に泊まることとなった。
——だが、時間はない。アーヴァンスが仲間にならなかったとしても、すぐにでもフラレスを出ないといけない。
ルノとメルトが翌朝の出立のために準備する中、一人の男が夜の森を歩いていた。
『アーヴァンスさんが何をして欲しいのか分からない。けど、アーヴァンスさんもどうすればいいのか分からないなら、ぼくと一緒に来て』
言葉が頭を反芻する。
「して欲しいことなんざねェ」
「なんであの坊主は……あァくそ、考えさせやがってよォ」
森を歩きながら、最近めっきり開いていなかったロケットを開く。
幼いアーヴァンスと母、アーヴァンスの手には当時の彼が描いた絵が抱えられている。
今でも覚えている。この写真を撮ったのは、たまたま父の機嫌が良かったタイミングだった。
アーヴァンスが描いた絵を母に送り、それに喜ぶ母を何を考えたか父が写真に残した。
後日絵は酔った父によって焼かれたが、写真だけは母が隠し通し、ロケットと共にアーヴァンスに渡したのだ。
アーヴァンスの母はアクセサリーを作る仕事をしていた。その職場でロケットを作ってきたと、涙を堪えながら語っていた。
夜の森の静けさに沈み、風に溶け込む。
月の光を背に受け、どこえ向かうとも知らず、アーヴァンスは歩き続ける。
「まったく……今日は困った日だな。誰も彼も……」
聞きなれた声が聞こえる。
アーヴァンスがゆらゆらとおぼつかない足を止め、後ろを振り向くと、月光を背にエルネが立っている。
寝間着のまま少し欠伸をすると、エルネは愚痴を吐きだすようにため息をついた。
「……何してんだエルネェ」
姿を確認すると背を向けてまた歩き出す。
エルネもまたそれに着いていく。
「いやいや、こっちのセリフだよ。夜にこんな遠くまでフラフラ出歩いてさ、万一魔物が出たら危ないでしょ」
「ここらにいる魔物は雑魚だァ。俺が負けるわけねェ」
アーヴァンスが『そういうお前はどうなんだ』と問い返そうとしてまた振り返ると、エルネの顔を見て言葉に詰まった。
その顔に見えるのは、確信と疑いの色だ。
「ま、そうだろうね。君は強いらしいからね。前に君が漁に着いて行って護衛をした時、出てきた魔物をあっという間に倒していたらしいじゃないか。あまりに手際が良すぎるから、相当凄い所の人なんじゃないかって何故か私が質問攻めにあったんだから」
「……ねぇ、アーヴァンス、あの二人とは知り合いみたいだけどさ、一体何があった? 君は一体何者なんだい?」
「君は過去について語らない。何かあるだろうとは思ってたよ。でも、あの秘密の多い姉弟との関係、ただの知り合いではないんだろう?」
エルネが駆け寄る。普段の大人びた様子から忘れがちだが、エルネはまだ子供と言っていい歳だ。
いい加減気にしないままでは居られなくなったのだろう。
——ちょうどいい。アーヴァンスの脳裏に浮かんだのはその一言だった。
「……過去、過去なァ。教えてやってもいいぜェ」
「今までは言わなかったがなァ、俺ァ吸血鬼狩りだったんだよォ」
何がちょうどいい?それを言語化すべきではない。
ただ、アーヴァンスは衝動のままに溢れる言葉を吐き出した。
「そう……吸血鬼狩り…………」
言葉に詰まる。それはそうだ。吸血鬼狩りは普通の人間から見れば変人。数少ない吸血鬼に固執し滅ぼそうとする、狂気じみた奴らの総称だ。
アーヴァンスはそう自認している。
「あァそうだ。それになァこれも言ってやりたかったんだよォ」
口が動く。昼間のルノのように、感情をさらけ出している。
「俺ァなァ、吸血鬼狩り時代に、罪のない吸血鬼だって殺したァ! 女子供も構わずなァ! なぁおいエルネェ! てめぇはそんな奴の絵に、『好き』だなんて言っちまったんだよォ! 笑えるなァ!」
唐突すぎる告白にエルネが固まる。
突き放すように、これまでの曖昧な態度では、この絵描きには意味が無い。
やはり、ちょうどいい。ここで一度——
アーヴァンスが自嘲気味に笑っていると、エルネは片足に体重をかけ腕を組む。
アーヴァンスを怖がる訳でも同情する訳でもない。
絵画を見つめる時と同じ目をしている。
「……芸術の背景に、その作者が切って離せないことは確かだ。事実、私はそれが理由でペンネームを父さんの名前にしている」
「でもね、やっぱり私は君の絵が好きなんだ。対話可能な種を殺してきたというのは到底許される行為ではないし、どこかで殺されたって別に仕方ない、自業自得だろうと思った。それでも好きな絵なんだ」
「君を肯定してやれたら良かったんだが、私は君の絵しか肯定できないみたいだ。ごめんね」
エルネの言葉にアーヴァンスは口を閉じたまま、真剣に耳を傾ける。
ルノとの会話の際に受けた衝撃とは違う静かで重い言葉で、エルネの迷いなき本質が透けて見える。
その誠実さに対し、アーヴァンスはエルネの手首を掴む。
「……それじゃぁよ、俺は絵を描けば、他は要らないってのか?」
ただ力を込めて握るその手は、細いながらも力強さを感じる画家の腕。
エルネの命そのものだ。
そんな状況にあっても、エルネがアーヴァンスに嫌悪感を抱く様子は微塵もない。
それどころか、少し空気が緩んだ。
「何、そう言われたいのかい? 随分と弱気じゃないか」
「言っておくが、私が手を折られたぐらいで心も折れると思わないほうがいい。私は頭だけになっても口で筆を咥えてでも絵を描き続ける」
「それか、どこかにいるとかいう悪い魔法使いにでも手を生やしてもらうよ」
本気の宣言だ。アーヴァンスですらぞっとするほどの狂気。これが絵を描くことにかける情熱なのか。
絵のためなら悪に堕ちても構わないとは。
「それは……それは………………ハッ、てめぇはとんだグレー女だ……」
アーヴァンスがエルネの腕を放し優しくなでると、エルネはアーヴァンスの胸を小突いた。
「それは君だろう。いいから迷うくらいならやりきりなよ。その過程で死んだら人並みに悲しんであげるから」
アーヴァンス自身が何をしようとしている、何に迷っている、それを言ったつもりはない。
エルネはそんなアーヴァンスに過度に近づくことも離れることも無いらしい。
「人並みに、なァ…………」
「おおう、刹那的に終わらせてくるぜェ」
アーヴァンスは来た道をゆっくり引き返す。
エルネが少し微笑みながら横を歩く。
今までで一番居心地のいい空間だった。
◆
「それじゃー、うちらもう出るから! ばいばい!」
「えっと、ありがとうございました」
「またいつでも来なよ」
翌朝になり、エルネは手を振りながらルノとメルトが出ていくのを見送る。
アーヴァンスは見送りに出てくることもなく、部屋に引きこもっているようだ。
遠ざかっていく二人を見ながら、エルネは二階の窓を見て叫んだ。
「いいの! 二人とも行っちゃうよ!」
返事は返ってこない。エルネが呆れて部屋の扉を思い切りどついてやろうと玄関に向かうと、窓がガラリと開き、上からアーヴァンスが降ってきた。
「うわぁ! 君さ! ちゃんと階段降りてきなよ!」
「あァ? うるせぇなァ。こっちの方が近ぇだろォ」
エルネがアーヴァンスの背を見ると、少し大きめな袋を手で背負っているのが見えた。
「……やっぱりか…………」
「……よし、二人と一緒に行くんだよね? 素直じゃないよね本当! いってらっしゃい!」
エルネが手を振ると、アーヴァンスが嫌そうに口角をピクつかせる。
「エルネ、てめぇ何だその笑顔はァ! 俺ァアイツらと一緒に行くなんて言ってねェ!」
「え? 行きたくないの?」
エルネは煽るようにわざと声高にアーヴァンスに発破をかける。
アーヴァンスは舌打ちしながらも頭を搔くと歩き出した。
「……! うるせぇなァ! 俺ァコイツらを助けるために行くんじゃねぇよォ!」
「昔の職場に挨拶しに行くだけだァ!」
振り向いてエルネを指さしながらそう言うと、アーヴァンスは背を曲げ、早歩きで立ち去る。
エルネはそれを見送りながら、両指でその光景を切り取る。
「やっぱり素直じゃないよ……」
「…………私だって、全部本心を言える訳じゃないんだけど」
エルネは一人呟くと、背を伸ばしアトリエに向かう。
「君の絵がまだまだ見たいんだ」
◆
港に着いたルノたちが船よりも先に目に入れたのは、灰色髪の男の姿だった。
「よォ、トワイライト行くにはこの船、だよなァ?」
「…………ルノくん、勧誘できたの……?」
「……うん、そうみたい!」
本気で驚いたようで、メルトのルノを見る目がやけに泳いでいた。
ルノはアーヴァンスを見上げて笑うと、さっと駆け寄り手を差し出した。
「よろしくアーヴァンスさん」
「おおう、事情は知らねぇが、ついでに手伝ってやるよォ」
「……なんか、二人の距離近くない?」
アーヴァンスはルノの手を取り、メルトをチラリと見る。
メルトがアーヴァンスにほとんど殺気に近い波動を放つと、アーヴァンスはニタリと笑った。
「まあなァ? てめぇと違って男同士の友情ってのがあるんだよォ。なぁルノォ」
「あ、うん……」
ルノは首を縦に振ると、アーヴァンスの横に立ったまま、メルトを見た。
今はメルトの横よりも、こちらの方が気持ちが楽になってしまう。
「ぐ……んんんん………………! いーよ! 今はそれで!」
メルトはその場でやかましく動き回ると、ルノとアーヴァンスを置いて先に船に乗ってしまった。
アーヴァンスはそれを見ると、ルノを見下ろした。
「おい、マジで重症じゃねぇかァ? なんか変だぞォ」
「……うん、だから、早くトワイライトで秘密を知らないといけないんだ」
ルノもまた船内に進む。
アーヴァンスも首を鳴らすと、フラレスの町を見渡してから船に乗り込んだ。
「俺も、ボスの野郎の顔を見てやるゥ」
三人が乗り込んだ船は、間もなく出発する。
目的地はトワイライト。
——吸血鬼に因縁のある街だ。




