残るのは希望か
ルノたちが街から帰る頃には、すでに日も暮れて辺りが暗くなっていた。
食卓を囲みながら、ルノたちはパンドラをもう出る旨をアリナたちに話していた。
「――そう、明日の便はとれたのね。良かった」
アリナはスープ皿の端にスプーンを置くと、残念そうに目を伏せた。
「そー、ちょっと小さい船だけど、二人くらいなら乗せてやるーって」
「……そんな顔しないでよ。うちらは元々旅人なんだし」
メルトは顔を逸らす。
アリナは目を丸くすると、すぐに微笑んだ。
ルノはメルトの隠された本心が垣間見えたようで、嬉しくも寂しくもあった。
アリナは、それを引き出せるのだ。
「そうね。またいつでもいらっしゃい」
「……うん」
ルノはスープに浸したパンを口に運ぶと、温かく優しい味を感じる。
包み込み、内側から温める。アリナの本質がそこにあるように思えた。
「アルベールさんはアルベールさんの家?」
明日の朝は早い。アルベールを探して挨拶するような余裕はほとんどない。
「ええ……あ、そうね。明日は早いものね」
「うん、あいさつしてから行きたかったんだけど」
アリナはルノを見て何かを含んだように微笑むと、目を閉じた。
「ふふ、それなら心配いらないわ。あの子のことだから……」
「……?」
「あとで分かるわ」
ルノが首を傾げるも、アリナはそれ以上何も言わなかった。
◆
明朝。朝焼けで街が薄く色づく。
ルノとメルトはしっかりと準備を終え、クラナタール宅の庭に出ていた。
「……よし、じゃあもう行くよ。ありがとね、途中から泊めてもらっちゃって……宿代が浮いたよ」
「いいのよメルトちゃん。いってらっしゃいね」
アリナはメルトの肩に手を置いてから、そっと抱きしめた。
「……ちょ!」
メルトは少し暴れたものの、次第に大人しくなっていった。
アリナが何かを呟いたようだ。
「よし、次にルノ君」
アリナはメルトから離れると、ルノの方へ向く。
「ルノ君に言いたいことはひとつ」
「ひとつ……?」
「あなたはまだ子供。ほかの子と違っても、子供なの。だから、たまには何も考えずに、楽しいことだけしてもいいのよ」
アリナのルノを見る目には、憐れみのようなものが滲んで見えた。
ルノにはその理由が分からず、ただ固まる。
「……そう言っても難しいものね。今は深く考えないでいいのよ。いつかその意味が分かるはずだから」
「それじゃあ、いってらっしゃい」
「……うん、いってきます」
二人は道を歩く。段々とクラナタールの家が遠ざかって、小さくなっていく。
肌寒い中でも、アリナはルノたちが完全に見えなくなるまで、手を振っていた。
◆
パンドラの清涼な街並みを抜け、エリア間通路を抜け、受付エリアへと着いた時、ルノは見覚えのある人影を見つけ目を細めた。
壁によりかかり、本を読む。厳格そうな男だ。
「アルベールさん……!」
「……来たか」
アルベールは、本を閉じるとルノたちを交互に見つめた。
「……なにー? あんたもしかしてずっと待ってたの? こんな朝早くから?」
「うるさいぞ。たまたまエリアを跨ぐ用事があっただけだ」
アルベールはメルトを手で払うと、ルノと目を合わせた。
「ルノ、もう発つんだな」
「うん」
アルベールはルノの頭を撫でると、すぐに背を向けた。
「……顔だけ見るつもりだった。達者でな」
「アルベールさん」
そのままさっさと去ろうとするアルベールを呼び止めると、ルノは荷物からコップを取り出した。
「コールさんも、アリナさんも、クラナタールさんも……アルベールさんもいつでも忘れないよ」
「だから、ぼくのことも忘れないでね」
アルベールは小さく口角を上げ、手を振った。
「……不器用なヤツ」
「よし、じゃー行こう」
ルノとメルトはパンドラに背を向ける。
行きと違って少ない乗客の、小さな船だった。
船に乗り、甲板で揺られながらメルトはパンドラを見つめている。
「まずはアーヴァンス。ざっくりだけど……フラレス方面……というか多分フラレスにいるんだよね」
「あの後、町を離れてないのかも」
「……アーヴァンスさん、吸血鬼狩りに飽きたって行ってたけど、何してるんだろう……」
ルノもメルトも小さくなるパンドラを背に向けて、進路にまっすぐ、水平線を見つめる。
かつて、吸血鬼と人が共存していた街トワイライト。
そこにあるはずの真実のために、二人は先へ進むのだ。
◆
窓もない狭い部屋の中、ランプの光をあてにしてルノは日記を読み返していた。
クラナタールが天国で良いと言ってくれるような、そんな物語を作る。そのためにもさらに探求したいと、気持ちが抑えきれそうにない。
これまで毎日描き続けた旅の結晶が、これからはルノの経験として、物語の材料となる。
その記憶を呼び覚ますことが、今のやる気に満ち溢れたルノにとっての最善だった。
濃密な思い出がめくる度にまるで昨日の事のように思い出せる。
「ねぇ、ルノくん。ちょっといい?」
「ん? どうしたのメルトさん」
ルノが机で日記と睨みあっていると、メルトがすっとルノの傍に近寄った。
ルノは椅子を引くと、メルトと向かい合う。
メルトは少し申し訳なさそうに目を伏せながら、両手の人差し指を合わせた。
「えっと、あのね、ここ数日忙しくてあんまりご飯食べられなかったし、その……」
「血、吸ってもいい?」
やけに後ろめたさを感じたため、ルノは何事かと身構えていた。
ルノは肩の力を抜くと、笑いながら首元を差し出した。
「別にいいのに。メルトさんって、変なとこでまじめ? だよね」
「もー、からかわないでよ! なんか食いしん坊みたいだし、恥ずかしかったのー!」
「……ありがとね。それじゃあいただきます」
「うん」
メルトは頬を赤らめながらルノの首元に白い牙を近づける。
いつも強い自称天才吸血鬼であるメルトも、この瞬間は無防備なものだ。
――メルトが血を吸う直前、ルノはメルトが吸血鬼であることを再確認した。
それは、抑えていた好奇心を刺激する引き金となった。
メルトのことをもっと知りたい。
メルトの抱える秘密の助けになりたい。
旅を始めた時よりも、少しは賢くなれたはずだから。
「ねえ、聞きたいことがあるんだけど、メルトさんって何歳なの?」
「どうしたの急に? うーん、秘密」
「じゃあ、トワイライトを治めてたっていう吸血鬼のことは?」
「……んー? 分からないなー。ほら、うちって旅してるでしょ? ひとつの場所にこだわらないしー」
メルトはルノの首筋から口を離すと、ルノの肩から手を素早く下ろし、あからさまに動揺した様子を見せる。
少し後ずさり、手をゆらゆらと振っている。
「じゃあ、ユンデネで吸血鬼狩りの人が結局吸血鬼の祖が二人いるって言ってたのは?」
「知らないかなー」
メルトは指を頬に当てながら即座に答える。
おそらく何も喋ってはくれないのだろう。ルノはそれを分かっていながら、もうこの衝動を止められなかった。
メルトについて知りたい。もっと理解すれば、もっと役に立てるはずなのだ。
ルノはメモを手に取り連続で問い続ける。
「それなら、メルトさんの事でもいいから……そう、旅の理由ってなんなの?」
「……」
メルトは何も答えない。だんだんと笑顔に陰りが増えていく。
どこかおかしいメルトの様子、それよりも好奇心が勝っていた。
これ以上聞いても意味はない。メルトだって拒んでいる。それでも、どうしても止められなかった。
「ねぇ、メルトさん。教えてよ。ぼく、もっと吸血鬼について知りたい」
「……わかんないって……ルノくん、ゼーヴェルトに行った時から変だよ。どうしたの?」
禁書庫でのことをメルトがどう思っているのかなど、ルノにとっては些細なものだった。
「ぼくは変じゃないよ。それより、ほんとに聞いたことないの?」
ルノの濃紺の瞳が、深くメルトを見つめていた。
メルトはその瞳から目を離せなくなった。
悪意を感じない純粋な瞳が、心の中身を丁寧に、ひとつひとつ漁りつくしていこうとしていた。
メルトが顔を横に逸らしたが、不思議な引力にかかったように目だけは離せない。
瞳に惹かれるまま、体すらその場に磔になったように動くことがない。
「やめてよ。わかんないって言ったじゃん。どうしたのルノくん」
メルトはひび割れた引きつる笑顔の仮面を被り、昔のことも今のことも、すべて答えない。
歪な口元が視界に映り、揺れる紅い瞳が強く訴える。
――それでも、知りたい。ルノは次第にメモに目を落としたままになり、熱が暴走した。
今聞かなければいけない。曖昧なまま街を出てしまえば自分に残る熱が冷めてしまうかもしれない。
クラナタールやノーデンのように何かの拍子でまた消え去ってしまうことが何よりも恐ろしい。
そうなっては、メルトがいつ自分のことを話してくれるのか分からない。
そんな思いがルノの頭を埋めつくしていた。
「ねえ、メルトさん」
「しらない」
「お願い、ぼく――」
「ほ、本当にそれはちょっとさ……」
「でも――」
これまでの旅で押さえ込んだ、踏み込まないようにしていた柵を乗り越えてしまった。
ルノがふと顔を上げ、メルトの目を見た。もう止まるには遅かった。
――仮面は砕け散ってしまったのだ。
「もう、やめて……話せないの……」
メルトは唇を引き締め、静かに涙を流していた。
浅い呼吸で、震えるからだを自身の腕で抱きしめている。
それでも互いに目を離せない。
「…………………………あ、え……」
ルノは頭が真っ白になってしまい、口を開けたまま、メルトを気遣うこともできない。
喉が渇き、体中にじんわりと汗が滲む。
だいじょうぶの心配も、ごめんなさいの一言も声にはならなかった。
「(ぼくは、ほんとうに前に進んだの?)」
◇
『■月■日 メルトさんを泣かせた』
完成したら幕間、断章も投稿します




