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ルノと旅する吸血鬼  作者: 立木ヌエ
パンドラ編
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兆し

「……っはぁ……はぁ……」


 現在、ルノはクラナタールの元へと全力疾走し続けている。

 旅をしながら多くの場所を歩いてきたとはいえ、全力で走り続けていると息が切れ、脇腹が痛くなってくる。

 足すらも棒になったかのように重くなり、メルトと自身の能力差を嫌という程に実感した。


 宿からクラナタールの家までは、宿からゼーヴェルトへの距離のおよそ倍ある。

 普段はメルトと話しながらゆっくりと歩く道が、遠い異国への道のように長い。


 クラナタールに何かあったことは確実だ。一刻も早く、何があったの知らないといけない。


「……いそが、ないと……」


 心臓が爆発してしまいそうな程に鼓動する。

 慣れない振り方をした腕、肩も痺れている。


 自分一人では辿り着けない。そんな可能性が目を曇らせる。

 ――では、一人じゃなければ?


「……」


 深く息を吸い込む。腹に息を溜める。喉を大きく開く。


「誰か……! ぼくを、ある所に連れて行ってくれませんか……!」


 道の中央で叫ぶルノを、道行く人々が見つめた。


 無関心で、すぐに何も無かったかのように顔を逸らす者がいた。

 心配そうにしながらも、誰かが動くのを待つ者がいた。

 奇妙な物を見る目で、あからさまな悪感情を向ける者もいた。


 無論、近づいて声をかける優しい者もいた。


「君、大丈夫? もう夜だし親御さんとかは……ってすごい汗だ……! 足もがくがくじゃないか! 話は聞いてあげるから、少し座ろうか?」

「ダメだ……早くしないと……ぼくは行かなきゃ、今行かなきゃいけないんです……ぼくは、ぼくは……」

「えーっと……家族の人のところかな? 迷子になっちゃった……?」


 声をかけてくれた男性の困った様子を見ると、ルノは周りを見渡す。

 人々はルノの必死さの理由も知らない。店の店員だって、仕事という自分のすべき事がある。


「(……誰か、誰でもいい。助けて…………)」


 ルノの膝がついに限界を迎え、膝をついてしまいそうになったその瞬間だった。

 少し強い風とともに、コツンとブーツの音がした。


「わたしが連れて行くよ」


 小さな声が耳元で囁いたと思うと、ルノは手を引かれた。

 その主は黒い装束に桃色のツインテールを揺らしていた。


 ルノの手を掴む逆の手には、手紙が握られていた。


「ユミア、さん……」

「今はクラナタールさんのところに行きましょう。そちらの方もありがとうございました。この子のお姉さんのところには私が連れていきます」

「そうですか! よかった……お気をつけて!」


 気のいい男性が笑顔でその場を立ち去ると、ユミアは自身の髪を撫で、ルノから目を逸らした。


「……ごめんなさい。さっきから……えっと、メルトさんと宿に戻ってきたところから見てて、どうしても放っておけなくて……けど、わたしは顔を見せるべきじゃないよね」

「メルトさんから聞いたでしょ? わたし、吸血鬼狩りなんだ。メルトさんの……敵なんだ」


 ユミアは握っていた手紙をそっとルノの懐に入れると、ルノの手を握る力が強くなった。

 ルノがかさりとポケットに軽い感触を覚えると、逸らしていた目が、真っ直ぐに合わさった。


「だから、ルノ君にとってもわたしは近くにいちゃいけない」

「…………本当はその手紙だけ置いておこうと思ったんだけど、最後に一回だけ、手伝わせて欲しい」

「……うん。お願いユミアさん」


 ルノは強く頷いた。


「ぼくをクラナタールさんの所に連れて行って!」


「……任せて」


 ユミアはルノを背負うと、両腕でその体をがっしりとつかむ。

 固く力強さを感じる腕が、ルノを大切に包み込んだ。


八咫烏(やたがらす)


 ユミアが静かに呟き、路面に強く踏み込んだ。

 振動とともにルノの体は浮遊感に襲われた。


「…………!?!?」


 ユミアは軽くスキップをするかのように建物の窓やへり、渡り廊下を踏みばねのように跳ね上がっていく。

 息が詰まりそうになるほどの衝撃で、体の重さが地面に置いていかれたようだった。


「辛いだろうし、そこまで高く跳ばないから。頑張って」


 ルノは経験したことのない速度と重圧に顔が青白くなっていった。耳が詰まるような感覚はユンデネでモール山脈を越えた時の感覚と同じものだった。


 やがて高くそびえ立つ建物群がすべてルノの足元になった時、速度が緩やかになった。

 そのままユミアは建物の頂上を走り始めた。


 急に普段の感覚に戻され、頭がグラグラと揺れるのを抑えながら、ルノは下を向いた。


 高い建物が多く立ち並ぶパンドラ。高くそびえる塔を除いた全てが、ルノの足元にある。


 ユミアはルノを背負ったまま屋根上を駆け巡ると、その間も建物をぴょんぴょんと山を越える山羊のように跳ねていく。

 やがて建物の数が少なく低くなると、クラナタールの家が迫っているのが見えた。


 しかし、そんな時間もあっという間に過ぎ去った。


「――ルノ君、そろそろ降りるよ!」


 ユミアはそう言うと、建物の間へするりと飛び込んだ。


「……ぅぁあぁあぁあぁあ!」


 行きと同じく建物の突起を駆け下りるも、ただの自由落下にも近く、ルノの内蔵を上下左右に掻き乱してしまったようだった。


 ルノが目を閉じ、ぐわんぐわんと頭を揺らしていると、だんだんと速度が遅くなる。

 頭を押さえつつ顔をあげると、ほとんど揺れもなく見慣れた地面がすぐそこにあった。


「ごめんね、急いだから結構つらかったよね」

「ううん。だいじょうぶだし、早く着けた」


 ユミアの手をとりながら、ゆっくりと大地に立つと残る浮遊感に足がふらついた。


 そしてお礼を言おうとユミアの顔を見上げると、ユミアは胸に手を当てると、パッと繋いでいた手を離した。


「……じゃあ、わたしはここまで」

「ユミアさん……ぼくたち……メルトさんとは、もう友達じゃいられない?」

「……ッ」


 ユミアは大きく空気を吐き出すと、ルノに背を向けた。


「ごめんね。今のわたしには分からない」

「でも、分かるために頑張るから。元気でいて……手紙も読んでね。口ではまだ言えなかったから」

「――『八咫烏』」


 ユミアが唱えると、すぐそこにいたはずの姿はもうなく、舞い上がった煙だけが、そこに人がいた証拠となっていた。


「また、会えるかな」


 ルノはポケットの外側から手紙を大切に撫でると、クラナタールの家に向かって走り出す。

 そして、玄関を叩こうと手を伸ばすと、中からうっすらと声が聞こえた。


「――そうか……これ以上の術はないのか」


 聞き覚えのある低い声で、静かに重い。

 アルベールの声だ。


「はい……そちらの女性のおかげで、喉に溜まった血で窒息するようなこともなかったようですが…………今夜が峠になるかもしれません」


 次に聞こえたのは知らない声だ。

 男性の声で、無念さが滲むように間を置いて話している。

 おそらく医者の声だろう。


「メルトちゃんがいなかったら、息子も間に合わなかったかもしれません……」


 その言葉に続いた女性の声は力なく、わずかに震えていた。

 アリナの声だ。


「……うちは何も凄いことはしてないよ」


 メルトの声だ。

 冷たいような、無感情のようなメルトの吸血鬼の部分が顕著に感じられる。


「峠……って」


 乾いた息が漏れた。

 いつのまにか他人事のように考えていた事が、何よりも自分の近くにあったはずのその事実が、ルノの背を這い上がり脳裏へと入り込んだ。


 握った手が動かない。扉を叩こうとしても、コツンと当たるばかり。

 ルノは次第に扉によりかかり、頭を扉に押し付けた。


「しんじゃう……の」


 ――先程から聞こえる会話。それが指し示す事実。


 賢者の命の灯火はもう長くない。

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