灰色男と絵描き女
ルノたちがパンドラを出発してしばらくのとある港町。町はずれの森の中にあるアトリエ。
二人の男女がキャンバスを一心に見つめていた。
男は汗を拭いながらパレットを近くにあった台に置くと、一歩後ずさり、目を見開いて全体を見つめる。
女はその横から頭を乗り出し、ゆらゆらと揺れながらその全体を観察していた。
「……おー、いいね。風景画もいいけど、人物画も味がある。こう、キャンバスの裏にこの女の子の本性が覗けるような奥行きだよ。特にこの目が好きだ。いやそれよりも手本なしでここまでの画をよく描けるねって――」
「おおう、そうかよォ。そりゃよかったなァ」
男が女の語りを遮るようにわざとらしく声を出す。
そして、金髪の女が近づいたり、遠のいたりしながら絵を観察する様子を見ながら、男はひとつにまとめた長い髪を解いた。
灰色の髪が解き放たれ、男は首元にかかった髪をさっと手で払う。
少し暗めな部屋の中で、男は画材のにおいを深く吸い込みながらその場にどんと座った。
「うん……やっぱり好きだよこの絵。君がこれを世に出すつもりなら、出した瞬間私が買い取る。オークションだって負けないよ」
「何言ってんだァ? お前が描けって言ったんだ……お前にやるよォ」
「本当かい……! っていやいや、ダメだろう! 確かに描いて見てほしいとは言ったけれどもさ!」
女は腰に手を当てながら灰色男を睨んだ。
睨んだと言ってもだいぶ優しい顔つきだったが。
「……エルネ」
「なんだいアーヴァンス! あ、もうお昼か、今日は父さんも腰の調子がいいみたいだし、みんなでユリス通りの方に行かないかい?」
言いかけた言葉が遮られ、アーヴァンスは開けた口をゆっくり閉じる。
「……なんだ、お前の親父、今日も外に出ていいのかァ?」
アーヴァンスはエルネの父親の顔を頭で浮かべると、この家で世話になることになった日のことを思い出し、鼻で笑った。
エルネの父、エリオットは引退した元冒険家。現在は療養も兼ねてエルネと同じ家ではなく、病院の方にいることが多い。
「ああ……って、なに笑ってるのさ。あ、あの日の事を思い出してるんだろう。言っておくけど、父さんはもう勘違いしてないよ」
「く、くく……俺がお前みたいなやつの、恋人……」
――なれる訳がないだろう。悪人が、善人お恋人になんて。なるつもりもない。
「もういいよそれは……本当にタイミングが悪かったよあの日は」
というのも、アーヴァンスとエルネが出会ったあの日。エリオットがたまたま家へとやってきたのだ。
『え、エルネ……! なんだその男は……!』
『あれ、父さん今日来るって言ってたっけ? って一人で来たの!? いつもの付き添いの人は?』
『最近は調子が良いからな。置いてきた。そんなことはどうでもいい! なんなんだこいつは……!』
言葉を失い、持っていた杖を倒して驚くエリオット。彼の勘違いにため息をついて呆れるエルネ。その二人の様子が何故かアーヴァンスにとってツボだった。
アーヴァンスは首を鳴らすと小屋の扉を開き、さっさと歩き出す。
「ちょ、アーヴァンスお昼は!」
「行ってやるよォ。準備できたら叫んで呼べェ」
「はぁ、分かったよ。登るなら近くの木にしといてね」
「おおう、今日は登らねぇけどなァ」
アーヴァンスは背を向けたまま返事すると、エルネの家とアトリエを囲む森の中へと歩いていった。
◆
森に入って数十分ほど、アーヴァンスは木に寄りかかり目を閉じていた。
「……」
後頭部で腕を組み、木漏れ日を避けるように座っていると、心地よい風が頬を撫でた。
「……何をしてるんだ俺ァ」
離島での敗北からずっと感じる浮遊感。
自分が生きてきた過去が夢なのか、はたまた今この時こそが夢なのか、このままその境目にいては引き裂かれてしまうのではないか。
どれにせよ、ルノとメルト……主にルノのせいで今こんな状況にあるのだ。
アーヴァンスが思索にふけっていると、木の枝を踏む音が耳に入る。
アーヴァンスの寄りかかる木の裏……背後からだ。
「二人……なんだァ、もう来たのかァ?」
アーヴァンスが立ち上がろうとすると、違和感を覚えた。
「…………歩くのが速ェ」
エルネの父親は腰を痛めている。
普段の生活ではエルネの邪魔になると言って病院にいるほどの腰だ。
最近はかなり良くなってきていることから、一人でもかなり自然に歩ける。
だが、早歩きなどをするのは不可能のはずだ。
それに、わざわざ森にエリオットが来る必要もない。家で待ってもらえばいいだろう。
音の時間感覚、重み、から歩幅や体重を推測すると……
「ま、エルネはいねぇなァ。あいつは軽すぎる」
アーヴァンスは懐に手を入れて愛銃を取り出そうとする。
しかし、手はすかんと空ぶった。
「…………チッ、平和ボケしちまった」
どうやら銃は家に置いてきたらしい。
「仕方ねェ。魔法で……」
アーヴァンスは息を吐くと立ち上がって木の陰から出る。
そして、男二人の顔を見ると、しばらく硬直した。
男二人もまたアーヴァンスを見ると、その場に立ち止まった。
だが、沈黙は長くは続かなかった。
「おいおいおい! アーヴァンスじゃんか! 本当にいたぞ!」
「うん、本当にね」
「てめェは……あー……アンディ。てめェは……ドミノ」
アーヴァンスは両者の顔をまじまじと見つめてから指を指した。
「お、ちゃんと覚えてた! お前いつも雑だし、ユミア以外覚えてないんかと思ってたのに」
「うん、本当にね」
「俺をなんだと思ってんだァ?」
二人の男は、それぞれ十字を象ったアクセサリーを身につけ、アンディが銀の剣、ドミノが銀のメイスを背負っている。
アーヴァンスは二人の装備を確認すると、周囲の地形を確認しながら会話に応じる。
「で……なんでこんな所にいるんだァ? まさか、俺を連れ戻そうだとか、消そうだとか考えてんのかァ?」
アーヴァンスが懐に手を伸ばし、銃をとる素振りをすると、アンディがばっと手を上げた。
「まてまて、そんなつもりないって! 俺たちは普通にフラレスに用事あっただけだし!」
「そもそも、アーヴァンスに関してボスは何も言ってないし、そもそも俺らじゃ勝てやしない!」
「……あァ、そうかァ、なるほどなァ」
組織を抜けた事になんの言及もない。
アーヴァンスは自身が吸血鬼狩りでもトップクラスの戦闘力を要していることを自覚している。
そのうえ、ボスと過ごした時間も長い。
だが、なにも…………
「見られてたのは俺じゃねェ。必要だったのも俺じゃねェ」
アーヴァンスは戦闘動作をやめると、エルネの家の方向に歩き始めた。
「おい、待てって!」
「うん、アーヴァンス待ってくれ」
二人がアーヴァンスの前に立ち塞がる。
アーヴァンスはそれを睨みつける。
「なんだァ? なんか用かよォ。言っとくが、てめェらがなんで俺を探してたのかは心底どうでもいいィ」
「は? いやいや、少しくらい聞いてくれても――」
「うるせェ」
アーヴァンスは固まる二人の間を通り抜ける。
するとドミノが背後から肩に手を置いてきた。
「アーヴァンス、なんで辞めたのかはどうでもいいけど、仕事はしなよ。金は大事だ」
「……ハッ、余計な世話だァ」
アーヴァンスは手を振り払い、足早に森を抜けるのだった。
アーヴァンスが去ったのを確認すると、アンディとドミノが顔を見合せ、ため息をついた。
「ありゃもう戻ってこないなあ」
「うん、ちょっと寂しいけど」
アンディは木を見上げながら、腰に手を置いた。
「なんにせよ元気そうで良かった。じゃあ、俺らもトワイライト行くか」
「うん、でもまだ寄りたいとこがある」
「俺もなんだよな。じゃあせーので行きたい町の名前言おうぜ」
二人は顔を合わせ一斉に息を吸う。
「カヴァロ」「メルベル」
「「あ?」」
「おいおいドミノ、目的は同じく武器の精錬だよな?」
「当たり前」
二人の間に重い空気が漂う。
「なんでメルベルなんだ? 分かってんだろ? あそこの鉱山はまだだめなんだ。店の方も良いとこは大体カヴァロにしか残ってないだろ!」
「ううん、メルベルにはお気に入りの店がある。あそこ以外ありえない」
そのまま睨み合い口論の末に、二人は森の中で拳で喧嘩を始めたのだった。
◆
アーヴァンスが家へ戻ると、エルネがちょうど家から出てきたタイミングと重なった。
「お、呼ぼうとしたらちょうどいい。アーヴァンスはそのまま行くのかい? 着替えない?」
「あァ、とっとと行くぞォ。メシだァ」
「…………なにかあった?」
エルネがアーヴァンスの顔を下から覗き込んだ。
アーヴァンスは目を見開くと、すぐに表情を隠し、歩き出す。
「なんもねェ」
「嘘だね。驚いた顔したでしょ。私、表情読むの得意だっていつか言ったよね」
エルネは手を広げ、アーヴァンスを妨げた。
アーヴァンスはそれを振り払おうとして――
「……はァ」
――手が止まってしまった。
ダメだ。切り離したはずなのに。見えないところに、触れられないところに来たのに。
この強引さが、何故か自分につっかかってくる所が、そこに居ないはずの存在を彷彿とさせる。
あの桃色頭と重ねてしまうなんて、いけないことだろうに。
「アーヴァンス……?」
エルネが手を下ろし、心配そうにアーヴァンスを呼ぶ。
アーヴァンスは、そんなエルネを見下ろし続けた。
「エルネ、てめェはなんで俺を家に置く」
空虚な瞳で、威圧をかける。
これが本質だと、理解させるように。
しかし、エルネは全く臆せず、うーんと唸ったのちに口を開く。
「……君が絵を好きでいるからだね」
「あとは、見た目は怖いけど意外に優しいし、力がいる時役に立つし、家賃も払ってくれるし」
エルネは次々と早口で語り始めた。アーヴァンスはその勢いに眉をひそめる。
そんなこともお構いなしにエルネは最後にと言ってアーヴァンスの胸を指す。
「……道に迷ってる人を放ってはおけないよ……まだ構図がハッキリしてないんだし、もう少し絵の先輩に相談してくれたっていいんだけど、まぁ君は本音を出してくれないから最近少しイライラしてきてる」
「おい、なんで俺ァ突然刺されたんだァ?」
アーヴァンスが口を開けたままエルネを見ていると、エルネはニコリと笑った。
「まぁいいじゃないか。それより、早く行こう」
「お腹、空いたんだろう?」
――やはり、ここにいるべきではない。黒と白は交われない。
「――おおう、とっとと行くぞォ」
「わ、ちょっと、早歩きは良くないなー!」
二人は並んで小道を歩く。
アーヴァンスの足取りは軽い。されど引きずるように地面を擦っていた。
次話からトワイライト編です。




