蛇足
ユミアの力を借り、クラナタールの家にたどり着いたルノだったが、その耳に飛び込んできたのは今夜が峠という言葉だった。
「しんじゃう……の」
扉によりかかり、するすると力が抜けていく。
クラナタールと話したい。楽しい物語の話、逆にあまり好きではなかった物語の話でも、別にどんなにくだらないことだっていい。
クラナタールという一人の人間のことが知りたい。
……知ることが出来なくても、一緒にいたい。
「ぼくに、たくさんの事を教えてくれた人だから」
ルノは足を踏ん張り、頭を振り上げる。
そのまま扉に手をかけると息を吸い込み、自分でも驚く程冷静に戸を叩く。
するとすぐに足音が聞こえ、ルノは扉から離れた。
扉が開き、メルトの驚いた顔が見えた瞬間、ルノは家に入り込んだ。
重くよどんだ空気がのしかかり、これまで通っていた温かさやハーブのにおいが嘘かのようだった。
「え、あれ、ルノくん!? なんで、どうやって!」
「それは後で。クラナタールさんはどこ!」
メルトはルノがずんずん進むのを後ろから慌てて追いかけると、前に割り込んでしゃがみ込んだ。
「まってルノくん、その、クラナタールは……そう、ちょっと風邪ひいちゃったみたいでね! えっと、うつっちゃうと良くないから……」
メルトはルノを見ながらも動揺で目が揺らいでいる。
ルノはどうしても隠そうとするメルトの手振りにも臆せずに問いかける。
「クラナタールさんはどこ」
「さっき聞こえたよ。今夜が峠だって」
「…………」
その言葉にメルトは手をおろすと、両手を合わせ立ち上がった。
「ルノくん、『峠』の意味が……クラナタールがどんな状況か分ってるんだね」
「……うん」
冷たい瞳。その中にわずかな別の色。
ルノはそれがルノに向けられたものだと感じ取り、その上で進むことを選んだ。
「しんじゃうかもしれないってことでしょ」
「でも、ぼくは最後までクラナタールさんのところにいたい」
そう言って強く手を握った時、ルノは今まで見たことのないメルトの表情を見た。
まだ、冷酷な目をしていることに変わりない。しかし、無意識か分からないものの、唇を血が出るほどに噛んでいる。
形の合わない接ぎ木のように、あまりにちぐはぐだった。
「…………人が死ぬのに会うのって辛いことでしょ?」
「そんなもの、覚えておきたくないでしょ? なんでわざわざ……ねぇ、ほんとに行くの?」
「後で思い出して辛くなるだけじゃないの? カヴァロのことだって……」
息もつかず畳みかけたメルトだったが、カヴァロという言葉を出した瞬間、はっとしたように口を押えた。
そして深呼吸してから手をだらんとおろすと、いつものメルトのように微笑んだ。
そのメルトの笑顔は何かに気圧されたようにも見えた。
「……ごめんね……うん、分かった。ルノくんがいいならそれでいい」
「ありがとう。メルトさん」
メルトの何かを押し殺したような笑顔にルノは胸の痛みを覚えるも、メルトが隠そうとしているのならとぎりぎりで感情を抑え込んだ。
「じゃあ、ついてきて」
メルトがそう言って廊下を進む。ルノはその後を着いていく。
そして、クラナタールの部屋の扉が開かれた。
はじめにルノの視界に映ったのは、頬がこけ、ベッドで横になるクラナタール。
次にベッドの横で疲れた様子のアリナと、白衣をまとった男性医師。
最後にルノを見て頭を抱えながら目を見開いたアルベールだった。
「ッ! ルノ……」
アルベールはその一言だけで、何も言わずに手を組んで顔をそらした。
穏やかな自然のにおい、静寂の中で壁にかかった時計の針がカチカチと音を鳴らしている部屋では、そのアルベールの言葉すら強く響くようだった。
一方アリナはアルベールの言葉に振り向くと、あっと口を開いた。
そのまま膝に置いた手をぎゅっと握ると、笑顔を作り出し……
「……ルノ君」
ルノを手招いた。
「……」
ルノは何も言わずにうなづくと、アリナのもとに歩く。
医者が自らの座っていた椅子を譲り、ルノはその上に座った。
より近くで見るクラナタールはかろうじて生きているといった様子で、呼吸の音が小さく細かった。
肌に関しては、もとよりあまり血色はよくなかったが、さらに青白い。
「…………戻ってきてくれて、ありがとうね」
アリナが小さく呟き、ルノの手をとった。
そして、クラナタールの手にやさしく重ね合わせぎゅっと握った。
「ほら、あなた。ルノ君もいるのよ……最後に少しぐらい頑張ったら?」
じんわりとアリナの手のひらから感じる熱が強まったように思え、ルノはアリナの気持ちが手を通して流れ込んだように思えた。
「クラナタールさん、なんでぼくにいろんなことを教えてくれたの?」
「……違う、そうじゃなくって」
「ぼくは……」
「……そうだ。わかった」
「ぼくに物語の話をしてくれてありがとう」
ルノはクラナタールの顔を見て、泣きそうになりながら、つっかえそうになりながら、一生懸命に言葉を紡いだ。
「…………でも、まだ、まだ死なないでほしい。わがままだけど、もっと話がしたい……!」
「ねえ、クラナタールさん。お願い、目を開けてよ……!」
あふれる思いに歯止めが利かない。アリナの手がルノの言葉に震えていた。
数日間、されど濃密すぎた数日間だった。想像以上にルノの中でのクランタールの存在は膨れ上がっていた。
しかし、クラナタールからの返事はない。
「……」
声はもう届かない。そう感じ、ルノは目を落とした。
誰もが黙り、時計の音しか聞こえなくなった。
それを破るようにふと、誰かに頭を撫でられた。
「え」
誰が発したか分からない。だが、だれが発してもおかしくない一文字だった。
なぜなら、ルノの頭を撫でていたのは、目を開いたクラナタールだったからだ。
「あ、あなた!」「父さん!」「クラナタール……」「リパースさん!」
驚愕し口を押えるアリナ、さっとベッドに近づくアルベール、瞳を揺らすメルト、クラナタールの横へ移動してなにかの道具を取り出す医者。
それぞれが異なる反応を見せる中、クラナタールが息を漏らしながらゆっくりまばたいた。
「これ以上は……蛇足だと……分かってはいるんだがね……」
クラナタールは目だけで回りを見渡すと、天井を見つめた。
「アリナ、アルベール」
「お前たちには辛い思いをさせた……すまなかった」
「伝えなくてはいけないことは伝えたつもりだったが……やはり直接言うのがいいな……ごほっ」
クラナタールがせき込むと医者が即座に処置を施した。
「私に謝る必要なんてないのに……話してくれてよかった」
アリナはクラナタールの頬に触れて微笑みかけた。
それを見ながら、アルベールは歯を食いしばっていた。
「父さん……俺は……結局なにも……!」
「アルベール」
クラナタールは立ち尽くすアルベールに、近づくように促した。
アルベールが戸惑いながらも近づきしゃがむと、クラナタールはアルベールの頭をポンと叩いた。
「は……」
「何気にしてる。お前はお前だ。私の息子で、ゼーヴェルトの司書で、一人の夫だ……もっと子供のころのように構ってやりたかったが、そこらの親子よりはいつも話していただろう?」
「…………ただの、俺の我儘だっただろ……!」
アルベールは嗚咽を漏らし、クラナタールの手を握った。
「俺は親不孝者だ! 理想ばっかりで何もできやしない! そのくせあんたにあたり散らかしてただけだ!」
「貰ったものを、なにも返せてないのに……!」
アルベールが感情を爆発させるのをクラナタールは優しく受け止める。
「十分返してもらったよ。そう自分を卑下するな。あの日、お前と口喧嘩したから彼らと出会えたんだからね」
クラナタールがルノとメルトを交互に見つめ、笑い飛ばした。
「父さん……」
アルベールはクラナタールの目を見て、ただ静かに呟いた。
半開きの口から微かに漏れる息が、下がった口角が、アルベールの中で何度も何度も渦巻いたもののようだった。
「アルベール、ともかくそういうことだ。お前はよくやっているよ。ゼーヴェルトの司書なんて、そう簡単になれるものじゃないだろう」
「お前は私の息子だが、分身ではないんだ」
「……そうだな。大変だったよ」
二人は互いを見つめて笑う。
アルベールの涙はいつの間にか止まっていた。
「アリナも、ずっと不甲斐ない男ですまなかった」
「それでも、愛してくれてありがとう。私にとって、君は鳥が空を飛ぶ翼のように、無くてはならないものだ」
「……ええ、私も愛していますよ……もう少し構って欲しかったですけどね」
「……はは、面目ないな……」
アリナは全て分かっているという風に涙を零しながら笑った。
「……ルノ君。メルト君」
クラナタールがルノたちの名を呼ぶ。
二人が見つめ返すと、クラナタールは指を振り、部屋の机の引き出しから一枚の紙きれを取り出した。
「ユミア君にはもう鳥を送ったが、君たちにもささやかな贈り物がある」
二人がそれぞれ紙を受け取ると、クラナタールはすっきりしたように息をついた。
ルノの紙にはここ数十年における吸血鬼題材の物語における特異な点。
極端な英雄像と悪者像における考察が書かれていた。
白髪の英雄と対になる藍色の悪者という作品間の共通点への考察だった。
メルトの側に何が書かれていたのかは分からないが、メルトはその内容を食い入るように読み込んでいるようだった。
「旅の行き先にあまり口を出したくはないが、一つだけ提案しておきたい」
「トワイライト。あの街には知るべき物語があるはずだ」
トワイライト。吸血鬼に深く関係する街。
やはり、あの街こそ、二人の求める答えが眠る街なのかもしれない。
「最後に頑張りすぎたかな。本当はアリナに渡してもらう手はずだったんだが」
「……とにかく、楽しい時間だったよ」
クラナタールはそう言って目をつむると、だんだんと声が小さくなっていった。
「……ありがとう。クラナタールさん」
「……うちも、ありがとう。あんたが天国にいけるように……ちょっとだけ願っといてあげる」
「――」
クラナタールは何も返さない。
それでも、口元がわずかに笑ったように見えた。
医者がそっと首元に手を当て、時計を見つめた。
クラナタールの蛇足を支えた最大の功労者は、全身を汗でびっしょり濡らしながら、クラナタールの処置をしていた手を静かに下ろした。
「……ご臨終です」
「苦しまず旅立たれたと思います。皆さんに囲まれて、幸せだったでしょう」
――この日クラナタール・リパースは天へと旅立った。




