それはまるで御伽噺のような……
揺れる海面を見つめながら、しなしなとした桃色のツインテールが小さく震える。
小さな個人船の上で、ユミアはただ揺れ続けていた。
「おいユミア、ブローチと銀剣、ちゃんと確認しとけよ。しっかり保管はしてたけど、一応な」
「……はい、ありがとうございます」
船内からの声に、ユミアはゆらゆらと歩く。
中に入ると小さな部屋のような形の中、鞘に入った銀剣と、大切に箱にしまったブローチが机の上に置かれていた。
中には運転手とは別にもう一人男がおり、銀でできた武具を丁寧に磨いていた。
「どうしたんだよユミア。行きの時から変だぞ。通信具も銀具も置いてっちまってよぉ」
「……なんでもないです」
ユミアは力なく座ると、ブローチを握りしめた。
「そうかぁ? ならいいけどよぉ、俺ぁ心配だぜぇ?」
「俺らにはこれから世紀の大計画が待ってるってのによ」
男は磨いていた銀の武具を置くと、拳を振り始めた。
「白髪の吸血鬼とかいう、ボスがずっと探してたのも見つかったんだろ? これから大変になるぜぇ」
「……あの計画は、本当にやるんでしょうか?」
ユミアが目を逸らしながら言うと、男は口をポカンと開けたままユミアを見つめた。
「何言ってんだよユミア。前々から決まってただろ?」
「ルズニアを裏から吸血鬼狩りが牛耳る。かぁー、言葉に出すだけて痺れるな! 隠れた吸血鬼を今より炙り出せるし、人間が平和になるってんだ。それに、ボスは国の支配はどうでもいいんだろ? いい事しかねぇじゃねぇか」
「ずっと準備してきたんだ。今更やめるって、そんなの興ざめだろ」
荒唐無稽のように思える計画。それを語る男に疑念も迷いも見えない。
ユミア自身も信じていたような気がするが、今思えば信じるには無謀な計画だ。
しかし、吸血鬼狩りの大半にとっては今も重要な目的であり、すでに当たり前の共通認識だった。
高揚した様子で語る男を横目で見ると、ユミアは背中を丸める。
なんだか体が重い。
「(本当にそう? 国を支配するつもりがないっていうのが本当だとして、ただ吸血鬼を狩るために国を敵にするような真似をするの?)」
「そう、ですね……」
そう言ってユミアが横になった瞬間、ブローチが光り始めた。
「あ」
「お! ボスの通信だ! おーい、通信だー!」
男が外の運転席へ向かったのを確認すると、ユミアは横になったままでブローチを耳に当てた。
『吸血鬼狩りの諸君。今日もいい日だ。単刀直入に言おう。計画の始動日が定まった』
ユミアが目を見開く。外からは歓喜の声が聞こえた。
『一か月、そう一か月後だ。その日こそが、我々吸血鬼狩りによる人類救済譚の始まりとなる。数多の人々が我々の偉業に身を震わせ、吸血鬼狩りの揺るぎない強さを、吸血鬼など取るに足らないことを、世界の覇者たるべきは人類なのだと、思い知るのだ……!』
『人々の救済のため、永劫続く恒久普遍の平和のため、共にこの身をささげようではないか……!』
声だけで他者を震え上がらせる圧倒的カリスマ性。吸血鬼狩りの誰もその素顔を知らない。
そんな男による魂を響かせる宣誓が、今のユミアにとってはノイズのようになってしまっていた。
吸血鬼は既にほとんどが狩り尽くされている。吸血鬼を打倒するだけで、人類が平和になどなるのか?
『それでは最後にトワイライトへ集合する同志諸君、くれぐれも気を付けてきてくれ』
その言葉を最後にブローチの光が消える。
ユミアはそれを確認すると、現実から目を背けるように、目を閉じてパンドラでの出来事を思い出す。
しかし、思考は長く続かない。
メルトたちとの楽しい思い出……それを壊した自分。
そして、クラナタールのもとから飛んできた鳥によるメッセージ。
『君はよく迷い、それを良くないと感じている節がある。だが、私がせき込んだ時、迷わずいち早く助けてくれたじゃないか。あまり気負わないほうがいい』
『迷っているのは君だけではないんだ』
ユミアにとって、『迷っているのは君だけではない』というクラナタールの言葉は納得できるものではなかった。
それでも心を揺らしていた。
「アーヴァンスは迷ってる感じじゃなかった。おじいちゃんも、剣をやめろって言ってから、絶対にわたしのお願いを聞いてくれなくなった」
「みんながわたしみたいに迷ってるわけない。きっと、みんなには、みんなの正解があって、それのために生きてるんだ。わたしが弱いだけなんだ」
ぐるぐると回り続ける思考の渦に捕らわれ、眩暈がしてくる。
人は本当にみな迷っているのか?そうは見えない。アーヴァンスも祖父もボスもルノですら、明らかにその中には確固たる軸がある。
……メルトのみは、少し似ているように感じるが。
「ボスは何を考えてるんだろう」
迷いを解消するかのようにユミアは起き上がると、通信魔道具に触れていた。
『ユミアです。ボス、少しお話できませんか』
「………………あ」
声にしてから、ユミアは自分のした行動に気が付いた。
慌てふためき、ブローチを振るも、意味はない。
いくら悩んでいるからと言って、こんなことをするなんて。
ユミアが頭を抱えてしばらく、ブローチが光りだした。
「え、あ……ぼ、ボス!」
『どうしたんだいユミア。急に話なんて』
ボスは柔らかい声で語りかけてくる。
以前はただのやさしさと受け止めていた声だ。
だが、現在のユミアのとってそれはまるで御伽噺の読み聞かせのような、抑揚のある芝居がかった声だ。
どうにも裏があるようにしか感じられない。張りぼての誇張された人格で、大きななにかを覆い隠しているようだ。
「はい、えっと……そう、アーヴァンスのことなんですけど! その、あの後どこに行ったのかとか……なにかありませんでしたか!」
『ああ、アーヴァンスか。何もないよ。通信具も破壊されているし、彼の吸血鬼狩りを辞める発言は真実だったようだね。戦力としては申し分無かったから手痛くはあるが、仕方ない。結果が全てだ』
ユミアが早口で問いかけると、一瞬の間も待たずにボスは答えた。
『仲が良かったとしても、過ぎたことを気にする時間は無い。君たちはトワイライトに急いでくれ。忙しくなるよ』
『大義のために、これからも君の才能を遺憾無く発揮してくれるかな? ユミア』
一度疑えばキリがない。言葉を聞く限りおかしいことは言っていないと思っていても、どうにも腑に落ちない違和感が繰り返し脳をよぎる。
「…………分かりました。頑張ります。失礼しました」
ブローチの光が消えると、ユミアは再び横になる。
すると、しばらくして男が船内に戻ってきた。
「どうしたんだよユミア、急に全体通信なんて……ってまぁそれはいいか……どうだ、ボスと話したのか?」
男がドスンと座る。
ユミアは男に背を向け、壁と向き合う。
「ええ、まぁ……すぐに通信してもらえました」
「ほぉー! やっぱ吸血鬼狩りで五本の指に入るだけはあるな!」
「やめてくださいよ……」
ユミアが雑にあしらうと、男は立ち上がり、船内の保冷庫を開く。
そして中から冷たい瓶ジュースを取り出しユミアの近くの机にドンと置いた。
「何悩んでんだか知らねぇが、一人で考えすぎんなよ? じゃあ俺は仮眠とるから」
男はそう言うと寝袋を取りだしてすぐさま横になった。
早々にいびきが聞こえてきた。
「…………はぁ、考えすぎるな、なんて普段ろくに考えてないからそう言えるんでしょ」
ユミアは目を瞑ると、昔聞いた睡眠法を試す。
「羊が一匹、羊が二匹、羊が――」
それを数える間も思考は止まず、結局ユミアはまともに眠れないのだった。




