お互い様
突き抜けるような空間を、大きな窓から差し込む光が優しく照らす。
その懐かしい家の雰囲気を肌に感じながら、ルノは連れられるままに椅子に座った。
「アイスティーでも入れようか。アーヴァンス」
「……なんで俺なんだァ……てめぇで入れろォ……」
聞こえるように文句を言いつつ、アーヴァンスがキッチンへと歩いていく。
やる気のないように見える一歩一歩だったが、不思議と完全に嫌がっているようには見えなかった。
「ありがとねー、アーヴァンスー!」
「チッ、てめぇに言われるのが一番ムカつくんだよォ!」
慣れた手つきでティーカップを操作するアーヴァンスをメルトがからかう。
エルネはふっと微笑むと、メルトの顔を見つめた。
「それで、どうしてフラレスに戻ってきたんだい? 船の乗り継ぎついでとかかな?」
「んーそうそう、トワイライトの方に行こうと思ってねー」
「そうか……ふーん」
エルネは人差し指の腹で自身の頬をトントンとつつくと、今度はルノに目を向けた。
「それで、ルノは旅で何か良い景色を見たのかな? 絵は描いてる?」
「……うん」
ルノはエルネから目を逸らす。
すぐにそのことに気がつくと、エルネの瞳に目線を合わせた。
しかし、上手く焦点を合わせられない。
「なるほど良かった。旅の醍醐味のひとつは全く異なる世界を肌身に体験出来ることだからね」
ちょうど机に置かれたばかりよアイスティーを飲み干し、アーヴァンスの持つお盆に返却すると、不機嫌そうな男の目線も臆せずエルネは立ち上がった。
「よし、アーヴァンスもてなしといて。アトリエにいるから」
「あァ? 自由人がすぎるだろ――」
「じゃあ、気の済むまでくつろいでていいから。頼み事とかあったらアーヴァンスにお願い」
エルネは足早に家から飛び出し、玄関から扉の閉まる音が響いた。
それを見るとメルトもまた立ち上がる。
「なら、うちはちょっと町に買い出しに行こうかなー。アーヴァンス! 頼んだよ!」
メルトは流れるように部屋を出ようと、ルノに背を向けた。
ルノはそれを止めようとはしなかった。
あるいは出来なかった。
「……本気で言ってんのか?」
アーヴァンスが目をぎらつかせ、メルトを睨む。
メルトは背中を向けたまま、扉に手をかけて立ち止まる。
「あんたは人を殺さないんでしょ」
メルトは扉を開け、風のように突き抜けていく。
分身すら置かずに。
「……あァ、ったく、俺の周りの女ってのは勝手なモンだよォ」
ルノがティーカップに指をかけたまま固まっていると、アーヴァンスはルノの前にどすんと座った。
「……おい」
低い声にルノが肩をびくりと震わせ顔を伏せると、アーヴァンスは背もたれにだらんと体重を預けて嘆息する。
「はァ、マジで言ってんのかァ? こんな……はァ……」
片手で顔を覆うと、アーヴァンスは空のティーカップでルノを指す。
「おい、ルノの坊主、お前なに逃げてんだァ?」
「まずは顔を上げろォ。あの馬鹿みてぇにキラキラ輝いてた目ん玉を落としてきてねぇか、見てやるよォ」
ルノはアーヴァンスの言葉にも顔を上げなかった。
すると先程よりも深くため息をつき、アーヴァンスが机に乗り出した。
「……!?」
そのままアーヴァンスに頬を鷲掴みにされ、ルノは無理やり顔を合わせることになった。
「…………あァ、本当に落としてきちまったみてぇだなァ」
「なんだ、結局俺の『生きる目的』が分かんなくて考えるのを諦めたかァ? それとも、あのお気楽吸血鬼をいい加減見限ったかァ? それか見限られた側かァ?」
「なんにせよ、もう一度見るてめぇらがイカれた面になってんのはお笑いだろうがなァ!」
アーヴァンスは恍惚な笑みを浮かべる。
ルノは目を離せないまま、ちいさく言葉を捻り出した。
「…………ねぇ、アーヴァンスさん」
「あァ?」
「ぼくの目、どう思う」
アーヴァンスは意表をつかれたようで、目をまるくすると口を開けたままルノの頬から手を離した。
「なんだァそれは……」
眉間に皺を寄せ、アーヴァンスが口を歪める。
ルノは再び目を逸らすと、服の裾を握りしめた。
「ぼく、みんなの目を見るのが怖い」
「……んだと?」
一度出せば、言葉は溢れ出る。
「ぼくの目のせいで、メルトさんが傷ついたんだ。ぼくの目は、誰かを傷つけちゃうんだ」
「ぼくが見るせいで、ダメなものを見ちゃう。みんながぼくを見ちゃう」
「ぼくは、そんなのいやだ。みんな、この目が関係ないと思ってたのに、もうわかんない……」
「なんで、物語みたいに上手くいかないの……なんで、ぼくはあんなことしちゃったの……」
ルノが呟くのを、アーヴァンスはただ黙って聞いていた。
だが、その顔に浮かぶのは同情ではない。
「……おい、想像以上に期待はずれだなァ。なんだその弱音、なんだその目」
貧乏ゆすりで机が揺れる。
ガタガタと鳴る音に、ルノはただ怯える。
「あの時とは違う気持ち悪さだ。あァ、気持ち悪ぃ。てめぇふざけんなよ? 何今更ひよってんだ。俺を見たあの目は嘘だったのかァ!?」
「ふざけたこと言うんじゃねェ!」
怒号と共にアーヴァンスが机に乗り出す。
そして懐から銃を取り出し、ルノの額に押し付けた。
冷えた銃口にルノは掠れた息を漏らした。
虚ろというにはあまりに生気の宿っている瞳。
ルノを射殺すような、ねめつけた眼差し。
最後に別れた時と同じ、撃つ気の感じられない銃口。
アーヴァンスが、怒っている……?
「てめぇの……! てめぇの目が! 俺をイカれさせたんだ! てめぇのせいで、俺ァこんなとこにいんだよォ!」
苦しそうに顔を歪め頭を掻きむしると、アーヴァンスはルノと額同士が触れ合う程の距離に近づく。
「あん時メルトに言ってただろうがァ! 『責任』だ。てめぇの生き方に責任持てェ!」
ルノは圧倒され、何を思ったのかアーヴァンスの皺を寄せた顔の隅々まで観察していた。
普段のどこか諦観した瞳には怒りが宿り、サラサラな長髪は逆立ち、妖しげに上がっていた口角は見る影もないほどに下がっている。
嘘でこの顔が出るとは思えない。
でも、そこまで自分を叱りつける理由が分からない。
次第にルノの胸の奥底から、いつかの衝動が再び湧き上がってきた。
「……責任って、そんなこと言われてもわかんない!」
「ぼくだって、頑張ったのに! なんでわかんないこと言うの! だって教えてくれないじゃん!」
「全部ぼくのせいにしないでよ! 責任とか……もう……うるさい!」
気づけばルノはアーヴァンスの銃を振り払い叫んでいた。
アーヴァンスはそんなルノを冷たく見下ろす。
「………………あァ、なるほどなァ」
「なにが……!」
ルノが机を叩くと、突如額に軽い痛みを感じた。
「……!?」
両手で額を押さえると、アーヴァンスが開いた右手をひらひらと振りながら笑っている。
指で弾かれたのか。
「おおう、ルノの坊主もガキだったんだなァ。いいぜェ迷ってろォ。その方がすっとするぜェ」
「あの頑固な嘘つきの事なんざ、簡単に分かるわけねぇんだからよォ」
アーヴァンスはティーカップとおぼんを持ち、さっと机を立つ。
ルノは流れるような動作を見ながら、霧散していった感情よりも、新たな感情に胸を高鳴らせていた。
何も解決はしていない。この先仲直り出来るかも分からない。
そんな不安を背に、それでも進まなければ。
「んじゃあなァ、俺ァそろそろ昼寝でも――」
「アーヴァンスさん。トワイライトに行こう」
ルノによって言葉が遮られる。
アーヴァンスは振り返ると口をあんぐりと開きルノを見つめた。
「……………………はァ?」
そうしてアーヴァンスの唖然とした表情と、腑抜けた声が部屋を満たしていくのだった。
◇
家を飛び出たメルトは腕を乱暴に振り、周囲に衝動のまま力を撒き散らす寸前だった。
「……う、うぅ」
早歩きで森を突き進む。
次第にそれは疾走へと変わっていく。
離れたい。ここからも、自分からも。
「……サイアク、うちが、こんなこと思うなんて!」
「うちより、あいつの方がルノくんには……!」
吹き荒れる風が唐突に止み、メルトは両手で顔を覆い尽くしていた。
「もう……いやぁ」
地面に座り込み、フードを思い切り引っ張る。
何かに怯えるように縮こまる姿は、ただの弱々しい少女で、その手には何か手紙のようなものが握られていた。
その横にまた、座り込む者がいた。
「……やれやれ、二人ともとんだ深い傷を負っちゃってまあ」
「ッ!」
自身のことにいっぱいで気づかなかった。
こんな近くに、メルトの足元にも及ばないただの絵描きが近づいていたというのに。
メルトは手紙を懐に隠すと、目元を擦り髪を整えた。
「エルネ、アトリエって……」
「まぁまぁ、私なりに気を使ったんだよ。まさか、君まで出てくるとは思わなかったけど。いやぁ、私が案外足速くてよかったよ」
「君たち多分アーヴァンスと知り合いなんだろ? それも訳ありな。私が居たら邪魔かなと思ったんだけど」
エルネは空を見つめながら膝を抱えている。
メルトは隠れて深呼吸すると、なんとか気持ちを切り替え、笑った。
「…………まーねー! っていうかー、うち色々買い物しないとなんだよねー。何にもないならここらで……」
「いいんだよメルト、ここにルノはいない」
「………………なんのはなし?」
「話を逸らさなくていい。君、明らかに疲れてるだろう」
立ち上がりその場を去ろうとするメルトを呼び止め、エルネは唸りながら宙に目線を泳がせる。
「うーん……どうしようかな。言うべきか否か……」
「何、ハッキリ言ってよ」
メルトが強い語気で言い放つと、エルネは観念したように膝に手をついて立ち上がる。
「じゃあ言うけど、ルノと本当に何があったんだい? どうも君たち二人とも表情が硬い。以前のような仲良しとは違う感じがするんだよ。今の二人は……うん、絵に描くにはあまりにも焦点が合わない」
「ルノはどこか人を見ることに怯えているが、君に関してはルノに見られる自分を過大に演じているような気がする」
「もしかして、ルノの近くにいると何かを見透かされてしまうと、そう思っているんじゃない?」
エルネがそう言うと、メルトは肘を抱え目に見えて狼狽える。
「……ほんと、何言ってんの! 見透かされるって何を!? 別にうちは何も隠してない!」
「そうか、なら良いんだ。ごめんね、余計なお世話だったみたいだ。買い物に行くんだったか、手伝おうか?」
エルネはそう言うと、町の方面に向けて歩き出す。
その異常なまでの切り替えの早さに、メルトは内心をこれ以上探られないという安堵よりも気味の悪さを感じた。
「……ねぇ、どういうつもり! 意味ありげなこと言ったり、かと思えばやっぱいいやって! 何したいの!」
エルネは振り返ると、ため息をついてメルトをじっと見つめた。
「だって君が話したくないし、そのまま隠すことを決めたんだろう? 今の私にできることはもう無いってば、隠すって決めたのならもう少し隠し切りなよ。もう」
「……はぁぁ!?」
ヤケになって叫ぶも、エルネはそれすら気にせずまた歩き出した。
「とにかく私はもう何も言わない。時間をかけてもいいから仲直りはしな」
エルネは一切受け付けないといった様子でずんずん先へ進む。
「…………こっちの気も知らないで」
メルトは小さく呟くと、その後をゆっくりと追うのだった。
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